晴風万里

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西暦2009年長月茫洋歌日誌



♪ある晴れた日に 第66回

馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり

横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな

やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな

古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり

秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな

くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ

鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業

あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ

獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり

横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹

生涯ただ一度の大音響を発して極楽往生せしは慶日上人

45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん

八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮

植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ

食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし

男一匹生きるも死ぬもこの時ぞこの時ぞ

去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ

情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん

こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる

雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり

鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている

かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なりしか


植物はあらゆる方向に触手を伸ばす
 
君と僕夫婦であぶる仲にして

あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし
 
投じたるすべての票が死なざりき

花の名をよく知るひとの床しさよ

けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり

陰茎のタマタマほどの寒さかな

ちんぽこを握ればふぐりの冷たさよ

処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ

累々と蝉横たわる峠かな

箱根山一句も浮かばず下るなり

黄金虫救ってやりしうれしさよ


♪くわんれきの次なる環に踏みいれず宙外はるか消え失せし友 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-30 08:33 | 詩歌

ウラジミール・ユロフスキ指揮ロンドンフィルで「シンデレラ」を視聴する



♪音楽千夜一夜第85回

ロンドン郊外のグライドボーンで05年6月に開催されたロッシーニの「シンデレラ」のオペラ公演映像です。

初夏のグライドボーンでは、幕間にシルクハットの紳士やドレスの淑女たちが連れ立って緑地を散歩したり、サンドウイッチとワインなどを楽しんだりしているようですが、まことに英国らしい貴族的な環境のようです。

ピットに入っているのはいつものように小編成のロンドンフィル、指揮者は若手のウラジミール・ユロフスキという人ですが初めて聞く名前です。序曲からしてすでにおなじみのクレッシェンドがうねうねと盛り上がり小さなピークを迎えた所で第1幕が始まります。

シンデレラの物語はあまりにも有名なので繰り返しませんが、シンデレラって「灰かぶり」という意味なんだそうです。日本でも鉢カブリ姫というのがあるようですが、あばら屋に住み粗末な身なりをした地味な娘にふさわしいネーミングですね。そして男爵と2人の馬鹿娘にいじめられ続けたその「灰かぶり姫」が、王子様に見染められて晴れてプリンセスの座を射止めるまでの奇跡の玉の輿物語をロッシーニは楽しみながら作曲しています。

聴きどころはやはり第1幕のフィナーレの大合唱でしょうか。ここではめくるめくようなクレッシェンドの繰り返しがミニマルミュージックのような陶酔と眩暈を生みだしほとんど悪酔いを覚えるほどです。これは喜劇王ロッシーニの悪魔的な側面ではないでしょうか。

その前半に比べると後半の第2部はかなり冗長で緊張感に欠けますが、最後のシンデレラの長大なアリアで1巻の終わり。めでたくハッピイエンドを迎えます。

歌手、オケ、指揮いずれも可もなく不可もないなかにあって、特筆すべきはやはりピーターホールの演出でしょう。舞台の設定、美術、衣装、照明にいたるまで当時の時代背景を忠実に反映し、重厚で写実的ななかにも華麗で優雅な雰囲気をしっとりと漂わせ、ともすれば軽薄なドタバタ劇に転落しかねない本作品を本格的な演劇的オペラとしてしっかりと支えています。

出演はアンジェリーナ(シンデレラ)、ルクサンドラ・ドノーセ、ドン・ラミロ(王子)、マキシム・ミロノフほか。


♪あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-29 09:31 | 音楽

アーノンクール指揮チューリッヒ歌劇場・シンティルラ管でモーツアルト「にせの花作り女」を視聴する


♪音楽千夜一夜第84回

モーツアルトイヤーである06年2月にスイスのチューリッヒ歌劇場で行われた公演です。
アーノンクールはウイーンに帰還するずっと昔から、この地味な歌劇場でバロック・オペラを振り続けていましたが、今回のシンティルラ管弦楽団という名前は初耳です。同歌劇場の選抜チームの名称かもしれませんが、とても情熱的な演奏。右翼第2バイオリンの2列目の日本人女性が、とても表情豊かにモーツアルトに取り組んでいる姿を見てああ音楽ってこういう風に夢中にならなければ、と改めて思わされました。

日本のオケ、とくにN響の奏者たちはどいつもこいつも冷感症で不感症で冷血漢の爬虫類ぞろいでいくら指揮者があおっても能面のようにニル・アドミラリな表情を変えようとしません。楽器のお稽古はしばらくやめて、楽しければ楽しい顔を、悲しければ悲しい顔をして演奏するような演劇的トレーニングでもすれば少しはましな演奏ができるのではないでしょうか。私はこいつらの仏頂面を見るのが厭なので、いつもテレビの音声だけを聴いているのです。

閑話休題。さて演奏ですが、御大アーノンクールの指揮はさすがに手慣れたもので特に若手のソプラノ歌手と合わせたときの弱音の響かせ方、音の消し方が見事。同じ極東の御大である小澤先生など大いに見習ってほしいものです。もう遅すぎると思うけど。

なにせこのK196 の作品はモーツアルトが17歳の1774年に書かれた曲なので、プロットもいいかげん(浮気をしたと勘違いした伯爵が妻を刺すが、死んだはずの妻は花作り女と偽って生きていて、誤解が解けた二人は元の鞘に戻る?!)なら、アリアの出来栄えもいまいちです。20年前なら公演などあり得ない幼稚な作品とイッセルシュテット以外の指揮者が考えていたに違いありませんが、その若書きをアーノンクールはじつにもっともらしく聞かせます。

さすがに後年の「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」などの完成度はありませんが、たとえば後者のレポレロの有名な「恋人のカタログの歌」を想起させるアリア、そそて「フィガロ」の終幕の夜の庭園のドタバタ劇そっくりの舞台が、すでにこの段階で構想されていたことがよくわかるのです。

いかに天才とは言え若き日のモーツアルトがそれこそ計画的に傑作への階段を一歩一歩切り開いていったことが如実に理解できるだけでもこのオペラは価値があります。

出演は題名役にエヴァ・メイ、イザベル・レイ、クリストフ・シュトレールなどでまずまずの歌いぶり。演出はトビアス・モレッティ、美術はロルフ・グリッテンベルクですが、すべてを総覧していちばん見事な出来は衣装のデザインでした。誰が担当したのだろう。


♪横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-28 17:08 | 音楽

思い出の庄野潤三



遥かな昔、遠い所で 第85回

二夜続けて馥郁と香る月下美人の花が咲きました。庄野潤三の小説を知ったのは、私が結婚して横浜の弘明寺の裏駅のやまのうえの墓地の傍のアパートに住むようになってからのことでした。

その頃、弘明寺の裏駅のすぐ傍にはどういうわけかもう使われなくなってしまった小さなプールがありました。
私はアパートに通じる急な坂道を息急き切って登り切ってそのプールを見下ろすたびに、彼の「プールサイド小景」を思い出し、たくさんの枯れ葉が浮いたその黒い水面に私と同じようなダークスーツを着たサラリーマンが漂っていないかとおそるおそる確かめたものでした。

アパートの窓を開けるとお墓の向こうには草原と遠い丘陵と青い空と白い雲が望まれ、時々電車が走っていく姿が見えました。生まれたばかりの長男は先天的な障碍があるとも知らず、家の前の坂道をよだれを垂らしながら這い這いしていました。

庄野潤三が小田急線の生田の谷の上に住んでいることは、学生時代の友人のK君の家に遊びに行ったときに教えてくれました。彼の実家はそのすぐ近所にあったからです。
私は当時まだ田舎で田んぼや藁ぶきの農家や栗の木が目立つその近辺を散歩しながら、この小説家の「夕べの雲」の素晴らしいラストシーンを思い浮かべたり、もしかしてあの小道の曲がり角から作家その人が突然大柄な図体を現すのではないかという気がして待ち構えたりしたものですが、もちろんそんなことはなかったのです。

「夕べの雲」もいいけど、そのあとの作品もいいぞ、と教えてくれたのは、やはり同級生だったS君でした。
それ以来私は毎年のように出版される彼の一連の家族小説を折に触れて読んできました。たとえば「貝がらと海の音」などの小説というよりも日記のような連作がそれですが、どれをとってもまるで金太郎飴のように老夫婦の日常と子供や孫の動静、生田の家をめぐる季節と風物が淡々と歳時記のように記されています。

そこには事件らしい事件はありませんし、プロットも、いたずらな修辞さえありません。あえていうなら、流れゆく水に描かれた物語とでもいうべきものでしょう。もはや文学や小説であることさえ放棄したような文章の連なりですが、ただそれに目をさらしていると、不思議なことに心に安息を覚え、限りある生を生きてあることの幸せというものに自然と気づかせてくれるのです。そこには今を生きている人間の確かな手触りとその人間をゆっくりと押し流していく悠久の時間の流れがあります。

私にとってこの貴重な作品の源泉が、今月二一日に突然流れることをやめたのは、ひとつの文学的事件というよりは実生活上の打撃でありました。深い喪失感と悲しみを味わいながらも、できれば私も彼のように自他のこころをうるおす文章を書きたいものだと改めて思っているところです。

♪馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-27 09:03 | エッセイ

メアリー・マッカーシー著「アメリカの鳥」を読んで



照る日曇る日第293回


メアリー・マッカーシーといえば「グループ」を書いたことで知られるアメリカの美人女流作家ですが、「アクセルの城」で有名な批評家エドマンド・ウイルソンの伴侶でもあったとは知りませんでした。別に知らなくても全然構いませんが、問題は彼女のこの作品です。

ちょうどアメリカのジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃した頃にパリで学生生活を送っていたアメリカ人の若者ピーター君の留学中のあれやこれやの小事件が、まるで牛の反芻のように延々と垂れ流されていて、この文章のどこが偉大な20世紀の小説なのかといぶかしく思わないわけにはいきません。

たとえばソルボンヌの外国人のための初級文明クラスの授業がつまらないそうですが、それがいったいどうしたこうした。つまらなければやめればいいじゃないか。それをつまらないと書けば小説になるとでも思っているのでしょうか。

サルトルがルフェーブルに接近したからなんだというのだ。さらにはお決まりの失恋話や交友関係や放浪者やローマ旅行やアパルトマンの家主とのトラブルやオートバイを船で持ち込もうとするときに持ち上がった事件やらアリストテレスやカントの感想だのを聞きたくもないや。もうもう勘弁しとくれ。それはお前さんのミクシィにでも乗っけといてくれ、と言いたくもなるのです。

だいたい「アメリカの鳥」というタイトルと本文はどういう関係になっているのかさえ最後まで読んでもさっぱりわからぬ。ピーターの母親がランドフスカに師事したピアニストであることと、パリではトイレの事情がひどく悪いということだけがわずかに脳裏に残された近来まれに見る後味の悪い読書でした。

♪やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-26 10:08 | 読書

道永のらん著「人間さまの手のひら」を読んで



照る日曇る日第292回

都会の中に住んでいるのは人間だけではありません。犬も猫もゴキブリもカラスもタイワンリスも住んでいます。この小説の主人公はそのうち私たちのもっとも身近な存在である猫たちです。

主人公「ねず」は生後四か月を迎える前に誰かに捨てられた雌猫。ひとりぼっちで置き去りにされて苦労しますがマンションの三階のベランダに居を構えるさくらママとその子のぶち子と同棲するようになってから、ようやくみずからの猫人生のスタートを切ることに成功するのです。

それからメンズ猫に処女を狙われる“エロの季節”、「地域猫」なるコンセプトで地域で愛される猫作りを目指すNPO活動推進者のおかげで強制的に避妊手術を受ける“受難の季節”、近所の公園でおししい食事にありつく“グルメの季節”を経て、われらがヒロインはけなげにも逞しい前進を続けるのですが、ある日トラックに轢き殺されそうになったところを雄猫のパクによって命を助けられます。

パクが身代わりになってくれたのおかげで彼女は九死に一生を得たのです。しかし、そこからねずの自分史上最大最高の危機がはじまります。
安住の地であったベランダからも、多くの友人たちと交流できた公園からも「追放」された彼女は、またしても放浪の身となり、「いったい死んでしまった猫はどうなるのか?」、「猫における存在と無の相関関係はいかがなものであるのか?」という猫哲学上の重大問題に直面し、その場で立ち往生してしまいます。

この煩悶を解決すべくねずははるかなる山寺に棲むという老いたる寺猫「仏っさま」を尋ね、その猫知に長けた貴重な人生哲学に接し、起死回生を果たします。
「ねずや、けっして死を恐れてはならぬ。死は終わりではない。今生での死はみ仏さまのもとへ戻り、もういちど新たな命としていつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ」
と親しくさとされたねずは、死を恐れずにおのが猫生をまっとうする決意を固めたのでありました。

ここから新規一転、生まれ変わったねずは絶世の美女猫「ヒメ」の遺児を救おうと獅子ならぬ猫奮迅の大活躍を開始するのですが、ちょうど時間がよろしいようで。
いずれにしても猫を心から愛する人ならではの人猫一体の幻想的な雰囲気、そして克明周到な観察から生まれた創造性豊かなストーリーテリングが見事です。

なお、どうしてもその小説の顛末が気になる方は、わが親愛なるマイミクさんの「ねずちゃんさん」に尋ねてみてくださいな。


♪横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-25 10:11 | 読書

ムーティ指揮ウイーン・フィルでモーツアルト・ザルツブルク・コンサートを視聴する



♪音楽千夜一夜第83回

モーツアルトイヤーだった06年の1月27日に祝祭大劇場で開催された記念コンサートの実況ライブです。

 まずは内田光子の独奏でk503のピアノ協奏曲から始まります。ラ・ローチャなどの演奏では大振りになるこの曲ですが、内田はよくいえば内省的、悪く言えば神経質に演奏します。右手で和音を抑えたまま激しく打ち振られる左手。これは指揮も自分でやろうとする意思表示なのでしょうか。

次はメゾソプラノのバルトリの歌唱によるシェーナとロンド 「どうしてあなたを忘れられよう」 ですがここでは内田光子のピアノ伴奏が先ほどの曲よりも見事に冴えわたりました。文句なしの名曲の名演です。

「恐るるな、愛する人よ」 K.505 は内田が抜けて チェチーリア・バルトリ だけの独唱ですが、私ははしなくもいまから20年以上前に彼女がドミンゴと九州にやってきて歌った夜のことを思い出しました。

 3曲目の「彼をふりかえりなさい K.584は御大バリトンの トマス・ハンプソン の登場。
続く4曲目には「バイオリンとビオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 」をなんとバイオリンがギドン・クレーメル 、ビオラがユーリ・バシュメット という豪華コンビで熱演。クレーメルはニクラウスよりもムーティとの相性のほうが良好と見受けられました。

5曲目の交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」はまあ普通の出来ですが、再度登場したバルトリによるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」 K.165 は聴きごたえがありました。
 おあとは「フィガロの結婚」 から “もうあんたの勝ちだと言ったな”と“ため息をついている間に” の2曲をトマス・ハンプソン が、「ドン・ジョヴァンニ」 から “お手をどうぞ” を2人が歌い、最後は「魔笛」 から フィナーレの合唱 をウイーンの合唱団が歌ってお開きに。もう結構これで満腹というほかはない記念コンサートでしたが、できれば指揮者がベーム、コンサートマスターがゲルハルト・ヘッツエルの名コンビならもっともっと素晴らしい演奏会になったことでしょう。

♪黄金虫救ってやりしうれしさよ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-24 08:39 | 音楽

映画「イージーライダー」を鑑賞する




闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.10


この映画は、2人の若者が広大なアメリカ大陸を東西南北気が向くままにハーレーダビッドソンにまたがって旅する一大遊行観光(光を見る)映画といってもよいでしょう。

砂漠もハイウエイも、巨大な岩石も、河川も森も太陽も暗闇も青空も風も雲もそれまでけっしてドイツ製のアリフレックスキャメラによって35ミリのカラーフィルムにけっしてとらえられたことのなかった映像でした。

高速で移動する車両から未知の空間に投げ出されたレンズは感激のあまり被写体の照準を意識的かつ無意識的に逸脱してグランドキャニオンに沈む真っ赤な夕陽を震えながら映し出します。

そして、この震えこそが映画イージーライダーの本質です。先住民たちが無心に眺め、そうした純真無垢な60年代末尾の風光明媚、いうならばアメリカ大陸の原風景がこのロードムービーには定着されているのです。

映画の終盤でマリファナとドラッグによって駆動された生と性と聖が三位一体となった幻想的な映像が人工的に繰り広げられます。これこそは私たちが80年代になって確立したプロモーションビデオの先駆的な実験ですが、最後にジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーターフォンダがその順番で住民から虐殺される有名なシーンは、ヒッピーに対する保守的な市民の悪意に満ちた暴力や殺意の表れとして政治的にとらえられることが多いようです。

しかし何度もこの映画を見ているうちに、この映画のこの「衝撃的な」ラストは、このエンドレスに続くであろう観光映画を劇的に終了させるためにホッパーたちが知恵を絞って考えた「よくある」ハリウッド映画的プロットとして考案されていて、そういう意味では、本作は世評に高いニューアメリカンシネマの傑作というよりは古臭いハリウッド映画ではないかという気もするのですが、こんな気がするのはたぶん私だけでしょう。

実際製作費の大半はこのラストシーンをいやがうえにも強調するための空撮に費やされ、後年デニス・ホッパーが監督した映画(たぶん「ホット・スポット」)のラストシーンがイージーライダーのそれと酷似しているのも偶然とは思えません。

深い確信もなく印字しているのですが、「自由民に対する殺意と暴力」よりも炎上するオートバイを急速に塗りつぶそうとする「緑の原野」がこの映画の真の主人公としてフューチャーされているのではないでしょうか。


♪古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-23 14:39 | 映画

映画「おくりびと」を鑑賞する




闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.9

滝田洋二郎監督の本作はアカデミー外国語部門賞を獲得したということで大変な話題になりました。先月旅行した出羽三山地方でもこの映画のタイトルを描いたイラストレーターの作品やら「おくりびと饅頭」やらお酒やらが土産物屋さんに所せましと並んでいて、時ならぬ「おくりびとブーム」を物語っていました。
なんでもこの映画に出てくる銭湯やモックンがチエロを奏でるシーンなどがこの一帯で撮影されたらしく、ロケ地をたどるバス旅行まであるというのでびっくりしました。

その作品を昨夜1泊旅行に出かけた箱根のホテルで鑑賞したのですが、なにせ民放の番組枠だったためにひっきりなしにCMが入り、せっかくの優良映画の雰囲気を妨げ、破壊することおびただしいものがありました。やはり映画は劇場かDVDかNHKに限ります。

「おくりびと」とは人の死をあの世に送る手伝いをする人のことだそうで、納棺師なる職病名があることを私はこの映画ではじめて知りました。
そういえばむかし私の父が亡くなったとき、郷里の葬具屋の若いスタッフがじつに甲斐がいしく世話をしてくれたのですが、用意された棺桶の長さがわずかに長身の父の背丈に及ばず、残る1,2寸の処置をめぐって折るか畳むか無化するかと懸命に汗を流していた姿がはつかに偲ばれたことでした。

もっくん扮する納棺師はそのおりの葬具屋をはるかにしのぐ手厚いケアを死者に対して徹底的に施すのですが、それは我が国の茶道や華道や武道の専門家が茶や花や武器に対して振る舞う厳粛な儀式が死者に対しても及んでいるさまをありありと映し出します。おそらくはこの異様さと崇高さとがふたつながらに西欧人の好奇心と宗教心に感応し、スタッフの想定外の受賞に結びついたのでしょう。

役者ではもっくんの奮闘もさることながら師匠格の山崎努とその訳ありアシスタントの余貴美子の演技が賞讃に価し、広末涼子の恋人役はより知的な若手女優を選ぶべきであったという一抹の恨みが残ります。演出に大過なく、脚本と音楽はプロの仕事としては詰めが甘すぎますが、最近の邦画のレベルから推せばはまずこんなものでしょう。

もっくんの仕事を「けがらわしい」と罵っていったんは拒んだ妻が、納棺師の神聖にして祝祭的な職業の意義を悟って回心するくだり、焼場の荼毘を担当する男の述懐、棺桶に点火されて一挙に炎上する遺体、もっくんと父との無言の再会などなどいくつものドラマが内蔵された映画ですが、納棺師たちがわずか5分遅刻したことを難詰した妻を亡くした男が、山崎努の渾身のヘアメイクで賦活した妻の美貌に接して涙し、さきほどの無礼を謝して手渡した干し柿を納棺師主従がむしゃむしゃ食らう場面がもっとも印象に残ります。


♪箱根山一句浮かばず下るなり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-22 17:28 | 映画

アントネルロ・アルレマンディ指揮東フィルで「トゥーランドット」を視聴する



♪音楽千夜一夜第82回


08年10月に新国立劇場で行われたプッチーニの最後のオペラの公演をビデオで鑑賞しました。

ドイツからやってきたヘニング・ブロックハウスの演出で、このオペラの舞台はなぜだか1920年代のイタリアに設定されています。村の市場にプッチーニ夫婦がやってきたところでサーカス芸人が呼び止め、イタリア特有の仮面劇「トゥーランドット」を一同が仮面をつけながら開始するというのが第1幕までの「見立て」です。

幕が開くとプッチーニ夫妻はそれぞれ主役のカラフとトゥーランドットを演じ、リューが自刃したあと主役の愛の場面からは全員が仮面を脱いで元に戻るという設定なのですが、いったいそれがどういう意図で、またどういう効果を狙って行われたのか、頭が弱い私には最後まで理解できません。頭のよさそうな演出家のブロックハウスさんには馬鹿にもよくわかるようにぜひとも解説していただきたいと思ったことでした。

 この有名なオペラにはこれまでにも数多くの名演奏や名録音、録画があるわけですが、主役のイレーネ・テオリン、ワルテル・フラッカーロがそれなりの美声で一生懸命に「3つの謎に1つの死」とか「誰も寝るな」とか歌っていることはわかったけれども、それはいったいどうした、こうした。
凡庸な指揮者が凡庸なオケを適当に鳴らしていることもよーくわかりましたが、いったいそれがこれまでの演奏歴に格別新しい意義を加えたのかしらと自問自答してみると、結局はただのひとつも付け加えるものがなかったということが、おりしも死に瀕している油蝉に吹きつける一陣の秋風のようにそぞろ身に沁み、こういう駄演で残りも少ない私の貴重な時間をまたしても無駄にさせるのだけはどうぞやめてほしいものだなあ、とつくづく思った二時間一四分でした。

  ♪秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-09-19 18:07 | 音楽

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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