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晴風万里

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中也の終の住処



鎌倉ちょっと不思議な物語48回

中也最後の居寓となった寿福寺は、頼朝の夫人政子が栄西を開山として建てた鎌倉五山第三位の寺である。

ここは臨済宗ではもっとも早く創建された。境内(国史跡)には総門、石畳の参道、山門、宋風の柏槙、仏殿などがあり、裏山には三代将軍実朝と政子の墓と伝えるやぐらに五輪塔がある。

そして中也の家はこの寿福寺の境内にあった。境内には池があり、その鳴き声が「蛙声」1篇となった。

天は地を蓋ひ、
そして、地には偶々池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
―あれは、何を鳴いているのであらう?

その声は、空より来たり、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声は水面に走る。

私のははの家にも蛙ならぬオタマジャクシが小さな池で泳いでいる。

こうやってほんの1部を別途飼育して万が一の絶滅に備えておき、初夏になったら太刀洗の天然の水溜りに離してやるのだ。
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by amadeusjapan | 2007-03-31 17:35 | 鎌倉案内

中原中也と鎌倉

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鎌倉ちょっと不思議な物語47回 

これからしばらく、鎌倉のなかの中原中也の足跡を辿ってみようと思う。

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ  「頑是ない歌」

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる「汚れっちまった悲しみに…」


昭和12年(1937年)は中也最後の年であるが、この年は盧溝橋事件で日中戦争が始まった年でもある。

私はわずか30歳で亡くなった中也の不幸を思うが、彼にとって唯一のさいわいは、これに続く太平洋戦争の災厄を知らずに死んだことであろう。

昭和8年12月に結婚した中也は、四谷の花園アパートに居を構え、翌年長男文也が誕生し年末に「山羊の歌」が刊行された。

昭和10年から11年にかけて中也は当時小林秀雄が編集長を務めていた文学界や暦程、四季、をはじめほとんどの文芸誌、詩誌に数多くの作品を発表する。中也の短い生涯のもっとも輝ける年である。

しかし11年の11月に文也が病没し次男愛雅が誕生すると神経衰弱が昂じ、千葉市の中村古峡療養所に入所する。

翌12年の2月にここを無断で退院した中也は、友人の関口隆克と一緒に鎌倉の家を探す。文也の思い出のある場所に住むことに耐えられず古くからの友人の多いこの町に住もうと思ったのである。

関口の証言によると、中也は月のある夜に窓から空を見ていると、屋根の上に白蛇が横たわっていて、それが子供を殺したというので屋根に出てその蛇を踏み殺そうとしたという。

そして中也は2月27日に鎌倉の寿福寺境内に転居し、その同じ2月に「また来ん春……」を、4月に絶唱「冬の長門峡」、5月に「春日狂想」を発表するのである。

私はこれらの作品を口づさむと、どうしてもモーツアルトの晩年の歌曲「春へのあこがれ」と最後のピアノ協奏曲の、あのうらがなしいメロディーを思わないわけにはいかない。

*写真は中也が東京への原稿を投函した郵便局
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by amadeusjapan | 2007-03-30 17:11 | 鎌倉案内

あヽ無情



鎌倉ちょっと不思議な物語46回 

昨日はとても悲しい事件があった。

家内が滑川にブルドーザーが入って川床を掃除しているというので見に行くと、草も土も泥もきれいになくなりコンクリートの上を水がさらさらと流れていた。

泥の中に眠っていたカワニナは小さな魚やヤゴ(トンボの幼虫)やカメやカニなどと一緒に鉄の輪に粉砕されておそらく全滅してしまっただろう。

ここは昨年七月の日記でも書いたように天然自然のヘイケボタルが棲息する鎌倉でも数少ない場所である。

初夏ともなれば私たち夫婦だけでなく大勢の住民が橋のたもとに三々五々集い、橋の下や樹木のこずえを舞いながら点滅する微かな光をあかず鑑賞し、それがほとんど老後の唯一の楽しみであるようなカップルもいた。

昔日の栄光に比べれば微々たる数あるとはいえ、ホタルたちはおそらくここに人間が住む前の時代から棲息していたのだろう。

それがたった数時間の「お掃除」で生命の連続の歴史を絶たれる。なんともはかなく悲しいことではないか? 

河川工事の担当は藤沢にある県の土木事務所に連絡したところ急遽工事を停止してはくれたのだが、時すでに遅しで、ホタルが棲むスイートスポットは跡形もなかった。

土木事務所の担当者に怒りをぶつけたが、ただ謝るのみ。これからは事前に環境調査を行い町内会などの了解を取り付けてから作業をすると言ってはいたが、一度破壊した環境を取り戻すことは半永久的にできないだろう。

ホタルを人工的に飼育することはできるようだが、天然自然のこの場所で復活させるにはどうすればいいのだろう?

そもそも彼らはいったいどうして河川の清掃を開始したのだろう? 恐らくは期末の予算消化のための河川掃除やっつけ仕事であろう。

この川は高い堤防で囲われておりいくら増水しても氾濫の危険はない。いつのまにか土砂が堆積しそこに草や小さな木が茂ることはあってもそれが景観を美化し動植物の生態系に好ましい影響を与えることはあってもその逆はまったくない。

にもかかわらず、ブルで清掃する理由が分からない。

つい最近私は近所のおじさんがいぬふぐりの可憐な花をなんと火炎放射器で丁寧に焼いている姿を見て驚いたが、どうも日本人という奴はヘンなところで潔癖かつ奇麗好きで、雑草(そんなものは存在しないのだが)や落ち葉は邪魔者であり、不要であり、醜いものだから、きれいさっぱり片付けるという奇妙な風習があるようだ。

ちなみにこの土木事務所は、ここ数年狂ったように鎌倉の山すそを削り、強固なコンクリートの防御壁をいたるところで張り巡らせている。

地震などで傾斜地が崩落する危険があるというのだが、そのために物凄い税金を投入し、ここでも貴重な自然環境を破壊している。

環境と安全の調和を図ろうとする姿勢など、これっぽっちも見えないのは残念である。
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by amadeusjapan | 2007-03-29 09:27 | エッセイ

石原慎太郎かく語りき



あなたと私のアホリズム その15 

慎太郎妄言録
その1
「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア。男は80,90でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」(週刊女性2001年11月6日号)
 こんなジュラ・白亜紀の遺物のようなアナクロおやじなのに、朝日や共同の調査では石原のほうが女性に浸透しているらしい。ナゼなんだ!! ひょっとして女性たちはこの妄言を忘却しているのではないか。「お年寄り」は弊害ではなく、社会の宝物だ。これを思い出せば、あの櫻井よし子だって石原支持とはよもや言いますまい。

その2
(重度の障害者について)「ああいう人ってのは人格あるのかね。」(朝日新聞朝刊1999年9月18日)

 他ならぬ障碍者を長男に持つ私にとってこれは絶対に許せない発言です。どんな障碍者だって少なくともあなたより優れた人格を所有していると断言できます。

その3
「俺はナマコとオカマは大嫌い」

 おすぎとピーコが聞いたらなんと言って怒ることか。それに第一ナマコに対しても失礼です。やたらまばたきするあなたの尊大顔こそナマコ以下の醜悪さでは?

その4
「前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったのじゃないか?」

32年前の1975年、当時72歳の美濃部都知事にこう言ったご当人はいまなんと74歳。天に唾する者はなんとやら、です。

その5
「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害が起きた時には、騒じょう事件すら想定される」(毎日新聞」夕刊2000年4月10日)

「第三国人は差別用語なんですか。その訳をきかせてもらいたい。辞書にはっきり出ていますな」(サンケイ新聞朝刊2000年4月13日)
 
 第三国人とは、第二次大戦前および大戦中、日本の統治下にあった諸国の国民のうち、日本国内に居住した人々の俗称で、敗戦後の一時期、主として台湾出身の中国人や、朝鮮人をさしていった言葉であることは事実。しかしこの言葉が、彼らを貶める差別用語であることは、いやしくも言葉の専門家であるベテラン現役作家のあなたならよーくご存知のはず。

その6
「北京五輪は1936年のヒトラーのベルリン五輪同様」

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い? いったいどこが同様なの? あなたの頭の中はどうなってるの?

その7
「フランス語は数を勘定できない言葉だから、国際語として失格しているもの、むべなるかなという気がする」(毎日新聞朝刊2004年10月20日)

明確でないものはフランス語ではない。とフランスの知識人は自国の言語を格別誇りに思っている。数字を勘定できないのにガロワはどうしてフランスの天才数学者になれたの?
おふらんすの学者たちは、あなたのことを軽蔑し、激しく怒っておるぞ。

 ああ、どこまで続くか慎太郎妄言録……

まあそんなこんなで、来る3月30日(金)夕刻、新宿西口に怒れる女性たちが総決起して、「ババア発言知事NO! 女性行動」を開催するそうです。
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by amadeusjapan | 2007-03-28 15:14 | エッセイ

ある丹波の老人の話(15)



第三話 貧乏物語その2

 私はありもしない金をはたいて牛肉をこうて親類の人々に集まってもらって相談に乗ってもらいましたが、叔父の一人は「おじじやおばばいうもんは縁のうすいもんじゃ。きょうだいとか嫁の親元とかで心配してもらいなはれ」などといって、結局構ってくれる者は一人もなく、かえってこんなことをしたのが仇となって督促はますますきびしゅうなり、ついに一部の債権者から財産を差し押さえられ、福知山からなんとかいう執達吏がやってきて、家財道具、畳、建具にいたるまで封印をつけてしまいよりました。

ところがこの執達吏は情け心のある人で「私は職務上やむをえずこんなことをやるが、あんたにはまことにお気の毒なことや」と、父の借金のために苦しんでいる私に思いやりのことばをかけてくれました。

これこそ鬼のおやだまはか、と恐れおののいていた執達吏にやさしく慰められたんは地獄で仏におうたほどうれしかったもんでした。

 しかしこんな惨めな身の上になってしもうた私は、もう到底故郷では生きてはいけんと思いました。

そうや、愛媛県に行こう! あそこでは蚕業界に多少は私の名前も売れているし、青野氏のような有力な知人もある。松山市には渡辺旅館という泊まりつけの宿屋もあるから、私たち夫婦をひと月くらいなら泊めてくれるやろう。その間に養蚕界にでも就職できるかもしれん。たぶんなんとかなるやろう…。

私は妻にもそんな話をして、夫婦で夜逃げをする決心をしました。
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by amadeusjapan | 2007-03-27 09:40

天気のいい音楽



♪音楽千夜一夜 第16回 

音楽評論家の片山杜秀氏が「レコード芸術」2月号に映画監督小津安二郎と斉藤高順の関係について書いている。

斉藤は小津作品のうち「東京物語」「早春」「東京暮色」「彼岸花」「浮草」「秋日和」「秋刀魚の味」の7作の音楽を担当していて、“フェリーニとロータ、ゴジラと伊福部、トリュフォーとドルリュに匹敵する”名コンビであった。

私は長らく小津映画の唯一最大の欠点は、その映像と無関係であまりにも楽天的なジンタ調の映画音楽にある、と考えてきたが、最近いや、かえってそのことがいやがうえにも小津の映像の深さを伝えているのではないかと思うようになったが、片山氏の論考はそのことをもっと掘り下げて考えていた。

また私は、これまで斉藤高順という人を無名に近い音楽家と勝手に想像していたのだが、それはとんでもない間違いであった。

斉藤は「海ゆかば」の信時潔の弟子で海軍軍楽隊に入り昭和47年には航空自衛隊航空音楽隊の隊長に就任、昭和51年には旧陸軍軍楽隊とつながりが深い警視庁音楽隊の隊長を務めるのである。いわばマーチやポルカの権威であった。

ここで映画の話に戻るが、そもそもサイレント映画には無声の画面を活性化するこのにぎやかな音楽が必須の味付けであった。

ところがトーキーが導入されると、同時録音の映像は脚本のドラマ性を表現し、登場人物の感情の起伏を十分に伝えるようになり、音楽は映像の内部に深く入り込んで、そのドラマツルギーをいっそう劇的に強調するようになる。

しかしトーキー時代に入ってもサイレント時代の映画作法、つまり映像だけがドラマツルギーを支え、音楽はそのドラマの枠外で映像を活性化する「劇伴」としてのみ機能することを望んだ小津は、自由で個性的な音楽作りを許さなかった。

片山氏は、そこにマーチやポルカの権威である斉藤の存在理由があったというのである。

私にとって小津映画のもっとも小津的な瞬間、

それは斉藤高順の軽やかな音楽が流れ、主人公の原節子が、専務役の佐野周二または佐分利信または山村聡または笠智衆を訪ねてくる、正午前の穏やかな日差しが当たっている丸の内のビルジングのロングショットに他ならない。

小津が願ったのは「いつも天気のいい音楽」であり、斉藤だけがその粗雑なようでいて深い思想が込められた注文に応えることができたのであった。
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by amadeusjapan | 2007-03-26 14:02 | 音楽

光と影



あなたと私のアホリズム その14

3月23日の日経の朝刊に、理化学研究所が人とマウスに共通する自閉症の遺伝子を発見したという記事が出ていた。

理研では対人関係や言語に障碍などを起こす自閉症と関連の深い遺伝子を発見、この遺伝子が欠損するマウスで自閉症に似た症状が現れたという。

これまで「自閉症の人間における遺伝子の発現異常」は3件見つかっていたが、「マウスと人間で共通する自閉症の遺伝子」が見つかったのは今回が初めてだという。

この研究は理研の古市貞一チームリーダーらが担当したもので、彼らは神経の栄養物質「BDNF」の分泌を調節する遺伝子「CADPS2」に着目。この遺伝子を欠損したマウスの行動を調べると体内時計の異常など自閉症の特徴的な症状が現れた。

そこで自閉症者の「CADPS2」を調べたところ異常が発見された。彼らは今後は「CADPS2」や「BDNF」を標的とする治療薬の開発などを検討するというのである。

これは自閉症者の長男を持つ私にとって30年ぶりの朗報であった。

現在でこそ自閉症は脳の器質障害、中枢神経系の機能障害としてひろく認知されるようになったが、一昔前は情緒障碍だとか、根暗の引きこもりだとか、精神病だとか、母親の育児方法の誤り(母源病)だとか、はては砂糖の摂り過ぎだとか、虚説迷妄が入り乱れて収拾がつかなかったものである。

当時、私たち自閉症の親は様々な病院を訪ねてこの難病の治療を捜し求めたのだが、どこへ行っても薬も対策案もなく途方に暮れたものだ。

溝の穴や水道の水やくるくる動くものなどある特定の事物や行為に固執する症児の行動を、矯正するのか(行動療法)、放置するのか(受容療法)についても学会の意見がまっぷたつに分かれ、親たちを戸惑わせた。

特に弊害が大きかった、と私が個人的に思うのは、神奈川県戸塚ドリームランド近辺にあった国立の某子ども自閉症医療センターである。

ここに勤務していた小児自閉症専門の担当医師は、いま振り返ればじつに時代遅れで、現在ではもっとも非科学的な母源病説を声高に唱え、「お母さん、この病気の原因はあなたの育て方が悪かったからです!」などと偉そうに抜かしていた。

あれからおよそ30年、理研の遅々とした、しかし障碍の本質に迫る科学的な研究成果を、あの自称自閉症専門家どもは、いったいどんな顔つきで読んだのだろうか?

私はしたり顔で中世さながらの「魔女狩り」ごっこを演じていたあの医師たちを、いまなおどうしても許せないのである。
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by amadeusjapan | 2007-03-25 16:22 | エッセイ

♪母上を偲ぶ歌



ある晴れた日に(3)

天ざかる鄙の里にて侘びし人 八十路を過ぎてひとり逝きたり

日曜は聖なる神をほめ誉えん 母は高音我等は低音

教会の日曜の朝の奏楽の 前奏無(な)みして歌い給えり

陽炎のひかりあまねき洗面台 声を殺さず泣かれし朝あり

千両万両億両すべて植木に咲かせしが 金持ちになれんと笑い給いき

白魚の如(ごと)美しき指なりき その白魚をついに握らず

そのかみのいまわの夜の苦しさに引きちぎられし髪の黒さよ

うつ伏せに倒れ伏したる母君の右手にありし黄楊の櫛かな
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by amadeusjapan | 2007-03-24 10:19 | 詩歌

♪いぬふぐりの花



遥かな昔、遠い所で 第8回


本日母五周忌につき母上の詠み給いし歌再録

 
1994年4月
散りばめる 星のごとくに 若草の
 野辺に咲きたる いぬふぐりの花
    
1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
 小さく青き 星にあいたく
                   
1992年5月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線

なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく

直哉邸すぎ 娘と共に
ささやきのこみちとう 春日野を行く

突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道

1992年7月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に

梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり

15,6年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて

色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに

あかあかと 師走の陽あび 山里の
 小さき柿の 枝に残れる

山あひの 木々にかかれる 藤つるの
 短き花房 たわわに咲ける

谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
 そのうすむらさきを このましと見る

うちつづく 雑草おごれる 休耕田
 背高き尾花 むらがりて咲く

刈り取りし 穂束つみし 縁先の
 日かげに白き 霜の残れる

PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
 次の世代に つがれゆきたし

もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
 娘のやさしさに ふれたるおもひ

うっすらと 空白む頃 小雀たち
 樫の木にむれ さえずりはじむ

1992年8月娘達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
 やがて消え行き ただ我一人

かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
 蕾色づく 頃となりたり

万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
 待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ

いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
 日毎におそく 秋も間近し

なかざりし くまぜみの声 しきりなり
 夏の終はりを つぐる如くに

わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
 鎌倉に見し そのほたるぶくろ

花折ると 手かけし枝より 雨がえる
 我が手にうつり 驚かされぬる

なすすべも なければ胸の ふさがりて
 只祈るのみ 孫の不登校

1992年11月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
 秋の陽をうけ かがやきて散る

おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
 想い出と共に こわされてゆく

老祖父と 共にくぐりし 古き門            
 想い出と共に こわされてゆく

1992年12月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
 あかりともして 心たらわん

築山の 千両の実の 色づきぬ
 種子より育てし ななとせを経て

手折らんと してはまよいぬ 千両の
 はじめてつけし あかき実なれば

師走月 ましろき綿に つつまれて
 ようやく棉の 実はじけそむ   「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花

母の里 綿くり機をば 商いぬと
 聞けばなつかし 白き棉の実

1993年1月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
 今日のひとひは 晴れとなるらし

由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
 孫の手にせる いぬふぐりの花

みんなみの 窓辺の床に 横たわり
 ひねもす雲の かぎろいを見つ

七十年 過ごせし街の 拡がりを
 初めて北より ひた眺めをり

今ひとたび あたえられし 我が命
 無駄にはすまじと 思う比頃

1993年2月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
 雀のさえずり 聞きてうれしも

次々と おとないくれし 子等の顔
 やがては涙の 中に浮かびぬ

くちなしの うつむき匂う そのさがを
 ゆかしと思ふ ともしと思ふ
                    「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両  花つける
 我庭にまた 億両植うるよ

命得て ふたたび迎ふる あらたまの
 年の始めを ことほぎまつる

おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
 くちなし匂う 朝を迎うる

炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
            

1993年9月
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
 おとないくれし 日もまだあさきに

拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
 花を見つけぬ 紫つゆくさ

拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
 ひそやかに咲く むらさきつゆくさ

水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
 ふじばかま咲き 秋深まりぬ

ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
 袋につめて 彼岸まゐりに

久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ

うめもどき たねまきてより いくとしか
 枝もたわわに 赤き実つけぬ

露地裏に 幼子の声 ひびきいて
 心はずむよ おとろうる身も

戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
 目には見えねど 梢に咲けるか

秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
 もみじ散りしく 庭のかたえに

なき人を 惜しむように 秋時雨

村雨は 淋しきものよ 身にしみて
 秋の草花 色もすがれぬ

実らねど  なんてんの葉も  あかろみて

病みし身も 次第にいえて 友とゆく
 秋の丹波路 楽しかりけり

山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
 きびしき秋の みのりを思ふ

いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして      雅子さんご成婚?

カレンダー 最後のページに なりしとき
 いよよますます かなしかりける

虫の音も たえだえとなり もみじばも
 色あせはてて 庭にちりしく

深き朝霧の中、11月27日 長男立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
 やがては深く 霧がつつみぬ
            
1994年4月
散りばめる 星のごとくに 若草の
 野辺に咲きたる いぬふぐりの花

この春の 最後の桜に 会いたくて
 上野の坂を のぼり行くなり

春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
 きほい立つごと 芽ふきいでたり

1994年5月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
 今坪庭に 花さかりなり

うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
 ひそと咲きたる じゅうにひとえ

あらし去り 葉桜となる 藤山を
 惜しみつつ眺む 街の広場に

級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
 アルバムくりぬ 友の顔かほ        「をちとし」は一昨年の意

萌えいづる 小さきいのち いとほしく
 同じ野草の 小鉢ふえゆく

藤山を めぐりて登る 桜道
 ふかきみどりに つつまれて消ゆ

登校を こばみしふたとせ ながかりき
 時も忘れぬ 今となりては

学校は とてもたのしと 生き生きと
 孫は語りぬ はずむ声にて

円高の百円を切ると ニュース流る
 白秋の詩をよむ 深夜便にて      「深夜便」はNHKラジオ番組

水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
 はじける花火 床に聞くのみ       「水無月祭」は郷里の夏祭り  

もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
 小さき秋の 気配感じぬ

打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
 背低きままに つぼみつけたり

衛星も はた関空も かかわりなし
 狂える夏を 如何に過すや         

草花の たね取り終えて 我が庭は
 冬の気配 色濃くなりぬ

つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに   

七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり
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by amadeusjapan | 2007-03-23 09:29 | 詩歌

黒川紀章の挑戦

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勝手に東京建築観光・第7回

建物と緑を切り分ける直線を避け、膨らんだガラス壁が波打つ…。

東京ミッドタウンの国立新美術館を設計した黒川紀章選手が、今度は都知事選に立候補した。

あの安藤忠雄選手とつるんでオリンピック大建築計画を打ち出したあほばか東京都知事、石原慎太郎に一矢報いようとでもいうのであろうか? 

いやあ老いてますますお盛んなことである。

さて建築家、黒川紀章の特質は、時流を見極め、それに乗じることが実に機敏であるということである。

現在安藤忠雄、隈研吾など多くの建築家がエコロジーと建築をにわかに結び付けようとしているが、黒川選手は、とっくの昔に彼のエコシティ構想によって河南省都鄭州市都市計画国際設計コンペで1等になった実績を誇る。

鄭州は北京から南西600kmの黄河流域の150万人古都であるが、山手線内側の倍以上の規模1万5000haを再開発し、旧市街に新都心を造っている。

800hの人口湖「龍湖」など緑と水が都心と融合する。そのコンセプトは、「生態回廊」と称するもので、各地域間に河川を巡らせて水上交通を盛んにし、岸辺には公園を作る。さらに一部の高層ビルを除いて高度15mに制限するなど、自然との共生をめざす大規模都市全体計画にすでに取り組んでいるのである。

表参道ヒルズひとつ作るのに保存と再生、住民と森ビルの合間でノーアイデアに陥ってしばし立ち往生した安藤選手なんか、ちゃんちゃらおかしくって、というところだろうか。

しかし時流に敏な建築家黒川紀章の原点は、やはり1972年に銀座8丁目に完成した集合住宅「中銀カプセルタワー」であろう。(写真)

すべての家具や設備を1つの箱に出来合いのパッケージとしてユニット化し、2本の鉄筋コンクリートのシャフトにボルトで接続したプレハブ住宅は、黒川と私が大嫌いな建築家、菊竹清訓が考案したメタボリズム=新陳代謝主義という思想に基づいて設計されたといわれている。

人間の体は60兆個の細胞でできており、その細胞は1秒ごとに1000万個が死滅して新しい細胞に生まれ変わっている。この有様をミクロで観察すると、人間は2ヶ月余りでまったく新しい存在に再生していることになる。

そこで時々刻々と変化する社会や時代に合わせ、まるで生物のように建築や都市を変化させよう、とするのがメタボリズム的な建築哲学、だそうだ。

しかし現地に立ってつくづくこのマンションを眺めていてもあまりメタボルな感じは沸いてはこない。むしろ黒川選手が本当に影響を受け、参考にしたのは、「現代のレ
オナルドダヴィンチ」といわれたバックミンスターフラー(R.BuckminsterFuller1895-1983)ではなかったろうか?

「最少のもので最大の効果を」、「グローバルに考え、ローカルに行動しよう」と唱え「宇宙船地球号」というコンセプトを創案したこの米国の建築家・数学者は、「最小の資源で最大の容積を確保できるフラードーム」の発明者でもあった。

東京ドームや木下サーカスのテントの下のオートバイ激走鉄球、さらにはフラーレンの構造にも似たそれは球体であったが、実はバックミンスターフラーは50年代からシンプルで機能的な矩形のプレハブワンルームの設計も世界にさきがけて取り組んでいた。

それを黒川選手が器用にパクッて日本流にアレンジしたものが、この中銀マンションではなかったかと、私は勝手に想像しているのだが……。

しかしモダンリビングの1典型として一世を風靡し、かつて私がこよなく愛したカプセルホテルの原器となったこの名建築も、寄る年波には勝てず、上下水の工事や補修にもはや対応できないという理由でまもなく取り壊されるそうだ。
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by amadeusjapan | 2007-03-22 11:38 | 建築

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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