晴風万里
2016-02-27T13:27:52+09:00
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あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
Excite Blog
さようなら! また逢う日まで。
http://amadeusjap.exblog.jp/24173842/
2016-02-27T13:28:07+09:00
2016-02-27T13:27:52+09:00
2016-02-27T13:27:52+09:00
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夢
突然ですが、一身上の都合により、このブログを終了させて頂きます。
長い間の御愛読まことにありがとうございました。
なお引き続き購読を希望される方は下記までどうぞ。
https://www.facebook.com/makoto.sasaki.56679
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アイヴァン・バッサー監督の「クリエイター」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24168271/
2016-02-25T12:58:07+09:00
2016-02-25T12:57:54+09:00
2016-02-25T12:57:54+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.987
ピーター・オートゥールとマリエル・ヘミングウェイが共演する1985年製作のマッド&ロマンチックサイエンチストものずら。
マリエルを見ていると、あの有名な作家の孫娘であるこの人は、果たして美人なのかブスなのか、よく分からなくなる。そして死んでしまった姉のマーゴ・ヘミングウェイのことが懐かしく思いだされる。
ありとある動植物を絶滅に追い込んだ人間が絶滅危惧種 蝶人
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増村保造監督の「巨人と玩具」をみて
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2016-02-24T13:36:17+09:00
2016-02-24T13:36:05+09:00
2016-02-24T13:36:05+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.986
開高健の原作を白坂依志夫が脚色して増村保造がメガフォンをとった社会派ドラマ。玩具メーカーの宣伝担当者が資本主義の販売至上主義の罠の虜になって悪戦苦闘する悲喜劇を描いているのだが、私自身もそういう体験をしてきたので身につまされて客観的になれない。しかし原作も脚本も演出もかなりグロテスクに拡張されていてかなりエグさが目立つ。
野添ひとみが歌って踊る振り付けは、当時としては素晴らしく斬新なり。
安倍→菅→籾井→編成局長の流れで粛清されたり国谷裕子キャスター 蝶人
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石原深予著「尾崎翠の詩と病理」を読んで
http://amadeusjap.exblog.jp/24163032/
2016-02-23T14:52:10+09:00
2016-02-23T14:52:01+09:00
2016-02-23T14:52:01+09:00
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読書
照る日曇る日第847回
1896年に鳥取に生まれ、1971年に亡くなった“伝説の”閨秀作家、尾崎翠の本格的な研究書を、不思議な縁あって手に取ることができました。
まずは「第七官界彷徨」で使われている「第七官」という言葉の歴史的な用例の発掘とその意味づけから始まり、次いでその「第七官界彷徨」論、「歩行」論、「こぼろぎ嬢」論、「地下室アントンの一夜」論と、翠の代表作4点をその「詩」と「病理」をキーワードに解読する著者の研究姿勢は、何よりも尾崎翠への敬愛と彼女の創造の秘密に肉薄しようとするアガサ・クリスティ的情熱に満ち溢れていて、読む者の心を熱くします。
思うに、序章における「第六官(感)」とか「第七官(感)」などの用語を探し出すためには、古今東西の文献を渉猟しなければならず、そのためには膨大な時間と手間暇をかけて大量の書物や記録、人物、新聞雑誌にあたる必要があったことでしょう。
しかし著者は、もちろんそんなシジフォス的営為の労苦は、噯にも出しません。
若き日に翠作品と運命的な出会いをした著者が、翠を覆う不可思議なヴェールを剥ぎとり、いつの日か真正の尾崎翠と再会する日が来ること、またこの長い寄り道こそが著者の人生を最高に豊かなものにしてくれることを、著者は確信しているようです。
ともかく、汗牛充棟ただならぬ資料の山に分け入り、的確に博引傍証しつつ、創見に彩られた独自の尾崎翠像を彫刻してゆく著者の尋常ならざる力技には、ただただ圧倒されるばかりです。
そのエネルギッシュな知的営為は本論と終章を書き終えてもとどまるところを知らず、末尾の「参考」に添えられた翠の新発見作品や写真、書簡、同時代人の資料はじつに貴重なものばかりで、今後の尾崎翠研究は、本書の存在抜きには到底考えられないでしょう。
それにしても前半生であれほど文名を上げ、“悲しきダダ”として鮮烈な印象を江湖に残した尾崎翠は、なぜその長い後半生においてほとんど作品を発表することなく74歳で郷里で没したのでしょうか。
ここで思い出されるのは21歳にして詩業を投げうち、アフリカの不毛の砂漠に奴隷商人として姿を消したアルチュール・ランボオの存在です。
この前代未聞の恐るべき“見者”が、凡人とは異なるある種の「病理」を通じて、アデン、アラビアの不毛の地で詩と生活が一体となった「散文詩的活動」を継続していたように、漂泊の行商人、尾崎翠もまた鳥取県岩美の蒲生峠を行き過ぎながら、世にも不思議な散文詩を紡いでいたのではないでしょうか。
著者の次なる研究への期待は、いやがうえにも高まります。
きょうもまた一人の老女が歌ってる鳥取岩美蒲生峠を下る女人ランボオ 蝶人
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松本佳奈監督の「マザーウォーター」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24159700/
2016-02-22T12:03:01+09:00
2016-02-22T12:02:55+09:00
2016-02-22T12:02:55+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.985
荻上直子の「かもめ食堂」「めがね」「レンタネコ」などとほぼ同じ俳優やスタッフを使って、聞いたこともない別の監督を起用して撮られた、「似て非」なる詰らない映画なりい。
まわりを固めればでくのぼうが監督してもいい映画ができるだろうと思うのは、あまりにも浅はかで演出の仕事を莫迦にした話ずら。
最終的かつ不可逆的に元慰安婦に謝罪しなければ最終的かつ不可逆的解決はちと無理だろうて 蝶人
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松本佳奈監督の「マザーウォーター」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24159698/
2016-02-22T12:02:32+09:00
2016-02-22T12:02:25+09:00
2016-02-22T12:02:25+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.985
荻上直子の「かもめ食堂」「めがね」「レンタネコ」などとほぼ同じ俳優やスタッフを使って、聞いたこともない別の監督を起用して撮られた、「似て非」なる詰らない映画なりい。
まわりを固めればでくのぼうが監督してもいい映画ができるだろうと思うのは、あまりにも浅はかで演出の仕事を莫迦にした話ずら。
最終的かつ不可逆的に元慰安婦に謝罪しなければ最終的かつ不可逆的解決はちと無理だろうて 蝶人
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如月の歌
http://amadeusjap.exblog.jp/24157066/
2016-02-21T13:23:24+09:00
2016-02-21T13:23:20+09:00
2016-02-21T13:23:20+09:00
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詩歌
シェークスピア風ソネットの試み~これでも詩かよ第168番
ある晴れた日に 第362回
現代の詩人が作る現代詩のほとんどが、いわゆる「自由詩」というやつだ。
しかしおいらには、その自由詩の詩形がいかにも無秩序かつ胡乱なものに思われるので、
今更ながら天女の羽衣に軽く縛られてみたいと思い、
昔ながらの「ソネット」を作ろうと思い立った。
「ソネット」とは、ルネサンス期のイタリアで誕生した十四行からなる西洋の定型詩で
ペトラルカ風、イギリス風、スペンサー風の三つがあるそうだが、
おいらはシェークスピアの「ソネット」しか知らないので、
とりあえず、そいつの“うわべ”だけでも真似しよう、ってわけさ。
そこでおらっちは、たちまち寛永の馬術名人、曲垣平九郎盛澄になり切って、
天下の名馬“松風”に跨り、長駈愛宕山に赴いた、と思いねえ。
あの有名な“出世の階段”を一気に駆け上がると、
頂上からは江戸八百八町のおよそ半分を、一望することができたのよ。
けれども男坂の急勾配を、三度笠の詩句共が、押すな押すなと登ってくるので、
四行/四行/四行/二行の割れ目をば、ザックリ作ってやったのさ。
白と言っても営業車の白とは全然違いますなどと力説するセールスマン 蝶人
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ハワード・ホークス監督の「赤い河」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24154011/
2016-02-20T11:15:45+09:00
2016-02-20T11:15:43+09:00
2016-02-20T11:15:43+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.984
苦労して育てた牛の価格が暴落したのでミズーリへ行くか、それとも鉄道が来たというカンザスへ行くかを巡って、親子のような間柄のジョン・ウェインとモンゴメリー・クリフトが宿命的な対決をするのだが、なかをとり持つ美女が現われてめでたしめでたしとなる。
頑固親父と心優しい息子の対立でもあるが、基本的には情報センサーの精度を巡るコミュニケーションギャップを取り扱っている1948年製作の現代的な西部劇ずら。
明治生まれの人が一人でも生きているうちは明治時代は死滅していない 蝶人
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中公新社偽決定版「谷崎潤一郎全集第6巻」を読んで
http://amadeusjap.exblog.jp/24151121/
2016-02-19T11:11:55+09:00
2016-02-19T11:11:43+09:00
2016-02-19T11:11:43+09:00
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読書
照る日曇る日第846回
本巻では1918年から19年にかかけて出版された作品を集めている。
内容は、真情あふるる名短編「母を恋ふる記」を含む「小さな王国」、小説と戯曲の融合を図った意欲作「呪われた戯曲」、臆面もなく足フェチを告白した「富美子の足」、中国人の令嬢のオフェーリアのような死体の超絶的な美を幻想的に描いた名品「西湖の月」を含む「近代情痴集」、オスカー・ワイルドの翻訳「ウヰンダーミヤ夫人の扇」、あれやこれやの随筆を集めた「自画像」、ポオの名作の「アツシヤア家の覆滅」の部分訳を含む単行本未収録作品、中国旅行記などを含む雑纂とまことに盛りだくさんであるが、とりわけ興味深いのは最後にとっておきのデザートのように供された「クラリモンド」という小説の翻訳である。
編者によれば、これはフランスの詩人テオフィル・・ゴーティエの小説のラフカディオ・ハーンによる英訳が原本で、これをまず芥川龍之介が翻訳し、それを谷崎がフランス語の原文を参照しつつ修正加筆したものらしいが、絶世の美女クラリモンドに恋した修行僧の宿命の恋とその悲劇的な結末を、当時の本邦を代表する3傑によるめざましい知的感性的コラボレーションの足跡を、わくわくどきどきしながら追体験できる稀有な作物といえよう。
瑣事ながら私のこの原稿は、いつもと違って、行頭を半角下げずにそのまま書き出している。
これは谷崎の顰に倣ったのだが、最近デジタル媒体における文章はいつのまにかこの谷崎流に従っているようだ。もしかすると文豪は21世紀の日本語表記の先駆者なのかもしれない。
万巻の書物に埋もれし陋屋でロカンタンは「サ行」読み継ぐ 蝶人
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ドン・シーゲル監督の「グランド・キャニオンの対決」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24148684/
2016-02-18T14:56:15+09:00
2016-02-18T14:56:04+09:00
2016-02-18T14:56:04+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.983
アメリカ随一の絶景の中で西部劇を見せるのかと思っていたら、あにはらかんやいきなり自動車が出てくるサスペンス現代劇だった。
されど正義の保安官は颯爽と登場するし、インディアン、もといアメリカ先住民は出てこない。
が、代わりに元金鉱の大金持ちや美貌のその娘、気のいい善人から急変する凶悪人も顔を揃え、お約束の大峡谷の対決になだれこむのであったあ。
1時間20分という短さが疲れなくてよろしい。
街角に芸能人ポスターを張りつけて選挙民を釣る阿呆莫迦自民 蝶人
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エドワード・ズウィック監督の「レジェンド・オブ・フォール」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24145665/
2016-02-17T12:57:04+09:00
2016-02-17T12:56:57+09:00
2016-02-17T12:56:57+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.982
舞台は第1次大戦前後をアメリカのモンタナ州の牧場。元大佐のアンソニー・ホプキンスに3人の息子がいてこれにジュリア・オーモンドという女がからんで運命的な悲劇を形作る。
文明に馴染まずに生きる次男の野生児を演じるブラッド・ピットが最後にヒグマと格闘して死んでゆく姿が哀れ深い。
「沖縄の皆さん方には恐縮ですがこの端金で何卒宜しく」 蝶人
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岩波文庫版『石垣りん詩集』を読んで~これでも詩かよ第167番
http://amadeusjap.exblog.jp/24142851/
2016-02-16T12:03:23+09:00
2016-02-16T12:02:17+09:00
2016-02-16T12:02:17+09:00
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読書
ある晴れた日に第361回&照る日曇る日第845回
詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。
岩波文庫版の『石垣りん詩集』のなかに、『へんなオルゴール』というへんな詩がある。
「歴程」夏のセミナーに出席した詩人が、見知らぬ紳士からサインを求められる。
それは『表札など』という彼女の代表作のひとつだった。
「サインせよ とはかたじけない」*と喜んだ詩人だったが、開いた扉に一枚の名刺。
見れば「丸山薫様 石垣りん」と自分の筆で書いてある。
敬愛する偉大な詩人に送った詩集が、古本屋に並んでいたというのである。
「ひとりの紳士が1冊の本をひらくと
丸山薫さま 石垣りんです。
と明るいうたがひびき出す。」*
「どうしてうらんだり かなしんだりいたしましょう。
売って下さったのですか 無理もないと
それゆえになお忘れ難くなった詩人よ。」*
などと無理やり陽気にふるまおうとするものの、
そのとき彼女のはらわたは、煮えくりかえっていたに違いない。
だからこの詩を書いたのだ。
東京品川の糞尿臭い十坪の借家に、祖父と父と義母と二人の弟と住み続け、
たった一人の女の二本の細腕で、六人の暮しを支え続けた石垣りんは、
毎日のように押し寄せてくる詩歌集を、ただの一冊も捨てなかったのだろう。
詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。
*石垣りん『へんなオルゴール』より引用
町内の知人の家に門ごとに皇帝ダリアを植えて逝きし老人 蝶人
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スパイク・リー監督の「インサイド・マン」をみて
http://amadeusjap.exblog.jp/24140332/
2016-02-15T14:03:47+09:00
2016-02-15T14:02:44+09:00
2016-02-15T14:02:44+09:00
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映画
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.982
処女作の「ジョーズ・バーバーズ・ショップ」でファンになった監督だが、「ドウ・ザ・ライトシング」で覚えた違和が「マルコムⅩ」で増殖し、そういうゆわゆる反体制映画ばっかり作るのかと思っていたら、2006年製作のこの映画では、ちょっと風変わりな、でも結局は旧態依然たる反体制映画をこさえてしまっている。
それにしてもあんな手弁当ローコスト映画しか撮れなかった人物が、デンゼル・ワシントンやジョディ・フォスターなどの大物俳優を起用できるとは出世したものだ。
二度までも自転車を盗まれし少年の暗き心を思いみるべし 蝶人
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五味文彦著シリーズ日本中世史①「中世社会のはじまり」を読んで
http://amadeusjap.exblog.jp/24136698/
2016-02-14T10:31:08+09:00
2016-02-14T10:30:08+09:00
2016-02-14T10:30:08+09:00
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読書
照る日曇る日第844回
現代日本の核を作った中世の歴史を3分冊で見直そうとする試みの第1回です。
中世史を100年ごとにぶった切り、1)1068年の御三条天皇即位(院政時代)、2)1167年の平清盛太政大臣就任(武家政権)、3)1268年の蒙古国書到来(東アジア世界の流動)、4)1368年の応安の半済レ令(公武一統)の4期に分けて、それぞれに「家」、「身体」「職能」「型」という「思潮」を見出して特徴づけるという手法はきわめて斬新で、なんだか初めて中世という時代に向き合ったような気がしました。
第3章では荘園の免除特権を否定して国の支配を強めようとする受領・国衙と、朝廷・院からの免除徒権を獲得して荘園支配を強めようとする荘園側の衝突が生々しく描かれていますが、その後勃興した武士階級は、その間隙を守護・地頭として介入することによって、独自の政治的経済的権益を確保していったのです。
本書には「徒然草」の著者、吉田兼好も登場します。
彼は14世紀の初頭に鎌倉に下って金沢(今の金沢八景、六浦付近)に滞在していたようですが、朝夷奈峠を上り下りして鎌倉に入り、119段の「鎌倉の海に鰹という魚は」というトピックスなどを観察したあの兼好法師が、私の自宅の近所にある朝夷奈峠を何度も行き来していたと聞くと、にわかに「徒然草」の世界が身近に思えてきたことでした。
「正論だね」と上司が称えしわが提言その後いったいどうなったのか 蝶人
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河出版「日本文学全集03」を読んで
http://amadeusjap.exblog.jp/24133736/
2016-02-13T10:32:40+09:00
2016-02-13T10:31:41+09:00
2016-02-13T10:31:41+09:00
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読書
照る日曇る日第843回
「竹取物語」の現代語訳を森見美山彦、「伊勢物語」を川上弘美、「堤中納言物語」を中島京子、「土左日記」を堀江敏幸、「更級日記」を江國香織がそれぞれ担当している。
森見の「竹取物語」と江國の「更級日記」は比較的オーソドックスな置き換えで素直に鑑賞できる。川上弘美の「伊勢物語」は切れ味鋭い散文詩のようで見事。
30段の出てくる「逢ふことは玉の緒ばかり思ほえてつらき心の長く見ゆらむ」を「一瞬 恨みは 永遠」とやっつけるなんて他の誰に出来るだろう。
中島京子は「堤中納言物語」の和歌すべてを現代短歌にほんやくするという離れ業を見せてくれる。
例えば、「おぼつかな憂き世そむくは誰とだに知らずながらも濡るる袖かな」を「なぜかしら 出家なさるはどなたかを知らぬながらももらい泣きする」と、鮮やかにまとめてしまう。
パチパチ! これがどれほど大変か、君も一度やってみればよく分かるだろう。
が、堀江敏幸の土佐ならぬ「土左日記」は藤原定家による外題付きの写本に拠っていて、「土佐日記」のかな文字と紀貫之になりきった堀江の仮名漢字混淆文の「土左日記」とが入り混じっているので、読みにくいばかりか何が何やらわからぬ判じ物になっている。
堀江は、貫之の内面を想像してその空想的な文章を前段に置き、本文は定家本の字面に似た文字列を並べ、そこに貫之が適宜自注を施していくという一種の「メタフクション」を目指したとかほざいているのだが、んなこたあ誰も頼んじゃあいないぜ。
どうして森見選手のように「原文にない事柄はできるだけ補わない」やり方で淡々と現代語訳しなかったのだろう。それがいやなら本巻とは別の書物でそういう試みをすれば良かったし、こういう勝手な振る舞いをまかり通らせている編者池澤夏樹にも問題なしとしない。
早大の学費学館半世紀絶叫はせず黙して偲ばむ 蝶人
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