晴風万里

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2008年卯月茫洋詩歌集



♪ある晴れた日に その26

春の宵近江の牛を食べにけり

蟷螂の斧振りかざす春の宵

修道女の瞑想破る太刀嵐

桜花一輪拾いて水に浸す

桜咲く今朝の女の薄化粧

これ鶯 ホ長調で鳴いてみよ

ト短調で歌うなハ長調で歌え

景時の行方はいずこ鯨殿

こんな東京に誰がしたんだと慎太郎言い

人間を辞めたしと思うこと多し今日この頃

新築減り仕事なくなりし甥っ子の心配す

君、そういうことじゃなくて毎日新しい歌を歌うことだよ、下手くそでもね

流れている水の中ではオタマは育たない子供も同じである

ここからは進入禁止と5人組何事にもタブーはあるぞ

ランクル、オートバイは進入禁止おいらは太刀洗5人衆

戯れに歌など詠めばひょいと出るその地金のおぞましきことかな

漠然とした不安なんぞで死んでたまるか死ぬわきゃねえぞ芥川

ヘルメットに棍棒握って武装せしわが手が握りし黄色な檸檬

左手に棍棒、右手に檸檬を握り締め佐藤訪ベトを阻止するぞわれ

一夜にして百花落ち一朝にして百花咲けり

わが庵の天井の木に巣食いたる白色腐朽菌夜な夜な増殖す

ある日の午後妻に別れを告げに来し瓦斯屋の青年故郷で縊る

健常の人を生涯妬みつつなお障碍の人とおるかな

嗚呼遂に我が家は40アンペアになりはてぬ25年間30アンプなりしに

噎せ返る馬酔木の香りに包まれてかの日藤山で捕えしあの岐阜蝶よ

噎せ返る馬酔木の香りに包まれてわが捕えしギリシアの妖精

にょろにょろとたたみのうえをはう蛇を座布団かぶせて捕らしはうちの健ちゃん

しゃがたんぽぽすみれなのはなちゅーりっぷしろやまぶきけふわがにわにさけるはなばな

お前などに今日もお気持ち爽やかにお過ごしくださいなどど言われたくないわい 与黒田某

新築の大工仕事が減りましたと甥っ子はけなげに耐えて春を待ちおり

一晩中寝ながら短歌を詠んでおったが朝になるとすべて忘れてしまった
 
そよ風は湿生花園を駆け巡り箱根連山雲湧き起こる

紺碧の空の彼方に何がある翔る男にわれもなりたし

一輪草二輪草てふ白き花おなじ姿で寄り添いにけり

空や木や山を冷たく映せる池ありてシュレーゲルカエルしげく鳴きたり

近づけば両の腕大きく空に広げいまわれを抱かんとするシデコブシあり

柔らかきロストビーフ喰らう吾子を見るこれぞわが生涯最良のときかな

シャガールをシャーガルと言うヤクザが出る日本映画をもう一度見たし 於ポーラ美術館

寝んねぐーして死んでしまえればこんな楽なことはない寝んねぐーする


♪俳句は断想であり短歌は私小説である 茫洋
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by amadeusjapan | 2008-04-30 22:40 | 詩歌

吉田秀和著「永遠の故郷 夜」を読む



照る日曇る日第120回&♪音楽千夜一夜第34回

朝の授業のために湘南新宿ラインに乗りながら、この本を読んでいた。

小林多喜二がビオラを弾いて著者の母上のピアノとデュオを組んだ話、同じ小樽での年上の女性との初めての接吻、大岡昇平の愛したクリスマスローズの花が吉田邸の庭に植えられていることなど数々のエピソードの花束によって飾られた心に染み入る珠玉の随筆である。

鼓膜の中いっぱいに楽の音が満ち溢れ、泣きたくなるような感動が押し寄せてきたのは、「4つの最後の歌」という短編を読んでいるときだった。

1954年、著者はミュンヘンでこの曲の初演をなんとゲルハルト・ヒッシュと中山悌一に挟まれてリサ・デラ・カーサの独唱、ヨーゼフ・カイルベルトが指揮するミュンヘン・フィルの演奏で聴いたという。ああ、なんという夢のような組み合わせだろう!

「4つの最後の歌」はご存知のようにリヒアルト・シュトラウスの文字通り最後の作品であり、歌曲は世に数々あれど、この本で吉田さんが紹介しているヒューゴー・ヴォルフやブラームスよりも私が愛惜措くあたわざる古今の絶唱である。
著者が評しているように、意識の明確さと幻想の深さ、驚くばかりの輝きと闇が、そして生と死が絡み合う比類のない高みに達した崇高な芸術作品である。

その日そのときの演奏が、時空を超越して吉田さんの心の奥底から突如として沸き起こってくる。そうして私たちはもはや最後の日も遠くないことを自覚している著者とともに、天才作曲家の文字通り最後の4つの挽歌をひとつひとつ聴いていくのである。

第1曲は「春」、第2曲は「9月」、第3曲は「眠りにつくに当たって」はいずれもシュトラウスを憎んでいたヘルマンヘッセの作詞であるが、ナチスに肩入れしていた疑惑の作曲家は、善悪を超越した此岸から彼岸にかかる渡り橋の真ん中で、現世への最後の一瞥をくれたのである。ヘッセもって瞑すべし、ということでもあらうか。

吉田さんは第4曲「夕映えの中で」のアイヘンドルフの原詩を翻訳して示す。

おお、広々と静かな安らぎ、
夕映えの中で かくも深く
私たち 何とさすらいに疲れたことか
もしかしたら、これは、死?

そして変ホ長調、アンダンテ、4分の4拍子で生まれ、最後の15小節で再び変ホ長調に戻って永遠に終息した死と美が共存するこの美しい音楽のスコアを、自らの手で書き写しながら、吉田さんはリルケの詩を思い出すのである。

何故ならば、美は私たちの耐えられる限りでの
恐ろしいものの始まりにほかならないのだから (『ドゥイーノの悲歌』

吉田さんは、なぜ死への憧れを歌う音楽がかくも美しくあるうるのか? 美しくなければならないか? と自問し、次のように答えている。

―なぜならば、これが音楽であるからである。死を目前にしても、音楽を創る人たちとは、死に至るまで、物狂わしいまでに美に憑かれた存在なのである。そうして、美は目標ではなく、副産物にほかならないのである。彼らは生き、働き、そうして死んだ。そのあとに「美」が残った。美はその過程の中で生まれてきたあるものでしかない。(中略)セザンヌ最晩年の農夫の肖像を見るがいい。彼を囲んで黄と緑と深い青と濃い茶の光と闇とが入り混じり、音もなく燃えている。セザンヌは何を描いたのか?「もしかしたら、これが死?」

というところで、吉田さんの筆は突然書くことをやめ、それから私の心の中であの懐かしいIm Abendrotの演奏が鳴り響いたのだった。

おかげで私の講義は無残なものだった。しかし、音楽について語る数ページが、その音楽そのものを、無上のよろこびと無限のかなしみとを2つながらに伴いながら、オケと歌手と指揮者もなしに、私の魂の中でいきいきと立ち上がらせるとは、なんという書き手であることか!

「あとがき」のなかで吉田さんは、「歌曲とは心の歌にほかならない」とハイネの言葉を訳しているが、「永遠の故郷 夜」というこの本自体も、隅から隅まで吉田さんの「心の歌」にほかならないのである。

 
漠然とした不安なんぞで死んでたまるか死ぬわきゃねえぞ芥川 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-29 18:52 | 読書

トルーマン・カポーティ著「ティファニーで朝食を」読む



照る日曇る日第119回

イカの次はなぜか宝石である。

私はいまのところオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」という映画がいちばん好きで、グレゴリーペックとの別れのシーンを見るたびに嗚咽せざるを得ない人なのだが、そんな素敵な映画に主演したヘプバーンが出ているというのでついでに「ティファニーで朝食を」という映画を見たら、それは「ローマの休日」には及びもつかない奇妙な映画で、まあ失敗作といってもいいのだろうが、ゆいいつアパートの窓辺でヘンリー・マンシーニの「ムーンリバー」をギターで弾き語りする小鹿のバンビのようなオードリーの可憐な声と姿だけが記憶に留められた。

「ティファニーで朝食を」の原作がトルーマン・カポーティというアメリカの人気作家の小説であるということは知っていたが、最近私はいまごろになって村上春樹の翻訳で初めてこれを読んだ。するとこれが思いのほかに面白かった。じつにうまく書かれた小説であった。

マンハッタン中の男どもの魂をわしづかみにしたこの小説の女主人公ホリー・ゴライトリーの天衣無縫の魅力は、当たり前の話だが原作のなかでは光彩陸離と輝き渡っている。しかし映画のなかでは、小鹿バンビオードリーがそれなりにファニーであるだけで、それ以外にはなにもない映画といってもけっして過言ではない。

原作のなかでのカポーティは、なぜかフィッツジェラルドやへミングウエイにも似ている。手を伸ばせば届きそうなところにある宝石を心の奥底で追い求めながらもついに手中に収めることのできない男の悲しみの物語が切ないまでにリアルに描き出されている。

それでうれしくなって「ティファニーで朝食を」と一緒に収められている「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」という3本の短編も読んでみたら、これが「ティファニーで朝食を」よりもよく出来た小説だったのでまた驚いた。
この調子なら昔途中で投げ出したこの人の「冷血」とか「遠い声、遠い部屋」も読みとおせるかもしれない。

もっとも「ティファニーで朝食を」とるというフレーズは、小説のなかではなにがなくほんの1小節しか演奏されていないのに、それをタイトルにしたのは不可解である。ティファニーからタイアップ料金をもらっていたからではないかとさえかんぐられるが、この題名であればこその大ヒットであったのかもしれない。

♪寝んねぐーして死んでしまえればこんな楽なことはない寝んねぐーする 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-28 20:02 | 読書

中沢新一・波多野一郎著「イカの哲学」を読む

照る日曇る日第119回

チョウの続きは、イカの話である。

「ある丹波の老人の物語」の主人公がその生涯で最も大きな影響を受けた偉大な実業家にして宗教家、それが郡是を創業したクリスチャンの波多野鶴吉であったが、本書はその翁の孫である波多野一郎氏の遺著「イカの哲学」を再発見した中沢新一による絶対平和論への試みの書である。

特攻隊の生き残りで戦後ソ連の炭鉱で4年間の強制労働に従事した波多野氏は、米国スタンフォード大学でプラグマティズムを学んだ在野の哲学者であった。そして氏は大学の夏休みにカリフォルニアの風光明媚なモントレーの海(私の懐かしき曾遊の地、あんな土地に住んでみたいものだ)で取れたイカの冷凍加工アルバイトをしながら彼独自の生命哲学を体得するのであるが、著者は彼の「イカの哲学」の中に人間のみならずイカやさまざまな動植物の生命価値をヒトと同等に尊重する絶対平等絶対平和の思想を見出し、それが21世紀の人類と地球の運命を変える可能性を秘めていると説くのである。

せんじつめれば、人間中心主義による通常の平和論では人間の遺伝子に内蔵された戦争を発現せざるを得ないが、「イカ中心主義」に立脚し、知性と生命あるものすべてが、生ある森羅万象の生命の実存のかけがえのなさを体得すれば、戦争を不可能にする契機を見出すこともあながち不可能ではない、というのが波多野哲学のいちばん大切なポイントではないかと私は思った。

基本的には金子みすゞの「大漁」や宮沢賢治の「ヨダカの星」「銀河鉄道の夜」の世界に通底する大悲・大慈の思想ではないだろうか。

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう

この金子みすゞの視点である。

油の乗り切った当代一流の思想家が、ジョルジュ・バタイユのエロチシズム論を引用したり、生物学の知見やら卓抜な比喩や飛躍など次々にお得意の知的な装置を繰り出して、波多野氏の簡潔な著作を重層的に深読みしていく手際はあざやかだ。

けれども、中沢ファンとして人後におちないと自負するわたしではあったが、あまりにも性急かつ激烈で我田引水が過ぎるように感じられる彼の熱弁に耳を傾けているうちに、重い主題をわざと軽やかに取り扱い、絶妙なユーモアとウイットのセンスを生かした原著者の熟した心根がどこかでおいてけぼりにされているような気持にさえなってしまったのは自分でも思いがけないことだった。


♪しゃがたんぽぽすみれなのはなちゅーりっぷしろやまぶきけふわがにわにさけるはなばな 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-27 12:10 | 読書

日本と中国の今昔 鐘江宏之著「律令国家と万葉人」を読んで



照る日曇る日第117回

前回に触れたように、本書のテーマは倭と中国、日本と中国の濃密な関係である。

全体的には当初朝鮮半島の百済、新羅、高句麗の影響を受けていた当時の倭、後の日本が、701年に制定された大宝律令の頃から次第に東アジアの先進国である中国のダイレクトな影響下におかれ、政治・経済・社会のみならず都市づくりや生活文化のすべての面で積極的に模倣していくプロセスが描かれているが、まことに歴史は3度くらいは平気で繰り返すものであり、本書がこれからのわが国の行く末を示唆しているよう気がして思いは複雑である。

遣唐使などという制度にしても、もちろん留学生が先進国に学びに行くのであるが、本当の目的は20年に一度の朝貢外交であったことを忘れてはいけない。

天平勝宝の遣唐使が元日朝賀に参列したとき、日本の席順が新羅、吐蕃(チベット)、大食(イスラム帝国)の次であった。そこでわが副使の大伴古麻呂が当時わが国に朝貢していた新羅が上位にあることは受け入れ難しと唐に猛烈に抗議した結果、新羅の外交官が席を譲ってくれたために面目を保ったそうだが、世界最大のグローバル唐帝国における当時のわが国のポジションを微妙かつ悲喜劇的に示す逸話として興味深い。私の目にはこのプライド高い外交官、大伴古麻呂は国際連盟を脱退した松岡外相にほぼ重なる。

また現在オリンピックのみならず、政治、経済、軍事各界で大活躍の中国も、かつてのおのれがチベットをどのように厚遇していたのかを、静かに胸に手を当てて思い出してほしいものである。

しかし日本という国は古来けっして排外主義には侵されておらず、百済、任那、高句麗、新羅などからのあまたの渡来人たちを積極的に受け入れ、平和的に共存を図った。桓武天皇の27人の皇妃のうち6人が渡来人であり、ここから東漢氏、坂上氏、百済王氏などの政治的貴族が輩出したのみならず、私の郷里の先住民である秦氏など衣食住、生活文化全体をリードする無数の高等技能集団を全国に帰化させたのである。

♪紺碧の空の彼方に何がある翔る男にわれもなりたし 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-25 08:30 | 読書

箱根旅行



♪ある晴れた日に その25

そよ風は湿生花園を駆け巡り箱根連山雲湧き起こる

一輪草二輪草てふ白き花おなじ姿で寄り添いにけり

空や木や山を冷たく映せる池ありてシュレーゲルカエルしげく鳴きたり

近づけば両の腕大きく空に広げいまわれを抱かんとするシデコブシあり

シャガールをシャーガルと言うヤクザが出る日本映画をもう一度見たし 於ポーラ美術館

柔らかきロストビーフ喰らう吾子を見るこれぞわが生涯最良のときかな 
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by amadeusjapan | 2008-04-24 11:42 | 詩歌

倭から日本へ 鐘江宏之著「律令国家と万葉人」を読んで



照る日曇る日第116回&ふあっちょん幻論第19回 

小学館から出ている「日本の歴史」シリーズの第3巻飛鳥・奈良時代編であるが、先の2巻と同様最新の学説や知見が随所に盛りこまれており、なかなか勉強になる。


本書では、5世紀から8世紀までの倭と日本の歴史を振り返りながら、特に中国との相関関係についてくわしく述べている。

例えば国家権力にとって重要な人民の時間管理の道具である暦にしても、百済経由の中国暦の丸投げが長い間使用され、日本が独自の暦を持つのは17世紀末の渋川春海による貞享暦の完成を待たなければならなかった。

判子も中国の文化で、日本がこれを体系的に導入したのは、邪馬台国から500年近く遅れてであったという。それが平成のいまになっても存続していることに驚くほかはない。

7世紀の後半の白鳳時代になると、飛鳥時代に朝鮮半島を経由して中国から移入された仏教が隆盛し、地方の豪族たちは郡家と寺院をセットで建立することに血道をあげるようになる。仏教は宗教のみならず当時の最新先端知識や科学技術を満載した総合文化であったから、彼らはその受け皿としての寺院を用意せざるをえなかったのである。

火葬もこの頃の仏教ブームに伴って行なわれるようになり、大宝2年702年、持統太上天皇がはじめて彼女の意志でこれを敢行した。

ファッションについても中国の影響が大きく、パリやミラノやニューヨークではなく、唐風アラモードがおしゃれなスノッブたちを圧倒的にリードした。

大宝律令における位階と服制もこの唐風を全人民に強制しており、当時の人々が上着を左前にして着ていたのを唐風の右前にしようとしたが、なかなか定着しなかったそうだ。
当時の人々は麻布製の下着と上着をいずれも2ピースで男女とも身につけ、季節に応じて重ね着していたようだが、それまでの国風のステテコのようなボトムを、中国風の袴に変更せよとの大宝律令の通達に対しても抵抗があったようである。

このように7世紀まで朝鮮半島を向いていた倭人たちの意識は、大宝律令の施行と同時にいっせいに中国標準に切り替えられ、すべてにおいて中国を視野に収めたグローバルな世界観が確立していった。

倭が日本へと変身したのは8世紀の初頭で、ちょうど「日本書紀」が編纂されていた国史創生の時代である。7世紀における東アジアの激動が、倭の国家整備をうながし、その過程で芽生えた国家意識が、日本という国号を誕生させたのである。


ある日の午後妻に別れを告げに来し瓦斯屋の青年故郷で縊る 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-21 07:32 | 読書

職人気質

 

♪バガテルop54

しばらく前にキッチンを修理し、去年は自宅の北側の壁が腐りかけていたのでトイレと一緒に修理し、やれやれこれで終わりかと乏しくなった財布の底をながめてため息をつきながらもほっとしていたら、今度は便所の隣の浴室のねだが腐っていることが判明したので、善は急げ?とばかりにほとんどやけくそになって今年の冬にリフォームした。

おかげで最新式の浴槽が導入され、洗面所の採光も改善され、それなりに平成モダンライフ?の快適さをエンジョイすることができると一安心したんのもつかの間、またしても2階二回の天井裏に葡萄状連鎖状球菌ならぬ白色腐朽菌というのが繁殖していることが判明、いずれは屋根のてっぺえんを切開して修理する必要が生じた。

まったくいつまで続くぬかるみぞ、といったところだが、それはともかくとして私が再認識したのはわが国の大工さんやペンキ屋さんや経師屋さんや電気屋さんやその他もろもろの職人さんの腕の冴え、技術の素晴らしさである。

古くて狭くて具合の悪いところをいとこたやすくすいすいと直してしまう。もちろんそれがプロの職人芸と言ってしまえば実も蓋もないが、それはおそらくわが国の昔からの良き伝統であり、民族の身体性に付与された特性であり、諸外国の職人さんと比べても抜群の器用さであるに違いない。

彼らは朝から働き、10時に小休止し、正午に昼食をとって車の中などで午睡し、1時から3時まで働いてまた一休みして夕方まで働き続けるのだが、傍から見ているとこれが一日の労働に最も適した時間割であるということが良く分かる。

単調で過酷な労働であるからおやつに甘いものを出すと喜んでみな食べてくれる。しかし「トイレをどうぞ自由に使ってください」と勧めても、固辞してほとんど用を足さない職人が多いのは、古来そういうしつけをされてきたからであろうか。

いずれにしても非常に不器用でなにひとつ修理できない私にとっては、日本のホモ・ファーベルのありがたさ、素晴らしさを見せつけられたあほばかホモ・ルーデンスの2週間だった。

♪新築の大工仕事が減りましたと甥っ子はけなげに耐えて春を待ちおり 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-20 10:33 | エッセイ

続「大江広元の墓」の謎



鎌倉ちょっと不思議な物語114回

「十二所地誌新稿」にまたまたいう。

明治初年、地制改革のときは、わが十二所村の名主は啓左衛門翁であった。

山林、田畑の実測に役人が来るというので、村人はまた大江広元公の墓が見つかるとうるさいからと、若衆たちが集まって墓をひっくり返しに行ったという話が残っている。
その証拠にはしばらくは浄明寺胡桃谷に笠石(五輪塔の上部)が落ちていたというのである。その後石はぜんぶ元の山の頂に運び上げて造立しなおし、当時のままに復元してある、と書かれているのが写真の五輪塔である。

その現物を見てもわかるように、700年の星霜を経て文字は消えている。しかしこのあたりに住宅が立ち並ぶ「しばらく前までは、胡桃山の頂上に大きな石塔があるのが村人にはよく見えた」とあるからには、私が想像したとおり、この場所に墓を作れと命じたのは、麓の屋敷に住む大江広元自身であるに違いない。

さらに「十二所地誌新稿」に、「塔から少し下ると谷あいの窪みを地ならしして一畝ばかりの平地がある。たぶん持仏堂でもあったと思われる一隅に、石を切り開いた所か塚のごときものがあるが、これが果たして広元公のものと関係ありやなしや」

と書かれているのがもうひとつの写真である。現在小さな稲荷の社に成り果てているが、それは近世の事であり、私の想像では、これも鎌倉時代に大江広元を祭った場所に違いない。

♪春の宵近江の牛を食べにけり 亡羊
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by amadeusjapan | 2008-04-19 10:35 | 鎌倉案内

荒岱介著「新左翼とは何だったのか」を読んで



照る日曇る日第115回

60年代の終わりからから80年代の前半までわが国の政治、社会に影響を及ぼした新左翼の活動を、第2次ブント社会主義学生同盟委員長で三里塚や東大安田講堂占拠闘争で3年有余下獄した著者が“できるだけ客観的に”振り返っている。

私は当時ノンポリの学生ではあったが、彼らのシンパとしていくつかの局面でデモやストライキに参加していたので、おおよそのことは理解していたつもりであるが、自治会や生協・サークル活動とそれに付随して党派に流入する莫大な闘争資金のからくり、明治大学自治会と生協の崩壊の顛末などまるで知らないことも多かった。

しかしなにせ権力やライバルの党派と決死の覚悟でわたりあった張本人が語り部であるから、その客観性もたえず強烈な主観性によって揺さぶられる。

1967年10月8日の昼前のこと、

左手に棍棒、右手に檸檬を握り締め佐藤訪ベトを阻止するぞわれ

 という気分で隊列を組んだ私らが羽田空港に向かっていたちょうどその頃、著者は、首都高一号羽田線鈴が森ランプで倒れた機動隊員を、高速道路の下に落とそうと持ち上げていた。

「彼は激しく抵抗、そのとき、後ろから駆けてきた女子学生が『やめてください! そんなことをしたらアメリカ帝国主義と同じじゃないですか』と機動隊員にしがみつきました。ガーンとなった筆者は『わかったよ』と彼から手を離しました。

と、まるで劇画の噴出しのようにあっさり記述してしまう著者であるが、これは事実なのだろうか? もしも都合よく女子学生が登場しなかったなら、彼は殺人を犯していたはずだが、そういう自問がなされていないことがとても気になった。

本書の第六章は新左翼ブームに水をかけ、消滅させた「内ゲバ」について詳述しているが、想像を絶する悲惨な内ゲバの記録などには、なまじそこに登場する人物に多少の見覚えがあるだけに、活字をたどることにすら大きな苦痛を覚えた。

私にとってはあらゆる思想は虚妄である。絶対正義の思想などかつて存在しなかったし、これからもそうだろう。それだのにその時々の「絶対思想」とやらに激しく依拠し、憑依して、そうしない、できない他者と敵対し、あまつさえ殲滅してしまう人たちは今日も世界中であとを絶たない。

なまじご立派な思想を脳内にせっせせっせと純粋培養すると、そいつがその人間をロボットのように操って、価値観の異なる人間を撲滅してもまるで痛痒を感じない殺人鬼になってしまうのではないだろうか。


ヘルメットに棍棒握って武装せしこの手が握りし黄色い檸檬
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by amadeusjapan | 2008-04-18 08:59 | 読書

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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by desire_san at 13:23

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