晴風万里

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西暦2009年茫洋弥生歌日記



♪ある晴れた日に 第55回


親子三人手と手を取り合い海辺の墓地に死すさながら西方浄土にあらずや

遥かなるインドエローラ、アジャンター石窟から渡来したり鎌倉のやぐら

坊やさあいらっしゃいとたばら蟹のごとき両肢で僕の下半身を絡めとる高樹のぶ子

もしかすると大衆革命成就するやと一瞬妄想した日もありしが

少年にして少女のかんばせカルジャが撮りし17歳のランボー

われのことを豚児と書かれし日もありきもいちど豚児と呼ばれたし

真夜中の携帯が待ち受けている冥界からの便り母上の声

新幹線ではビュフェでカレーがいいよと教えてくれしおじもビュフェも今はなし

春の朝甲本ヒロトシャウトせり人には優しく

洛北の北白川なる重度しょうぐあい施設湯船を埋めし黄色い雲古かな

我が風呂にゆらゆら浮かぶしょうぐあい者殿のうんちのかけらは愛しきものかな

青池さんより頂戴せし土佐文旦残り3個となる惜しみて食べられず

土佐文旦手に持てばわが失いしもの程の重さかな

息をしていないよと叫ぶ妻に驚きて飛び起きし朝もありき

吾のため子のため母のためたった7年で地球を2周せしカローラの妻

北海のとどろに寄せる荒波の彼方に聳える白亜の孤峰

言葉だけで築かれた遥かな弧城に一人の女王が棲んでいました

隣席にどさり腰かけ携帯す若き身空でニコチンにおう

金はないのに無茶苦茶に無駄遣いしたくなる

月並みの俳句を詠みて月並みの男となりにけり

己の屁の臭い嗅ぐああ生きているな

懐かしき人死して鶯さわに鳴く 

春三月わたしの園を荒らすのは誰だ

千葉県で太陽に向かって吠える男

コブシとハクモクレンの見分けがつかぬ男かな

蛇のような棒か棒のような蛇か

いつも物見の上にいる鷹のやうに


―ある回想
夢の中でKに会った。Kは言った。W大闘争を総括してみろ。
俺は答えた。あれはスポーツだったよ。

夢の中でWに会った。俺は言った。
貴様は俺をリストラしたうえ会社を目茶目茶にしてしまったな。
Wは怯えた目をして走り去った。

にんげんは過去のしがらみからはどうしても逃げられないものである。



♪新宿ビックカメラで60円で売れたCD-RWうれしいやら悲しいやら 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-31 07:03 | 詩歌

浄光明寺と「地蔵やぐら」



鎌倉ちょっと不思議な物語第171回

またこの浄光明寺には、これら数多くの史跡とともに、これからご紹介する「地蔵やぐら」通称「網引きやぐら」があります。

「地蔵やぐら」の天井には天蓋をつりさげた円形とそれを支えた梁の跡の溝がみられ貴重な遺跡となっています。また安置されている地蔵像は制作年代が正和2年1313年と銘記されていることが評価されており、冷泉為相が寄進したという伝承があるそうです。母の阿仏尼の尽力に深く感謝してこのお地蔵さまを造営したのではないでしょうか。鎌倉時代から南北朝にかけては訴訟の時代であり、男性はもちろんのこと阿仏尼のような女性たちも幕府に対してどんどん異議申し立てを試みています。

さらにこの浄光明寺には徳川家ゆかりの尼寺英勝寺に仕えた水戸徳川家の家臣の墓地やぐらや、鶴岡八幡宮の神職大伴氏とその家族の純神道式の笏型墓碑が3基あり異彩を放っています。

けれども私がもっとも心を傷めたのは、つい最近亡くなられたこの浄光明寺住職にして偉大な考古学者兼中世史研究家であった方のお墓でありました。思えば今を去る20数年前、私がはじめてこのお寺を訪ねたおりに、懇切丁寧に寺院や仏様の由来について説明してくださったのは、ほかならぬ大三輪龍彦氏でありました。

私は鎌倉の歴史について多くの示唆を与えてくれたこの先学に深々と頭を垂れてから、うぐいす鳴く浄光明寺を辞したのでした。

懐かしき人死して鶯しきりに鳴く  茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-30 09:18 | 鎌倉案内

春の浄光明寺を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第170回

浄光明寺は皇室の菩提寺である京都の泉涌寺を本山とする「準別格本山」であり、慶長3年1251年に6代目執権の北条長時が真阿上人を開山として創建したお寺ですが、それ以前に源頼朝が頼んで文覚上人が建てたお堂がそもそものはじまりだそうです。

元弘3年1333年には後醍醐天皇の勅願所となるいっぽう、真言、天台、禅、浄土の4つの勧学院を建て、学問の道場としての基礎を築きました。また足利尊氏は建武2年1335年にこの寺にこもり、後醍醐天皇に反逆することを決意したといわれており、尊氏、直義兄弟の帰依と奇進と受けたのです。兄弟が足利家執事の高師直の軍勢に十重二十重に取り囲まれたのもこの寺でした。

本堂横の収蔵庫には本尊の阿弥陀三尊像と地蔵菩薩が安置されています。地蔵菩薩立像は矢拾地蔵とも呼ばれ、足利直義の守り本尊でした。篤信家の直義でしたが兄尊氏との私闘に敗れ、最後は同じ鎌倉の浄妙寺で無念にも殺されてしまいます。しかしその同じ直義が後醍醐天皇の皇子護良親王を暗殺しているのですから因果は巡る風車といったところでしょうか。

浄光明寺の裏山には、一四世紀の歌人、冷泉為相の墓(宝塔印塔)があります。為相はあの有名な歌人藤原定家の孫で、父の死後遺領の相続をめぐって異母兄と争い、その訴訟のために鎌倉へ下向した「十六夜日記」で知られる母の阿仏尼のあとを慕って当地に入ったのです。

♪北海のとどろに寄せる荒波の彼方に聳える白亜の孤峰 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-29 12:54 | 鎌倉案内

バレンボイム・ベルリン国立で「コシ・ファントゥッテ」を視聴する



♪音楽千夜一夜第60回

02年9月のバレンボイム指揮ベルリン国立ライブで「コシ・ファントゥッテ」を視聴する。

近年モーツアルトのコシはますます上演機会が増え、さまざまな演奏と演出が登場してわれわれを楽しませてくれるようになった。それはこのダポンテ・オペラの最後の作品がすばらしいアリアと女と男という現代的なテーマでわれわれの心をとらえるからに違いない。
かりそめの恋愛に絶対はなく、その恋愛の対象は時間と環境を変換すればたちどころに置き換え可能であり、その定かならざる不定性こそが男女の関係性の本質そのものであることを、この音楽と心理の天才はよく知っていた。どんな男女の間でも恋愛は可能であり、また不可能であることを歌うこのオペラの音楽の魅力は不滅であろう。

いまや押しも押されぬ大家となったバレンボイムは、手兵のベルリン国立歌劇場管弦楽団をよく掌中におさめ、そんなモーツアルトの名曲をいとしむように、楽しみながら振っている。それは彼が目指しているフルトヴェングラーの演奏とは対極にあるものだが、それなりに身をゆだねて聴くことができる。カテリーナ・カンマーローアー、ドロテア・レシュマンなどの歌唱もおおきな破綻はなく、手なれたアンサンブルが予定調和的に醸し出されるが、時代を60年代の終わりに設定したリス・テリエの演出はシャープな切れ味をみせた。


♪春三月わたしの園を荒らすのは誰だ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-28 09:52 | 音楽

ドニゼッテイ「マリア・ストゥアルダ」を視聴する



♪音楽千夜一夜第59回


08年1月のミラノ・スカラ座ライブでドニゼッテイ「マリア・ストゥアルダ」を視聴する

「マリア・ストゥアルダ」はて何じゃらほい、といぶかしく思う向きもあるだろうが、なんのことはない、これはスコットランドの女王、「マリー・スチュアート」のイタリア語読みである。

スコットランド併合を企む9歳年上の従姉イングランドの女王エリザベス一世と政治的に対立したばかりか、レスター伯爵をめぐって激しい恋のさや当てを演じる。そしてマリーが、宿敵エリザベスによってとらわれ、英国に18年間幽閉された挙句にとうとう断頭台で斬首刑に処せられる悲劇は、かのシュテファン・ツヴァイクの史伝「メアリー・スチュアート」などでひろく知られている。

その有名な原作を音化したドニゼッテイは、序曲から終曲のカタストロフまで朗々たる歌謡の極致を体感させ、イタリアオペラの楽しさを心ゆくまで味あわせてくれる。

エリザベス(エリザベッタ)役のアントナッチはまずまずだが、表題役を歌うマリエラ・デヴィーナのハイCがすごい。演奏はアントニーノ・フォグリアーニ指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団で文句なし。演出・美術・衣装の3役兼ねたピエール・ルイージ・ピッツイは最後の処刑場で史実通りに真紅のドレスをマリア・ストゥアルダに纏わせ、首切り役人の一撃で鮮やかに全曲を切断してみせた。


隣席にどさり腰かけ携帯す若き身空でニコチンにおう 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-27 09:29 | 音楽

「相馬師常やぐら」を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第169回

相馬師常は源頼朝の重臣、千葉常胤に次男で、相馬氏の祖となった武将です。1180年(治承4年)の頼朝挙兵に父常胤と共に参加して活躍した相馬師常は、その後も奥州征伐などで多くの戦功を挙げました。念仏行者として端坐、合掌して没し(即身成仏という)多くの人々が感動した逸話でも知られています。

彼の父親の常胤は千葉県の名の元にもなった名家の出身ですが、その父親常重と頼朝の父義朝が相馬御厨の所有権を巡る騒動もあり、「吾妻鏡」にあるようにただちに三〇〇騎をもって頼朝の救援に駆け付けたわけでもないようです。

それはともかくこのやぐらは、玄室奥壁中央部の大きな龕(がん)が切り石でふさがれている独特の形態であり、玄室左奥の一石五輪塔も非常に珍しいものです。伝承とはいえ被葬者の名前が知られているきわめてまれなやぐらとして貴重です。


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by amadeusjapan | 2009-03-26 09:02 | 鎌倉案内

「瓜ヶ谷やぐら」を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第168回


今度は坂道を東にわたって田圃に降りて海蔵寺の麓あたりに位置する瓜ヶ谷やぐらに向かいます。ここは別名「東瓜ヶ谷やぐら」、五つの穴がありますが、一号穴は「地蔵やぐら」とも称される約二〇畳くらいの大型やぐらです。壁面には多くの彫刻があり、第一級のやぐらとして高く評価されています。この先の葛原岡神社付近はかつての刑場跡といわれ、このやぐらの山稜部では荼毘所の跡が発掘されているので、このやぐら近辺も一連の葬祭施設が点在していたと推測されています。

一号穴は天井の一部崩壊により造立時の床は底上げされていますが、地蔵菩薩を中心に仏殿形式が整っています。中央には地蔵菩薩坐像が鎮座しており、左腕と胸の間の溝に塗色らしきものがみられます。左壁には龕(仏像を納める厨子)と納骨穴、奥壁には高さ一六七センチの坐像、高さ一五一センチ厚肉彫の大五輪塔、龕と納骨穴がずらりと並び、右壁には鳥居と神殿、地蔵菩薩立像、神像、龕などがあり、神仏融合の面影が残っています。

二号穴は厚肉彫の大五輪塔があって梵字がよくのこっています。また三号穴は三方に石棚があって壁には五輪塔が八基刻まれており、彫りかけの状態のものもあります。


♪吾のため子のため母のため7年で地球を2周せしカローラの妻 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-25 08:24 | 鎌倉案内

洋服解体新書



ふあっちょん幻論第41回

幕末から明治にかけて洋服の強制的な導入はさまざまな混乱をもたらした。たとえば和服は直線裁ちであるが、洋服は曲線裁ちである。曲線裁ちのできる洋服職人もそんな技術も不在だったので、足袋職人が最初の縫製士となった。足袋職人たちは外国人から仕立てを学び、洋服を解体しては組み立てて縫製を行なった。医学のみならず洋服も「解体新書」の時代があったのである。

江戸時代の洋服は「蘭服」と呼ばれていた。オランダ、阿蘭陀の蘭である。明治5年1872年学制公布の一環で詰襟背広の洋装が導入され、当時の帝大で明治19年1886年に軍服を手本として学生服が採用されたが、これは学生が着る蘭服だから、学ランと呼ばれるようになった。黒の生地に5つの金ボタンの詰襟に学帽というスタイルが以後の原型になったのである。

1980年代には日本被服工業連合組合が襟のカラーは白、ボタンは5個、装飾的な刺繍などが裏地に入らないことなどの細かな基準を決定。認証マークつけた。卒業式に女性が第2ボタンをもらう習慣の起源は武田泰淳の小説「ひかりごけ」(特攻隊員がひそかに思いを寄せていた兄嫁に軍服の第2ボタンを渡した)という説があるそうだが、そんなことが書かれていたかなあ。
(後段の情報は朝日新聞のコラムより転載しました)

♪我が風呂にゆらゆら浮かぶしょうぐあい者殿のうんちのかけらは愛しきものかな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-24 08:17 | ファッション

母7周忌に寄せて



♪ある晴れた日に 第54回


真夜中の携帯が待ち受けている冥界からの便り母上の声

われのことを豚児と書かれし日もありきもいちど豚児と呼ばれたし

天ざかる鄙の里にて侘びし人 八十路を過ぎてひとり逝きたり

日曜は聖なる神をほめ誉えん 母は高音我等は低音

教会の日曜の朝の奏楽の 前奏無(な)みして歌い給えり

陽炎のひかりあまねき洗面台 声を殺さず泣かれし朝あり

千両万両億両すべて植木に咲かせしが 金持ちになれんと笑い給いき

白魚の如(ごと)美しき指なりき その白魚をついに握らず

そのかみのいまわの夜の苦しさに引きちぎられし髪の黒さよ

うつ伏せに倒れ伏したる母君の右手にありし黄楊(つげ)の櫛かな

我は眞弟は善二妹は美和 良き名与えて母逝き給う
 
母の名を佐々木愛子と墨で書く 夕陽ケ丘に立つその墓碑銘よ

太刀洗の桜並木の散歩道犬の糞に咲くイヌフグリの花

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

千両、万両、億両 子等のため母上は金のなる木を植え給えり

滑川の桜並木をわれ往けば躑躅の下にイヌフグリ咲く

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花
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by amadeusjapan | 2009-03-23 09:35 | 詩歌

「一四やぐら」を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第167回

私たちはまず北鎌倉の「西瓜ヶ谷やぐら」を訪ねました。鎌倉時代に鎌倉とそれ以外の地を切り離している地点に十王堂橋がかかっていました。ここには関所(交番)もあり、この十王堂橋から大切岸(瓜ヶ谷やぐら)または梶原方面に抜ける切り通しがあったと伝えられています。あの一遍上人が北条時宗によって追い払われたのもまさしくこの場所ですが、私たちはここから坂を登ります。

「西瓜ヶ谷やぐら」は別名「一四やぐら」ともいわれ、このやぐらを含む森全体が遺跡とみられています。かつてここには寺院があり、埋蔵物も多いと考えられています。
ちなみにこの瓜ヶ谷という地名は、かつて源頼朝の乳母、比企の禅尼がこのあたりで瓜園を造ったからだそうです。そのせいか、この近所では都会では珍しくまだ田圃が残っています。

山麓にある「一四やぐら」は鎌倉時代後期の造立で、一級の厚肉彫五輪塔が残存しています。五輪塔とは五つの鎌倉石を積み上げた塔で、下からそれぞれ地輪、水輪、火輪、風輪、空輪と呼んでいます。

ここでは故人の冥福を祈る追善供養のために、初七日から7日ごとに五輪塔を造り、後に一周忌などの法要にさらに塔を増築したと思われます。また中央の大型の塔(四五日法要用)には梵字の一部が残っています。

板碑と五輪塔はかなり風化していますが二か所あり、上段のやぐらは左側にも広がっていると考えられます。五輪塔の下の塚は人工的に盛り土されたもので「富士塚」または「経塚」跡とみられています。



♪息をしていないよと叫ぶ妻に驚きて飛び起きし朝もありき 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-22 10:20 | 鎌倉案内

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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