晴風万里

カテゴリ:建築( 26 )




江戸東京博物館にて「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展をみて



茫洋物見遊山記第144回&勝手に建築観光第53回

モースは江ノ島で三味線貝を採集したり、大森貝塚を発見したアメリカの民俗学者はと思っていたのだが、それだけではなく明治時代に三回も来日して当時の民衆が使っていた品々や衣食住遊休知美にまつわるありとあらゆる道具や商品や文物を根こそぎ収集していた「偉大なるコレクター」でもあったことを、私ははじめて知って驚いた。

そこには庶民の衣服、台所道具からはじまって歯磨き、お歯黒、簪、煙草入れ、職人の大工道具、建具、店の看板、私の少年時代の好物であった金平糖やイナゴの甘煮、真っ黒に塗りつぶされた子どもの手習い帖や鳥かごまでが所狭しと並んでいる。

しかし祖父が興し父母が継いだ履物屋の三代目に当たる私がいちばん注目したのは、もちろんモースが集めた一三〇年前の下駄で、土が付いた小振りのそれを眺めていると、この国に洋靴など一足もなくて丹波の山奥でも飛ぶように売れた幼時の思い出が走馬灯のように霞む老眼を過ぎった。

モースは当時の下駄屋の写真も撮っているが、それは八百屋や駄菓子屋と同様に見事に陳列されており、この見事な店頭ディスプレイこそ現代にまで続く日本的ⅤMDの源点に鎮座ましましていることは疑いを入れない。

さらにもうひとつ私が感嘆したのは、庶民が普段使っていたと思われる明治時代後期の手拭で、それは単なる一枚の手拭いであるにもかかわらず、そこに施された月に雁、瀧に鯉などの秀抜な柄模様は、現代にも通用するじつにモダンで粋なセンスが横溢していたのだった。

モースは当時来日していた英国人のアーネスト・サトウと同様大の日本びいきで、「日本その日その日」を読むと彼のこの国の人々の暮らしぶりとその文化への愛が率直に披歴されていて快い気持ちに浸れる。

しかしモースの目には、明治の子供や民衆は世界中でもっとも幸福な人種と映ったかもしれないが、その同じ人々が御一新後の急激な社会変革に取り残され、貧富の差に苦しむ不幸な人々でもあったことは、同時代の樋口一葉一家の悲惨な末路、松原岩五郎の「最暗黒の東京」、横山源之助の「日本の下層社会」の視線から眺めれば、おのずと別の感慨もわいてくるというものである。

彼のお陰でこのように貴重なコレクションを今日の私らが目にする幸運に巡り合わせ、それが諸国民の宝物となりおおせたことに深甚なる感謝の念を抱いているとはいえ、その反面、彼が後輩のフェノロサが本邦の美術品に対して行ったと同様の文化財海外持ち出しに血道をあげたことを面白くないないと思う心も持ち合せている、というのも私の偽らざる心境である。

なお本展は、私が死ぬほど嫌いな、見ると吐き気がするほど嫌いな、本邦で最悪最低の建築家、菊竹清訓の手になる江戸東京博物館にて、来たる12月8日まで開催中です。


秋日和被災地の犬と遊びけり 蝶人


*毎日短い詩を書いています。よろしければフォローしてくださいな。
http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=291523&from=home_members_list
[PR]



by amadeusjapan | 2013-11-25 10:37 | 建築

本郷館を訪ねて



茫洋物見遊山記第61回&勝手に建築観光第42回


東京本郷森川町の「本郷館」が近々取り壊されるという悲しいニュースをマイミクさんから耳にして、久しぶりに現場に立って見ました。

 本郷館は築106年の古い木造建築で、東大の正門から200メートルほど離れた細い下り坂に沿って雲にそびえる3階建の下宿なのです。延べ面積は約300坪、中庭を囲むようにしてなんと76室があり、かつて作家の林芙美子や多くの学生がここで青春時代を送りました。

今年の3・11の激震にも耐えて1世紀の風雪を越えてきたこの歴史的建造物を保存しようと、地元の住人をはじめ「本郷館を考える会」や多くの人々が努力を続けてきましたが、家主の意向でとうとう8月から解体工事が始まってしまいました。
私がここをはじめて訪れたのは今から20年以上前で、森川町をぶらぶら散歩していた私の目の前に突然出現した建物の思いがかない巨大さと周囲を圧倒するような独特の存在感に圧倒されたものです。

すぐ近所では本郷館を題材にした絵や写真、詩などが街頭に掲示され、この由緒ある建造物の名残を惜しんでいました。


古の森川町なる本郷館生まれ変わりて住みたきものを 蝶人
[PR]



by amadeusjapan | 2011-08-23 14:38 | 建築

神奈川県立近代美術館の「建築家坂倉準三展」を見ながら



勝手に建築観光36回&鎌倉ちょっと不思議な物語第198回

坂倉準三は大学卒業後、1929年に渡仏し、ル・コルビジュのアトリエで働き、彼の仕事をつぶさに見聞きしてそのノウハウを身につけた建築家です。

1937年にはパリの万博日本館の設計でグランプリを獲得、1939年に帰国してからはここ鎌倉に1951年に神奈川県立近代美術館を建てたり、1966年には新宿西口広場や地下駐車場のデザインを担当してフォーク集会に格好の場を提供するなど、わが国の建築史上に多大の功績を残し、全共闘運動の波動も禍々しい1969年に68歳で亡くなりました。

この人の特徴はやはり師匠ル・コルビジュ直伝のモダニズムと、そこに薄味の醤油のように加味された和風趣味のハイブリッドということではないでしょうか。それは東京市ヶ谷の日仏会館や本展が開催されている鎌倉の県立近代美術館を見ればよくわかるようなきがいたします。

市ヶ谷の高台に聳えるおふらんす文化の白亜の殿堂、東京日仏学院はそのモダンな内外装も見事ですが、その昔は語学を教える超絶的美人が何人もおりまして、当時田舎から上京したばかりの私は、最初の授業でうっかり最前列に座ったばかりに œuの発音を何度も何度もやらされました。

その金髪のミレーヌ・ドモンジョそっくりのパリジェンヌは、微笑みながら私の唇すれすれにその美しい唇を突き出して œu、 œuと繰り返しますと、シャネルの5番の香水がほのかに混じった生あたたかい息が、まともに私の顔に当たるので、私は生まれて初めて卒倒しそうになりました。

恥ずかしさに真っ赤になった私が、彼女の「口移し」でœu、 œuとうなりますと、その度に「ノン、ノン」なぞとたしなめられ、何度も何度もやり直しを命じられる。
このようにして美しき女教師ドモンジョ嬢の血祭りに上げられた三四郎は、もうこりごりと次回からの夏期講座を放棄してしまったのですが、そのおかげで女性とフランス語に対する致命的なトラウマを刻印されることになってしまったのです。

しかし、もしもあのシャネル鼻息攻勢に懸命に耐えて通っておれば、おのずとまた違った展開があったかもしれない、などと思いかえせば、いまなお恨めしき坂倉準三設計のお化け屋敷であります。

思いっ切り横道にそれてしまいましたが、八幡宮の入口右にひっそりたたずむ県立近代美術館は私のお気に入りの場所で、2階のカフェから見下ろす平家池の蓮は絶品です。なによりも土と水と緑に完全に溶け込んだ建物の、目立たなくて、上品で、温和な風情が私たちの心にしとりとなじむのでしょう。

それにしても、ル・コルビジュは、いったいどこから彼一流の高床式建築術を編み出したのでしょう。もしかするとアジアやインドシナ、南洋諸島の古い土俗的な様式から学んで、近代建築に生かそうとしたのかもしれませんね。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/HallTop.do?hl=k

♪ああわが青春の麗しのドモンジョいまごろどこでどうしておるか 茫洋
[PR]



by amadeusjapan | 2009-07-09 07:43 | 建築

ユニクロの新宿西口店と広告



茫洋広告戯評第3回&勝手に建築観光35回

鳴り物入りでオープンした新宿西口のメガショップですが、なんせ元は家電のサクラヤがあった場所。構造はそのままに真っ白なペイントを施し、かっこよさをきどってみせたものの、入口のサイコロブロックのがさつさといい、各フロアの狭さといい、どうもおちつかない空間設営です。

誰が設計を担当したのか知りませんが、これで世界のファストブランドと対抗しようとはおこがましい。フラッグショップストアなら旗艦店らしい格調の高さが必要ではないでしょうか。

しかし「わたしは1枚で行く」という栗山千明のブラトップのテレビCMやPORONOWのコピーによるポロシャツ、佐藤可士和のアートディレクションによる和洋のロゴタイプやTシャツキャンペーンなどのクリエイティブの水準は高い。

あれほど安っぽいカジュアルウエアを音楽やデザインでそれなりにおしゃれに見えるようにごまかしている技術がすごいと思います。もちろんその大本には、ユニクロの素材に最新の科学技術を取りいれた商品企画と販売、プロモーションの三位一体が厳然と存在していて、それが大不況下の奇跡の1人勝ちを生み出しているわけですが。


岐れ道の病院の垣根に咲いている黄色い花の名前は何だろう 茫洋
[PR]



by amadeusjapan | 2009-05-20 08:14 | 建築

松竹は「石原都知事案による歌舞伎座建て替え」を中止せよ



勝手に建築観光32回

東京築地の歌舞伎座では、いま異例のさよなら公演を行っています。
1924年に建てられ、米軍機による空襲で被災し、50年に改修され、02年に国の登録有形文化財に指定されたこの由緒ある建物については、私もこれまでこの日記で再三触れてきましたが、その老朽化が進んだためにどうしても建て替えるというのです。

物には寿命があるので建て替え自体は仕方がないのでしょうが、親会社の松竹が都に申請した第1次建て替え案を石原東京都知事が却下したために第2案に変更したというので驚きました。

今回の計画に携わった伊藤滋・早大特命教授らによれば、当初松竹は現在の歌舞伎座の原型となった太平洋戦争前の歌舞伎座を復元する計画だったそうです。ところが知事が事前の調整段階で注文をつけて、私見ではこのきわめてまっとうな復元計画を己の一存で葬ったというのです。

28日附の朝刊にはその改定案の写真が掲載されていましたが、それはこれまでも丸ビルや表参道ヒルズなどで実施されていたオリジナルの一部を形式的に踏襲する中途半端な折衷案でした。しかし施主が当初目指していたのは、価値ある文化財を単に復元するのみならず、光輝ある歌舞伎の殿堂をより歴史に忠実に再現復古しようとする意欲的な方法論でした。

これはたとえて言えば両国の国技館の立て直しにあたって江戸時代の回向院の相撲小屋、連合軍の爆撃によって崩壊したドレスデンの国立オペラをその一時代前の様式で再建しようとする試みにも似た「本格的な復古再現建築」への挑戦でした。

わが国の最高の芸術のひとつである歌舞伎の聖なる殿堂を、「より新しく」ではなく、「より古く由緒ある姿かたちで再現、再創造」しようというこの歴史的な英断を、「銭湯みたいで好きじゃない」「オペラ座のようにしたほうがいい」などという一知半解の近代化論者の一声で取り下げるとはなんと愚かなことでしょうか。

逗子海岸の丘の上の豪邸に住み少年時代から金持ちのぼんぼんとして育ったこの人物は、おそらく生まれてから一度も銭湯などに入ったことがないでしょうし、宮大工が秘術を尽くして建造した全国各地の銭湯建築や、庶民のあこがれが生み出した富士山のタイル絵の実物を見たこともないでしょう。

東京千住「大黒湯」の絢爛豪華な外装と内装の華麗な宮造りスタイル、花鳥の絵が色彩豊かに描かれた格天井、大寺院にもひけをとらないその完成度を一度でも目にした人なら、「銭湯みたいで好きじゃない」などとは口が裂けても言えないはずです。そのような不遜な言い草は我が国が誇る「銭湯文化」に対する無知であり、いわれなき差別でもあります。

また歌舞伎はいわば日本のオペラで、西欧のオペラとほぼ同じころに誕生した芸能ジャンルですが、それぞれに深い歴史と伝統がありますから、それにふさわしい建築様式で敬意を表さなければなりません。とりわけ本邦の歌舞伎建築においては、オペラ座の大理石と鉄とガラスではなく、重厚な木と紙と漆喰の壁で構築しなければ長唄、下座音楽、義太夫、清元の音響がなじまないのです。

ちなみに現在の歌舞伎座の音響の精妙さは国立劇場はもとより、サントリーホールやカーネギーホールなどをはるかにしのぎ、世界の劇場でも有数のものであることをほとんどの人が知りません。知事がいったいどこのオペラ座を想定しているのか知りませんが、新歌舞伎座は断じて「オペラ座のようにしては」なりません。

また知事周辺は「建て替えに反対したわけではない。ただ劇場とビルの調和がとれていなかった」と話しているそうですが、この場合、調和を破っているのは、そんじょそこらのどこにでもあるモダンなビルのほうです。
古今東西にわたって永久不滅の銀座の象徴であるべき劇場が、もしもありきたりのモダンなビルと調和していたならば、そのビルの外装やデザインをこそ劇場(新歌舞伎座)に合わせて根本的に変えなければならないはずです。

銀座のランドマークともいうべき交詢社ビルや和光ビルの形式的な保存改装が、首都の建築遺産にどれほどの文化的損失を与えたかを考えるとき、残る唯一無二の「世界に向かって開かれた銀座の顔」をどのように維持・保存・強化するのかはきわめて重要な問題です。
わたくしはこの際松竹本社に対して、フランスや中国の文化に圧倒的に無知で無理解な知事のアホ馬鹿勧告を勇気をもって退け、今回発表された改造案をただちに白紙撤回して当初原案に基づく新改築計画に復帰されることをせつに望むものです。

時こそ今は 傾け歌舞伎座!



♪今こそは天下分け目の関ヶ原松竹は断固石原案を退けよ 茫洋

♪歌舞伎座やオリンピックごっこする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事 
[PR]



by amadeusjapan | 2009-01-28 22:08 | 建築

コクーンの建築



勝手に建築観光31回

9/11の同時多発テロ以降も、コクーンニングcocooniningの思想はしぶとく息づいている。

私たちはその証左を渋谷東急文化村のシアターコクンや埼玉県大宮市の商業施設コクーン新都心といったネーミング、さらには最近新宿西口に建設中の東京モード学園コクーンタワーや北京五輪メーン会場の建築デザインにもその格好の例を見出すことができる。

北京国家体育場は、プラダ青山店やドイツのワールドカップのメイン競技場、ロンドンのテートモダン美術館などを設計したスイスの有名な建築家デユオ、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるものであり、すでに「鳥の巣」の愛称で親しまれている。

またモード学園のコクーンタワーは、名前どおりの繭とも見え、直立させた鳥の巣のようにも見えるが、北京と新宿のいずれもがけっして内に閉じこもらず、外部に向かって威圧的に聳えているようだ。

9/11の同時多発テロ直後のコクーンニングcocooniningの思想が、ともかく安全無害な隠れ家に逼塞しようという温和で後退的な負の姿勢であったのに対して、およそ10年を経て建てられたこの2つの巨大建築では、己の領分と身の安全をしっかりと守りながら、外部世界(先進西欧諸国や競合専門学校)に対して激しく自己を誇示しつつ攻め込み、切り込む姿勢をするどく表明している。

遠くから眺めるその姿は、「繭」や「巣」という平和的な名称とは裏腹に、盾と矛を備え、和戦両様にすばやく対応する現代戦士の象徴のように、私には映るのである。



♪ダガーナイフに罪はない ダガーで刺すやつが悪い 茫洋
[PR]



by amadeusjapan | 2008-07-19 23:18 | 建築

海に浮かぶか博物館



勝手に建築観光30回

昨日は舞踊家大野氏のお名前を間違えてしまった。一男ではなく大野一雄が正しい。お詫びして訂正いたします。さて本日の話題は建築です。

菊竹清訓(きくたけきよのり)は、悪名高き江戸東京博物館の建築家としてあまねく知られている。一目吐気と眩暈をもたらすその鈍重嘉魁偉な外観にけおされて、私は数年前に開催された「蕪村展」いらい当地に足を踏み入れることができずにいる。こうなれば一種の建築公害といえるのではないだろうか。

ところで若き日の菊竹清訓は、六本木の国立新美術館を遺して先般物故した黒川紀章とともに、建築におけるメタボリズム(新陳代謝主義)を提唱し、黒川は中銀カプセルタワーを菊竹は上野ソフィテル東京を作った。

メタボリズムというのは、人間の体は60兆個の細胞でできており、そのうち1秒ごとに1000万個が死滅して新しい細胞に生まれ変わっている。ミクロで見れば人間は2ヶ月余りでまったく新しい存在に再生していることになる。ゆえにこの新陳代謝が終わるときが生命の終焉であるからして、建築家も都市や建築が死なないように、社会や時代に合わせてさながら生物のように千変万化させようと考えたわけだが、これこそ高度成長の60年代にふさわしい、なんでもありの野放図な土建屋のおぞましい思想ではないだろうか。要するにバイオロジーの思想にことよせて、どんどん壊して、どんどん建てようとしたわけである。

しかし同じメタボリズムに立脚しながら、黒川の中銀カプセルタワーがアヴァンギャルドの生真面目さを保った記念碑的名作であるのに対して、上野の不忍池の背後に不気味に聳え立つ菊竹の上野ソフィテル東京は、江戸東京博物館に匹敵する首都の最も醜悪な建築(ラブホテル?)のひとつであろう。周囲の景観を台無しにする夜郎自大のあのおぞましいビルジングをおっ立てることなぞわれひとともに容易にできるものではない。一日も早く取り壊してほしいいものである。
 
ところがフランク・シェッツイングのベストセラー「知られざる宇宙」によれば、菊竹清訓は都市のユートピアの専門家であり、彼が設計した江戸東京博物館はプラグマティストとして優れた作品である、と絶賛している。
そしてフランクによれば、そのこころは、「海岸からそう遠くないところにあるこの博物館は高波が押し寄せたときには海面に浮かぶ箱舟のようになるつくりになっている」からだというのである。(559p)

1958年に世界初の浮体構造物の設計図を発表し、環境破壊をもたらす機械や工場類を海上に移してしまおうと考え、沖縄国際海上博覧会で海上都市アクアポリスの原型をこしらえた菊竹は、今を去る半世紀前にすでに今日の地球温暖化の到来を世界に先駆けて予知していたのだ。

やがて東京湾の水位が日々上昇し、洪水と下町沈没の危機が到来するであろうことを神ならぬ身にして洞察していたこの偉大なる建築家は、コンクリートと鉄とガラスの粋を尽くした醜悪なる現代版「ノアの箱舟」を両国市民のために滅私奉公製造してくれていたのである。

なるほど、そういうことだったのか、と私ははたと膝をたたき、おのれの不明を深く恥じた。

そう思って周囲を眺めると、今里隆の設計による同じように醜悪な国技館も、江戸東京博物館と軌を一にした高波漂流用大鉄傘付き海月と見えてくるから不思議なものである。
これからは建築を美的観点のみならず人類救済的観点から透視しようと改めて自戒したことであった。


知恵遅れで脳障害で自閉症の息子が弾いているショパンのワルツ作品164の2 茫洋
[PR]



by amadeusjapan | 2008-06-02 21:39 | 建築

この家を見よ! 「FUJIMORI藤森照信建築」を見る・読む



照る日曇る日第105回&勝手に建築観光29回

藤森照信はいま私が最も興味を懐き、共感をもってみつめている建築家の一人である。

20世紀建築の4人の巨匠はグロピウス、ル・コルビュジエ、ライト、ミースであるが、藤森が原廣司と共に高く評価するのはミースである。線と面だけで作られた抽象的で均質な表現こそが20世紀建築の最大の特徴であり、それをもっともよく体現しているのがミースであるというのだ。
ミースの表現の元になっているのはデ・ステイル派であり、その源泉をたどるとデカルトにいたる。デカルトこそが近代哲学のみならず近代建築の祖であった。

いっぽうでは20世紀は科学技術の時代であり、科学技術を支えるのは数学的世界観であり、建築に添って解釈するならば、面と線による抽象的、幾何学的造形こそそれに該当するはずだが、この点をもっと突き詰めた建築家はミースよりもグロピウスであったと藤森はいう。

グロピウスが20世紀建築の座礁軸のゼロ点であると考えると、ル・コルビュジエはヨーロッパ建築文化の主流を成す海と光と大理石の地中海方面へ、アールトは白夜と針葉樹の北欧へ、ガウディはペレネー山脈の彼方のイスラム色の残るスペインへ、ライトは西部開拓のアメリカへ、それぞれの方向に引かれた線上に位置する。この伝でいけば、わが国の巨匠丹下健三は木に由来する柱梁構造の日本へ引いた線の先端に位置づけられるというわけである。

結局グロピウスの建築は20世紀世界にとっての数学や科学技術のようなインターナショナルな意味を持った。彼以外はル・コルビュジエもガウディもライトも無色透明なインターナショナルになにがしかの文化的・地域的要素を加えて成立していると藤森は説くのであるが、では丹下の弟子である藤森自身の建築はいかなるものであるかをこれから眺めてみよう。

そもそもこの人は鈴木博之と同様、一介の建築史家であってほんらいは現場の人ではなかったのだが、ある日突然依頼を受け、1991年2月、生まれ故郷の茅野市に神長官守矢史料館という建物を建てた。
吉阪隆正の影響を受けた藤森は、「孫悟空の飛んでいるような大地に立つひとくれの土の塊」の如き、「あらゆる建築の始原であり、どこの国のどの土地の風土も文化も感じさせない超無国籍の民家」と評されるきわめて個性的な建物を作ってしまったのである。私が見るところ、これに匹敵する建築物は伊勢市御塩殿の天地根元造しかないだろう。

本来ならばそのすぐそばに実家がある伊東豊雄がやるべき仕事であったが、やむを得ぬ事情でピンチヒッターに立ったところ、これがトンでもない初打席場外ホーマーとなり、ここから藤森の破竹の快進撃が始まった。

2作目に作った自宅が、かの有名な「タンポポハウス」である。昔の日本の農家には茅葺の屋根の上にユリ、キキョウ、ニラ、アイリスなどの植物を茂らせる「芝棟」という植物と建築の一体化の手法があったが、これを平成の御世に甦らせたのが藤森だった。

もっともこれはわが国の東北地方だけでなく仏ノルマンディやヴェルサイユ宮殿のアモーの農家のルッカノグィニージの塔などにも植物がそびえているそうだ。その後この手法を藤森は盟友赤瀬川原平宅の「ニラハウス」、屋根のてっぺんに松がすっくと聳え立つ「一本松ハウス」や「ラムネ温泉館」、伊豆大島の「ツバキ城」、イチハツとキキョウが箱根連山を吹く風になびく「養老昆虫館」でも採用している。

樹木を頂上におったてるのは、当世風に言えば、人工物を自然で覆う環境主義的な発想であろうが、藤森は屋根のてっぺんだけでなく家の内外のいたるところに屋根を突き破って自然のままの樹木のぶっとい柱曲がりくねった枝を空高く貫通させる。

この「お山の大将我一人」的な腕白ターザン少年の素晴らしい建築冒険の源泉を、赤瀬川は諏訪大社の「御柱祭」の御柱に見出している。御柱というのは神の依代で人間の信仰の原型である。太古天の神霊にお出ましを願うための媒体こそが、藤森にとっての家作りの原点ではないか、と憶測をたくましくするのである。

まるでナガサキアゲハの巨大な五齢の幼虫か古代鯨が大空に向かって飛び出さんばかりに無類の生命的な存在感をたたえて大地に鎮座している「ねむの木こども美術館」や「焼杉ハウス」の勇姿、さらには満開の桜の木に取り囲まれ、たった一本の巨大な樹木に支えられて宙空にそびえている「茶室 徹」など、藤森のすべての建築群に共通するのは、青白き腐れインテリ思想や難解なヒポコンデリー建築思想から完全に解き放たれた原&現縄文人のあまりにも健全なエラン・ヴィタール、かの偉大なる剽窃家の安藤やら貧血症の磯崎やら突然死んじまった黒川やら才能てんでなき隈研吾やらかの醜悪かつ反吐の出るような江戸東京博物館をつくりし菊竹清訓等々の有象無象、

ともかくゲーリー・フランクと荒川修作以外の既存のいっさいの建築を“すでに死に絶えたるたるもの”とさえ思い込ませる無限の自由奔放さと精神の自由、自然に根ざしつつなおも天空の太陽と星の彼方へとあくがれるかの永遠のロマンチシズムであらう。

 ♪藤森の鯨の家にまたがりていざや空の彼方まで 亡羊
[PR]



by amadeusjapan | 2008-03-15 09:40 | 建築

安藤忠雄の「歴史回廊」提言に寄せて




勝手に建築観光26回


最近ベネチア大運河入り口の旧税関跡美術ギャラリーの国際コンペに勝利して意気上がる安藤忠雄だが、この時流に敏感で商機に抜け目のない機敏な建築家が、東京に「歴史の回廊」を作ろうと提唱している。

「回廊」という言葉で誰もがすぐに想起するのは、最近亡くなった黒川紀章の未完の代表作である中国河南省都鄭州市の都市計画で、このコンセプトが「生態回廊」であることはつとに有名である。

これは北京から南西600kmの黄河流域にある人口150万人の古都に山手線内側の倍以上の広さの新都心を2020年までに造ろうという壮大な計画で、まず800hの人口湖「龍湖」を作って都心と結び、緑と水の生態回廊に基づいて各地域間に河川を巡らせ、超低層住宅群、水上交通、岸辺公園を随所にちりばめ、自然と暮らしの共生をめざそうとするものであるが、どうやら安藤の「歴史回廊」は、この黒川案の向こうを張ったとみえなくもない。

それはともかく、安藤は明治の代表的な建築物をつなぐプロムナードを東京駅周辺に作って、国際的にも世界の奇跡とされているこの黄金の時代の記憶を永久に後世に伝えようと、けなげにも提言しているのである。 

具体的には1931年吉田鉄郎設計の東京中央郵便局を破壊から守り、このたび晴れて復元&再建されることになった1914年辰野葛西建築事務所設計の東京駅と1894年ジョサイア・コンドル設計の三菱1号館を、1911年妻木頼黄建築の日本橋までつなげ、日本橋はソウル清渓川にならって高架道路を撤去しようとするそれなりに真っ当なプランであるが、このような“もっともらしい正論”をいまさらながらに提案するのなら、私はこの偉大なる建築家の驥尾に付して、ことのついでに丸ビルと新丸ビル、おまけに有楽町の旧都庁ビルと三信ビルの完全復活再生復元を提案したい。

近年三菱地所がおったてた「醜い巨大ガジェット」である丸ビルと新丸ビル、それに有楽町の「超モダンおばけ廃墟」東京国際フォーラムは、ダイナマイトでこっぱみじんに破砕しなければなるまい。

さうして丸ビルには高浜虚子が主宰するホトトギスの事務所もぜひ復活してほしい。銀座プランタン裏にあってドーリア調エンタシス柱が美しかった1931年徳永傭設計の「東邦生命ビル」と1929年完成の6丁目の交詢ビルジングも、だ。

それなくして安藤流「歴史の回廊」は画龍点睛を欠く。安藤が表参道ヒルズでお仕着せに試みた同潤会アパートの奇形的保存の反省を踏まえ、過去の偉大な建築物を、その地霊鎮魂を兼ねて徹底的に再建してほしいのである。

それあってこその偉大な明治の歴史的再生であり再現ではないだろうか。
[PR]



by amadeusjapan | 2007-11-01 11:29 | 建築

アントニン&ノエミ・レーモンド展を見る



鎌倉ちょっと不思議な物語86回&勝手に建築観光25回

今日も仕事の運びがいまいちなので、久しぶりに県立近代美術館で開かれているアントニン&ノエミ・レーモンド夫妻の「建築と暮らしの手作りモダン」展(21日迄開催)に出かけた。

うららかな小春日和である。修学旅行の生徒たちが八幡宮の参道に並んだ露天に群がっていた。

展覧会ではレーモンド夫妻がわが国に遺した数々の建築やインテリアがたくさんならべられていて、見応えがあった。というより、こんな家なら住んでみたい、こんな家具なら欲しいと思わせる作品が、次から次に現れるのである。
私が思わず「この人がまだ生きているならぜひ家の設計をお願いしたい」とつぶやくと、美術館の隅に座っている職員が笑っていた。

これまで安藤選手だの、磯崎選手だの、亡くなったばかりの黒川選手だの数多くの有名建築家の作品を鑑賞してきたが、そんな気持ちになったのはこれが生まれて初めてだ。もっとも1888年生まれのアントニン・レーモンドは、すでに1976年に亡くなっているので、それは望むべくもない空しい夢なのであるが。

1919年に帝国ホテルの建設のためにフランク・ロイド・ライトとともに来日、大戦をはさんで戦前戦後40年以上の滞日生活の中で、アントニンは欧米と日本独自の和の伝統をきわめてデリケートに調和させた、優しく、美しく、しかもシンプルで機能的な建築とインテリアを創造し続けた。

和洋折衷というととかく曖昧で芒洋としたイメージで捉えられるかもしれないが、彼が各地で手がけた数々のカトリック教会の構成に顕著に見られるように、彼の作風は両者の特性を鋭くきわだたせながら、しかも相反する2つの要素をきわめて合理的、理知的にまとめているのである。

とりわけ軽井沢の夏の家や新スタジオ、笄町にあった自邸、一ツ橋にあったリーダーズダイジェスト東京支社、横浜にできるはずだった超モダンなフォード社の工場、現存する南山大学や群馬音楽センターなどの、まったくけれんみのない、生きた人間の肌のぬくもりを感じさせる建築たちは、あの東京クソミソタウンや、かの六本木あほばかヒルズなどの金満ガジェット高層仇花建築が跋扈する当節にあって、まさに一陣の清風が吹きすぎるような爽やかさと安らぎを感じた。

 現代の売れっこ建築家に欠如していて、レーモンドにあるもの。それは秘められた輝かしい知性と人間と世界に対する慎み深さ、一言で言うと上品なたしなみのこころであろう。

特筆すべきは妻ノエミ・レーモンドの家具・インテリアの出来栄えで、昨今流行のイタリアもの、北欧ものとは一線を画する、そのモデストでいぶし銀のような意匠は、夫の同様のデザイン思潮と内なるアンサンブルを奏で、彼らが琴瑟相和してつくりあげた1軒の住居からは、さながらカレル・アンチェルがチェコフィルを指揮する舞曲のような精妙な中欧音楽が流れ出る。

私は、建築とは「凍れる音楽」ではなく、春の小川のように絶えず流れ込み、私たちの頑ななこころを溶かす音楽であると、はじめて悟ったのだった。

追記
昨日の中原中也の最後の詩の4行目が欠けていました。お詫びして再掲載させていただきます。

四行詩
おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
爆発する都会の夜々の燈火を後に
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
[PR]



by amadeusjapan | 2007-10-19 08:21 | 建築

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

以前の記事

2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月

最新のコメント

sukebass117..
by amadeusjapan at 11:47
コメント失礼します。 ..
by sukebass117 at 14:39
こんにちは。 私も汐留..
by desire_san at 23:10
santiargonさ..
by amadeusjapan at 14:18
明白な輪郭も色彩もなく、..
by santiargon at 13:54
santiargon さ..
by amadeusjapan at 11:21
desire_sanさん..
by amadeusjapan at 11:19
こんにちは。 私も六本..
by desire_san at 06:39
埴谷雄高の『自動律の不快..
by santiargon at 04:23
こんにちは。 私も六本..
by desire_san at 13:23

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

ファン

ブログジャンル

画像一覧