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晴風万里

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続 心に残った言葉



♪バガテル op20 

乙羽さんとは「愛妻物語」で出会い、「原爆の子」で同志となり、男女の関係を結んだ。

この時わたしには妻子があり、乙羽さんは一生日陰の人でいいから、と全身を投げ出してきた。わたしは善良な妻を裏切ることに苦しみながら、これをうけた。乙羽さんが最初の妻、久慈孝子にそっくりだったからだ。

乙羽信子とは27年間男女の関係を続け、妻と離婚して、4年後その妻が亡くなり、その翌年結婚した。結婚生活は17年続いた。

去年、乙羽信子の13回忌を行った。

ここに乙羽さんがいるはずはないが、墓の前に佇むと、センセイ、と呼びかけてきそうな気がするのだ。

わたしは宗教を信仰していない。したがって霊というものも信じていない。しかし何処からか、センセイ、と呼ばれそうな気がするのが、わたしの宗教かもしれない。

乙羽信子の骨は、半分を墓の中に入れて、半分は「裸の島」の舞台となった宿祢島の海に撒いた。

乙羽信子の作品はどれもこれも忘れられないが、とくに「裸の島」は深く心の中にある。

肥桶を担いでください、と言うと何の躊躇もなく乙羽信子は「はい」と言った。

その担げもしない重い物を、乙羽信子は担いで坂道を上がって行ったのだ。

人は死んでしまうが、死なない人もいるのだ。

新藤兼人「私の履歴書」日本経済新聞
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by amadeusjapan | 2007-05-31 09:26 | エッセイ

心に残った言葉



♪バガテル op19 

宿祢島へ登る稲妻型の道は百五十メートルもあった。
この坂道を乙羽信子と殿山泰司は水をいっぱいに入れた肥桶を担いで毎日登ったのである。乙羽さんの肩は三度皮が剥けた。


乾いた土へ水を注ぐ。たちまち土は水を吸い込む。果てしなく水を注ぐ。
乾いた土とはわたしたちの心である。心に水をかけるのだ。水はわたしたちの心の水である。


モスクワ出発前にこの映画(裸の島)を岡本太郎に見せたところ、ラストに「しかも彼等は生きて行く」という字幕があるのを見て、こんなものを入れてはただのリアリズムだと言われ、即座にこのタイトルを取り除いた。
「裸の島」はただのリアリズムではないのだ。
新藤兼人「私の履歴書」日本経済新聞


小説は、何をどのように書いてもよい、ただ美しくなければいけない、というのが大庭(みな子)さんのよく口にする言葉だった。
その、美しい、という語に独特の強い響きがあった。
大庭さんの生は美しかった、とお別れの言葉をおくりたい。
            黒井 千次 日本経済新聞
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by amadeusjapan | 2007-05-30 09:20 | エッセイ

ある丹波の老人の話(24)



第四話 株が当たった話その5

郡是は翌大正5年には100万円近い大もうけをして一挙に頽勢を挽回し、5月には優先株を抹消して資本金が200万円となり、将来の大飛躍が約束されて株価はグングン上がりました。

これはまったく波多野さんの手腕と徳望のしからしむるところ、私の予想はぴたり的中したわけです。

 大正5年3月の郡是株主名簿を見ると、3千余の株主中私は第25位の大株主になっておりました。

といっても私の持ち株はわずか78でしたが、このときの郡是はまだ何鹿郡以外には進出していない時期でして、私以上の24人の株主といえば、波多野さんをはじめ羽室家一党の人々、地方の素封家ぞろいです。

私などとは提灯と吊り鐘、月とスッポンの違いでした。

昨日まで借金取りに悩まされて日本一の貧乏人と思っておった身で、いったいこんなことでよいのだろうか? と私は迷いに迷い、波多野さんのところにお礼かたがた相談に行ったんでした。

すると波多野翁は、ありあわせの紙に「宥座の器」の絵をお描きになりました。

「宥座の器」というのは荀子の「宥座篇」に出ておりますが、魯の国の恒公の廟にあるもので、孔子がこれについて教えを垂れております。しかし波多野翁はおそらくその愛読書の「二宮翁夜話」に出ている記事からこの教えを述べられたんではないかと思っとります。

波多野さんは、私にこうおっしゃいました。

「この器は平生は傾いておる。水を注いで半ばに達すれば正しくまっすぐになる。しかしあおも注いで一杯にすれば覆ってしまう。君も自分の財産との釣り合いを考えてほどほどに株をもっとればよろしい。私などはしょうことなしに今度はぎょうさんの株をもたされて払い込みの準備などあるわけでなく、まったくこまっておる。君もいつ払い込みがあっても構わぬ程度の株をもっとるのでなくてはいけない」
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by amadeusjapan | 2007-05-29 09:16

宮城谷昌光著「風は山河より第4巻」を読む



降っても照っても第18回

織田信長は桶狭間の奇襲で今川義元を屠った。

しかし義元の後を継いだ氏真の手で愛妻を惨殺された菅沼新八郎は暗愚残虐な今川を見限って源氏新田家の末裔である「得川」家康の陣につく。

掛川城に籠った氏真を東からは家康が、北からは武田信玄が衝くがそのとき武田を北条氏が圧迫したため信玄は身動きできなくなる。

その間に家康は行政手段を駆使して氏真と和議を結び、その結果小田原に退いた今川家はここに亡ぶことになるのである。

宮城谷版三河、遠江、尾張三国志はいよいよ最終巻へ。じゃんじゃあん!
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by amadeusjapan | 2007-05-28 18:01 | 読書

♪内田光子のモーツアルトの20番



♪音楽千夜一夜第22回


去年の大晦日にベルリンで行われたシルベスターコンサートのヴィデオを今頃になってようやく見た。

ベルリンフィルのシェフがアバドの頃は年に一度のこの演奏をテレビで見るのを楽しみにしていたが、ラトルになってからは初めてである。アバドについて悪口を言う人も多いが、私が嫌いな小澤よりは遥かに優れた指揮者だし、少なくともサイモン坊やに比べたらよほどまともな棒振りである。大患後の最近のルツエルンでの活躍がそれを証明している。

06年12月31日夜の演奏曲目はシュトラウスの「ドンファン」とモーツアルトのピアノ協奏曲20番と同じシュトラウスの「薔薇の騎士」最終幕の大詰めの抜粋(もちろん演奏会形式による)である。

ドンファンは思った以上に凡庸な演奏だし、薔薇の騎士もカラヤンやクライバーの足元にも及ばぬ、味の薄い、とってつけたような演奏だったが、圧巻は内田光子のモーツアルトの演奏だった。彼女がジェフリーテートの指揮でピアノコンチエルトの主要曲を録音したのは聞いていたが、このライブは素晴らしいききものであった。

当夜の内田光子は、見た目も、その内面も、おどろおどろしい女夜叉そのものであった。

序奏が開始されるやいなやピアノのうえで激しく身をよじりながらリズムを刻み、自分のテンポを取る。そしてその激烈なパッションと異様な光を放つ目の輝きと豹のようなすばやい身のこなしでベルリンフィルの面々の耳目をひきつけ、管弦楽の伴奏のイニシアチブをあっという間にラトル坊やから奪ってしまった。

そうしてそのあとは、さながらモーツアルトの再来、音楽の卑弥呼女王と化した光子女帝の生きるか死ぬか、獅子奮迅の真剣勝負のバトルが繰り広げられたのである。

とりわけ第2楽章のはじまりは、満員の聴衆が息をのむような繊細さで、録画録音とはいえ思わず涙腺が緩むのを覚えるほどの素晴らしさであった。

美しくもまた恐ろしい夜叉は、ラトルの頭越しにオーボエ奏者を召還し、甘美な愛の対話を繰り返しながらあほばかラトルが無神経に鳴らそうとする弦を、その女神アテナの如き黄金の光る目で射すくめ、最弱音に押さえつけるのだった。

このようにしてモーツアルト・イヤー掉尾を飾る劇性を秘めた小さなオペラの演奏が終ったが、私は当代最高のモーツアルト弾きの演奏の切れ味の鋭さに圧倒されながらも、かのクララ・ハスキルの優美なモーツアルト演奏を懐かしく思い出していたことだった。
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by amadeusjapan | 2007-05-27 13:51 | 音楽

銀座和光本館よ、永遠なれ



勝手に建築観光・第15回


銀座の代表的建築といえば文句なしに服部時計店の時計台だろう。明治28年建設の初代時計台を1932年(昭和7年)に立て直したものが現在の銀座和光本館であろう。

テラコッタではなく自然石を使用したその堂々たるたたずまいは、銀座のランドマークにふさわしい。お向かいの三越と一線を画して、壁面に醜悪な屋外広告を垂らさない見識もこの由緒ある街にふさわしい。

もし銀座からこの素晴らしい建築がなくなったならと考えただけでぞっとする。

ところが、その歴史的名建築が75年ぶりに全面改修されるそうだ。

発表では、「外観は維持しつつ耐震性を強化し、内装を一新す」のだそうだが、04年の10月に三井不動産がめちゃめちゃにした福沢諭吉ゆかりの日本最初の社交クラブであった銀座交詢社のようなひどいことにならないかと心配だ。

余談ながら、私は交詢社の1階の広いフロアの右奥から差し込む日差しを浴びながら、遅い昼食をとるのが楽しみだった。

さて、歴史建造物を一部保存活用する手法は、交詢社や表参道ヒルズなど各地で多用されているが、それは結局は気休めであり、デベロッパーの乱開発の免罪符に過ぎないことを私たちは肝に銘じておくべきだ。

それにしても松坂屋と組んだかの悪名高き森ビルが、銀座中央通に百数十mの超高層ビルを建設しようとするアホバカ計画が、銀座百店会などの反対で挫折したことは、銀座と我が国の建築文化にとって格別に慶賀すべきことだった。
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by amadeusjapan | 2007-05-26 13:55 | 建築

拝復 神奈川県知事 松沢成文殿




先日は小生が神奈川県の「わたしの提案」に投書した民間社会福祉施設運営費補助金の問題について、さっそく懇切なるご回答を頂戴し誠にありがとうございました。

回答の文書を再読しましたが、どうもその趣旨がよく分かりません。再度お尋ねいたしますのでなにとぞよろしくお願いいたしまします。

『今後の施設は、重度・重複障害者等にとっての住まいの場としての機能に加え、レスパイトをはじめとする地域社会へのサービス提供機能など、地域で暮らす障害者への支援機能が求められています』
 という県と知事の考え方は理解できますが、

『そのため県の支援についても、施設内での障害福祉サービスだけではなく、施設が持っている障害者支援のノウハウや施設機能を活用し、多様なニーズに沿ったサービスを提供することを目的に、「障害者地域生活サポート事業」を従来の「民間社会福祉施設運営費補助金」の一部を転換するかたちで平成19年度より実施することとしています。』
というのは具体的にはどういう意味でしょうか? 要するに補助金は継続されるのですか? それとも補助金はカットして他の用途に振り向けるということなのですか? 
恐れ入りますが、その点を明確にしてその理由とあわせてご回答いただけたら幸甚です。

私は、今般の障害者自立支援法によるサービスの再編、精神障害を含めた三障害の一元化への対応を図るため、施設の機能の転換が求められ、障害者福祉サービス全体の変革が進むとしても、県が今後とも時代の変化に対応した施設機能への支援を継続していきたいとお考えになる以上は、少なくとも現在の民間社会福祉施設運営費補助金は削減すべきではないと考えます。

松沢知事は、障害者自立支援法施行後の県の社会福祉施設を実際にあなた自身の目で観察されたことがおありですか? 

障害者自立支援法は名前だけは立派でも、社会的な競争に耐えられない障碍者や障碍施設に対して強者や健常者との競合・競争を強いる法律です。

重度の障碍者に対しても街頭に出よ、生まれながらの障碍などはなかったことにして、「自分で自立して、健常者に伍して自活せよ」と命じる法律です。

金儲けなどにはとんと不向きで、ひたすら障碍者の介護と真の自立支援に献身してきた多くの勇気ある慈悲深い社会福祉スタッフの方々の働く意欲を減退させ、賃金を切り下げ、待遇を悪化させ、更なる労働強化に駆り立て、あまつさえ社会福祉とは無縁の副業に向かわせて肝心の福祉施設の本業をおろそかにさせてしまう素敵な法律です。

実際に私の息子が通っている大和市の通所施設では、障害者自立支援法の適用によって施設の収入を増加させて経営基盤を強化?する必要に迫られた施設長がとつぜん豆腐屋を始めると言い出しました。商売の素人が1個250円もする豆腐を売り出して誰が買うというのでしょうか。スーパーや生協ではその半額で売られているというのに…。

障害者自立支援法のお陰で、いま全国の施設では、豆腐屋のみならずスポーツやダンスやカルチャー教室など武士の商法ならぬ福祉のにわか商法が大流行です。

うまく行ったらお慰みですが、その大半が無残な失敗に終り、儲かるのは経営コンサルタントだけという無残な結果に終るのは目に見えています。

知事もよくご存知のように、社会福祉施設は社会の弱者をケアするのが本業です。金儲けを目的とする私企業ではありません。

それなのに国や県は施設への補助金をどんどんカットしておいて、職員の給料を増やしたいならもっと福祉の商売を上手にやりなさいと冷たく突き放しています。

そこで商売など生まれてから一度もやったことのない施設長が畑違いの副業に乗り出し、介護のプロや社会福祉士たちに慣れない豆腐作りを命じ、不毛な労働が強化されて心ある優秀な職員が絶望して施設を去り、そのために肝心のケアやサービスがいっそう低下し、施設も人も疲弊するという悪循環が繰り返されているのです。

改めて松沢知事にお尋ねしたいのですが、このような前代未聞の窮状に追い込まれ、危急存亡のときを迎えつつある県下の社会福祉施設の補助金をどうしてカットされるのですか?

ご多用中とは存じますが、諸事情ご賢察のうえ再度ご回答いただきますよう謹んでお願い申し上げる次第です。                          再拝
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by amadeusjapan | 2007-05-25 14:50 | エッセイ

川本三郎著「名作写真と歩く昭和の東京」を読む



降っても照っても第17回


昭和の名建築がどんどん姿を消しているなかで、著者は名カメラマンが遺した名場面をダシにしながら、昭和の懐かしい記憶を思い出の玉手箱の中から一つひとつ取り出してきてはいとおしむように語る。

新宿副都心に一変した淀橋浄水場も忘れがたいが、1969年1月19日の東大安田講堂前の写真、わけても同年10月21日の国際反戦デーの夜、東大全共闘の隊列の中にいた現マガジンハウスの編集者平沢豊氏が、新宿伊勢丹会館の前でシャッターを切ったブレブレの1枚が鋭くわが心を深くえぐる。

著者が語るように、30年前の若者は、己を否定するなかから新しい道を探そうとしたが、いまの若者は、己を肯定するなかから前進を模索しようとしているようにも見える。

さうして、いずれもおんなじ馬鹿者なのであらう。
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by amadeusjapan | 2007-05-24 08:39 | 読書

五木寛之著「林住期」を読む



降っても照っても第16回


 古代インドでは人生を、「学生期」(青春)「家住期」(朱夏)そして「林住期」(白秋)「遊行期」(玄冬)の四期に分けていたという。

著者によれば、「林住期」とは50歳から75歳までの社会的なつとめを終えた人の自由時間、人生の真の収穫期であるという。ほんまかいな?

 もっともそんなことは昔からブッダが唱えていたことではあるが、屁異性の語り部かつ平成の憑依であらしゃいます五木寛之先生が、行く川の流れのごとくとうとうと語り尽くされたありがたきお言葉どもであるぞよ。

まあどうってことはない軽い本ですが、終わりのほうに粛然と衿を正して聞き入るほかない言葉があった。

 ソ連兵が進駐してきた敗戦直後のピヨンヤンでは、日本帝国軍隊に取り残された日本人たちがソ連の兵隊の要求に応じて女性の慰安婦を「人身御供として」差し出していた。

そこで著者がいう。

『皆がそんな話をあまりしないのは、自分たちが人身御供を差し出して生き延びて帰ってきたうしろめたさからだろうか。戦場の悲惨は小説にも書けるが、こういうことを物語にするのは許せない気持ちが自分にはある。特攻隊の物語は感動的だが、たとえ強制されたものだったにせよ、銃を持って死んだものは兵士として戦死したのだ。それはどんなに悲惨であっても名誉ある死とみなされる。映画になったり、神社に祭られたりもする。しかし、本当の戦争の悲惨さは、銃を持たなかった人間、一般人たちの体験だと思う。それを潜り抜けたものたちがみな口をとざして語ることができないような出来事こそ戦争の本質なのではあるまいか。
そんなことがかさなるうちに、やがて「世の中は思うようにならない」という信念のようなものが、いつのまにか根を下ろして私の中に定着してしまった。』

この苛烈な戦争体験が、どこから眺めても軽佻浮薄にしか見えないこの作家の根っこに鬱病のように巣くっているのである。
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by amadeusjapan | 2007-05-23 14:43 | 読書

レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳「ロング・グッドバイ」を読む



降っても照っても第15回


チャンドラーが65歳でものした代表作の村上春樹ヴァージョンである。

かつての清水俊二氏の「長いお別れ」と比べてずいぶん部厚いな思っていあたら、なんと清水訳は抄訳だったらしい。ずいぶんデタラメなことをするものだ。そんな話は初めて聞いたぞ。

しかし完全訳だろうが抄訳だろうが、本書の構造じたいはまったく変わらない。

探偵のフィリップ・マーロウは相変わらずタフだし、事件の全貌は相変わらず曖昧模糊にして五里霧中。いちおうの犯罪のプロットはあり、暦とした犯罪事件は起こり、残虐な死体の1つや2つはごろごろ転がり、チャンドラー好みの政財界の大物からマフィアから謎の医師や弁護士や出版プロデューサー、ヤクザにチンピラにボディガード、謎のブロンド女やマーロウの運命のファムファタールまで陸続と面妖な人物が登場する。

だが、それがどうした。その犯罪の本質ははじめから終わりまで杳として最後の最後まで読者に知らされることは無い。

確かに犯罪者は登場し、犯罪は起こる。しかしその犯罪の動機や必然性は明確に描かれることはない。それなのに犯罪を構成する人物のデテールだけが異様に精確に描かれている。

人物が登場するたびに、チャンドラーは舌なめずりしながら彼らの姿かたちを鮮やかに描写する。彼らはドラクロアの登場人物のように強烈な光線を浴びてくっきりとして輪郭をしている。

しかしそれは犯罪の全体構造とは内的な関連をもたない。つまり事件は小説の舞台フレームとして仮に設定されているに過ぎない。

とみるまに、またしても絶世の美女が暗い部屋の片隅で全裸になり、マーロウを誘うと、我らが探偵は「まるで牡馬のように」なっちまうのであるが、このマーロウやアイリーン・ウエードの内面性はどのように描かれているのだろうかと調べてみると、ようわからんのである。

いったいマーロウが何を考えているのか、彼らの人生の喜びや悲しみや価値観は奈辺にあるかがてんでわからないのである。

つまりチャンドラーはプロットなどはどうでもよく、その瞬間ごとの人物たちのリアルな外形だけに関心があった。

マーロウやアイリーン・ウエードやテリー・レノックスたちはすべて能面冠者であり、彼らの内面は戯作者であるチャンドラー自身の内面に格納されている。かくして全体は最高に虚妄でありながら、部分部分は最高におもしろいという世にも不思議な物語が完成したのであった。

チャンドラーは「生命を有している文章はだいたいは“みぞおち”で書かれています」)村上春樹訳)と語り、生涯そのとおりに実行した作家だった。
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by amadeusjapan | 2007-05-22 09:25 | 読書

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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