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晴風万里

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西暦2009年神無月茫洋歌日誌




♪ある晴れた日に 第67回



蝉どもの鳴き声絶えし神無月朔日

釣り舟も釣舟草も沈めたり台風18号

木犀を探し歩くや浄妙寺

アケビ食べ丹波の少年となりにけり


性愛の讃歌非情の銃弾テキサス荒野にこだませり

セクシーシンボルというよりちょいといかれた芋ねえちゃんマリリンモンローノーリターン 

われらが地獄面よりぬっと立ち上がる悪鬼どもを倒すのは誰
 
天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重

はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり

金の時代には金の音楽銅の時代には銅の音楽

一枚また1枚らっきょうの皮めくるめくわが人生

熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ

政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり

池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で!

カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか

古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり

やい3つのオレンジども3つの糞ころがしにでも恋すべし
 
蛇蛙蟷螂たちのなんと楽しく生きておること烏賊蛸鯛たちのなんと楽しげに泳いでいることよ 

玉もあれば瓦礫もあるよ楽しみ尽きぬ皇室名宝展

不埒な女のラチもないプラチナジュエリー

青春は醜く愚かで恥ずかしく悔しきままに遠ざかりゆく 

北国の冬の夜空に打ちあぐる鳴り響く花火はきみの秘めたる祭りか

どこまでも遠くへ行くんだ言葉という翼に乗って

めっきらもっきらどおんどん魔法の言葉がわが子を救う 

地獄の子を抱えて生きる苦しさは天国の子と生きるよろこびでもある

蝉断末魔の悲鳴上げ2009年の夏終われり

まるで衣装のように思想を軽々と着脱する

当たり前のことながら思想は人を殺すのだ

やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人

権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂

林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ

たかが芝居というなかれ神をも恐れぬこのサバト見物するな即参加せよ

半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ!

あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように 

ありがとう君こそはわが生きるよろこび君とともにどこまでも歩いていこう


♪とくとくと自慢話に入れあげる日経朝刊私の履歴書 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-31 10:42 | 詩歌

06年5月20日メト・ガラコンサートを視聴して



♪音楽千夜一夜第88回

私がこのSNSで読書や映画メモをつけはじめたのは、「ハリーとトント」という映画を何回見てもなにも覚えていないことに気づいたからでした。

おそらく30年間に少なくとも3回は見たこの映画は、ニューヨークの下町で2人の老人が出てくる人情映画でかなりの秀作であるあるとはぼんやり覚えているのですが、それ以上はいくら思いだそうとしてもなあんも脳裏に浮かんできません。
そこでこれからはどんな映画や本でも必ず題名と作者・監督と簡単なメモを残しておこう、そう思って始めたのがこのコラムでした。

で、今回のコンサートの録画ですが、どうもこれは以前に見たらしい。それははじまって5分ほどしてから分かりました。舞台美術の助手から叩き上げて42年、ついにあの有名なルドルフ・ピングの跡を継いでなんと16年間もメットの総支配人を務めたジョセフ・ヴォルピーの引退を記念するコンサートだったからです。

ジョセフ・ヴォルピーといえばおのれの喉を鼻にかけてメトの練習に毎回遅刻して怒り狂ったレヴァインに同調して、あの高慢で自己中なキャスリーン・バトルの首をすスパっと切った快男児としてNYのみならず世界中で名を馳せました。あの温厚な紳士をあれほど怒らせたのですからよほどの下種女だったのでしょうね。今でもこそこそ暗躍していますが完全に過去の人となり果てました。「芸は身を滅ぼす」の好例でしょうね。

閑話休題。さて当夜はまずジュリアーニ元NY市長が劇場の前でさすがメト愛好家らしい上手な挨拶をするところからこの3時間を超える公演が始まります。
登場するのはナタリー・デセイ、マイアー、フレミング、マッティラ、フォン・シュターデ、テ・カナワ、ハンポソン、ドミンゴ、ジェームズ・モリス等々豪華絢爛の歌い手たち。最近クラシック界からすっかり足を洗ったカナワがシュターデと組んで歌うコシファントゥッテのじつにチャーミングなこと。思えばこの2人は70年代のグライドボーンを中心にモーツアルトの歌劇にどっさり出演して大西洋間の話題をさらっていたのです。

しかしソプラノもバリトンもみな歳をとりました。フレーニは歌わず、モリスはワーグナーを歌いましたがもはや往年の輝きは消え失せ、ハンプソン、ドミンゴも哀愁を誘います。デセイ、マイヤーも衰えを隠せません。ひとり気を吐いたのはルネ・フレミングで彼女が最後に歌った「この歌をうたったら」は満場の涙を呼びました。

この夜の記念公演でぽっかり空いていた穴が2つ。それはメトの不動の指揮者ジェームズ・レヴァインの病欠でした。私がかつてここで耳にしたレヴァイン指揮によるトリスタンは、ニルソンのイゾルデが最高の出来栄えで、ああこの席でもういちど彼女の雄たけび?を聞きたかった思ったことでした。

もうひとつの不思議は当夜の主役ヴォルピーのスピーチがなかったこと。なにか深い訳でもあったのでしょうか。私が思うに、彼の一番の功績は、好漢レヴァインやゼフィレッリ、オットー・シェンクなどの名伯楽を得て、谷垣自民党が目指そうとして永久にできそうにない、いい意味で伝統的で、保守的な歌劇をいたずらに前衛的な演出をもくろんで動揺する他のオペラハウスを歯牙にもかけず、貫きとおしたことです。それは彼の後継者がゼフィレッリの舞台を撤去したときに期せずして起こったブーの大合唱に象徴されていると思います。メトは、メトだけは変わってはいけなかったのです。



♪カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-30 07:14 | 音楽

梟が鳴く森で 第1回



第1部 うつろい

9月1日 雨のち曇
 目指さない、目指します、目指す、目指せば、目指そう、目指した。

9月2日 曇時々晴れ
 江の電に乗りました。江の電は、JRの鎌倉駅のそばから出ています。
和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越、江の島、湘南海岸公園、鵠沼、柳小路、石上、そして藤沢、です。
 江の電の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。嬰へ長調です。
 僕は、また江の電に乗りたいです。

9月3日
 奈良へ行くのは、京都から近鉄奈良線で行きます。
 東寺、十条、上鳥羽口、竹田、伏見、丹波橋、桃山、御陵前、向島、小倉、伊勢田、大久保、久津川、寺田、富野荘、新田辺、興戸、三山木、狛田、山田川、高ノ原、新大宮、そして奈良駅です。
 JRでも奈良へ行けます。奈良にはおばさんが住んでいます。


♪アケビ食べ丹波の子供となりにけり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-29 20:13 | 創作

藤森益弘著「ロードショーが待ち遠しい」を読んで



照る日曇る日第305回

副題に「早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術」とあるので、もしやあの早川さんではないかと思って読んでみたら、やはりそうでした。

早川さんはワーナーブラザースの映画宣伝プロデューサーを30年務められ、この業界では知らない人はいないくらいの熱狂的な万年映画青年です。私が映画に夢中であった80年代の真ん中ごろによく試写会の招待をいただき、彼が大好きだったウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」やジョン・アーヴィングの「ガープの世界」などを見せていただいたものです。

今考えるとウディ・アレンの作品などを大手のワーナーブラザースがよく取り上げたと思うのですが、こうした興業上大きなリスクをともなうマイナーな作品を、早川さんが物の分かった上司の佐藤さんとの絶妙なコンビで危うく没になるところを拾い上げ、スクリーンに日の目を見せてくれたことは隠れた大きな功績だと思うのです。

当時キネマ旬報などの映画雑誌に時折映画感想文などを書いていた私は、ある日新橋の裏道にあるチャンコ料理屋に誘われ、ビルとビルの谷間にある不思議な細道を入っていくと、そこに早川さんとマガジンハウスの編集のSさんと講談社の雑誌誌の編集のHさんが待ち構えていて、4人でウディ・アレンの話になり、2時間後にはブルータスとホットドッグに原稿を頼まれることになったことをいま思い出しました。

映画パブリシテイの世界に早くから足を踏み入れ、マスコミ、雑誌新聞メディアに幅広いネットワークを持っていた早川さんは、私のような門外漢に対してもざっくばらんに胸襟を開き、その道のプロへの紹介の労を惜しまず、お酒だけを口にしておのれの映画への愛を滔々と語る人でした。

その飾らない真摯な姿勢は三島由紀夫や黒澤明、クリントイーストウッドやマシュー・モディーン、キャスリン・ターナー、ハリソン・フォード、ティム・バートン、メル・ギブソン、淀川長治、川喜多和子、淀川長治などの内外の映画関係者にもすぐに通じたようです。

黒澤に愛された早川さんは、彼とスピルバーグの仲介役をつとめ、それが縁となって製作費が捻出されてあの素晴らしい黒澤作品「夢」が誕生したことを私はこの本ではじめてしりました。


♪池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で! 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-28 09:16 | 読書

バレエ「ザ・グレート・ミサ」を視聴する



♪音楽千夜一夜第87回

 グレゴリオ聖歌やクルタークやペルト、それに詩の朗読などをサンドウイッチにしながら、ゲバントハウスのバレエ団が同じゲバントハウスのオケをバックにモーツアルトのミサ曲ハ短調K427という希代の名曲を踊ります。

これは05年6月の公演ですが、そのおよそ1年前に演出・振り付け・美術を担当したクーヴ・ショルツという人が急死したので、その追悼のライヴではないかと思われます。
私は不勉強でこの人の名前も仕事もまったく知らなかったのですが、じつに才気煥発の持ち主です。

彼はたとえばミサ曲のすべての音符をダンスの一挙手1投足に完璧に置き換え、ソプラノとメゾソプラノが旋律を歌うところでは、2人の踊り手がそのボーカルを正確に運動化するのです。フーガに入るとその運動は激烈なものになりますが、音型が再起動されるたびに4組のカップルが代わる代わる同じポーズで運動を開始しては舞台の左右に遁走していく振り付けは見事というも愚かなほどでした。

メンデルスゾーンゆかりのライプッチヒにあるこの管弦楽団と合唱団、バレエ団にはかなり大勢の日本人が在籍しているようです。ダンスのソロを踊った木村規予加と大石麻衣子の美しい姿態ときびきびした演技に魅せられながら、私はこういう若くて美しい人たちは、かの地でどんな生活をしているのだろうとぼんやり考えていました。これでかれこれ1ヶ月間歯が痛むのとドジャース、楽天、中日が負けてしまったので、あまり前向きな発想になれずにいるのです。


♪古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-27 11:21 | 音楽

雨の月曜日



バガテルop114


昨日は私の地元では参院補選と鎌倉市長選が行われ、雨が篠突く中を投票に行ってきました。

夜になってその結果が判明し、前者では民社新顔の金子氏が当選を決めましたが、後者では同じく民主党推薦の渡辺光子氏がなんと2万票の大差で無所属の前県議松尾祟氏に惨敗しました。

松尾氏は弱冠36歳、行政経験は未知数ですが、日本有数の高給取りの市役所職員の給料を1割カットしてその分を他の歳出に振り向ける!とただそれだけを絶叫して、どちらかといえば民主党支持者の多い市民の圧倒的支持を受けての当選でした。
いっぽう民主、神奈川ネットワーク運動、社民に支援を受けながらあえなく落選した渡辺氏は総花的な努力目標を並べてみせただけでそれを超えるメッセージを発することなく、またその政治的・人格的存在感を発揮できず、民主党支持者の支持すら掌握することもできずむざんに敗れ去りました。

民主党は、国政での2勝の価値をみずから引き下げるように、鎌倉市だけではなく、八戸市、ふじみ野市、川崎市長選や宮城県知事選でも敗北しています。

これはとりわけ地方自治体の選挙においては、いかに内閣支持率や政党支持率が自民を凌駕していようとも、住民の心に真摯に耳を傾けず、候補者に適材を得なければ民社党の生活第1の1枚看板など屁のツッパリにもならないことを雄弁に物語っていると思います。

それでなくともこの政党の内閣は政権奪取後40日目にして、元大蔵官僚を郵政会社の新社長に任命して官僚支配打破という立派なお題目をみずから踏みにじったり、対米基地問題でノーコントロール状態に陥ったり、トップの足元で政治資金の疑惑の炎がぶすぶすと燃え広がり続けていますが、こんな体たらくではなはだ前途多難と見受けられます。

歴史の舞台から消え去ろうとしている自民党や公明党に比べれば相対的にかなりましな政策と機能を備えた政党とそれなりに期待しているだけに、彼らのような愚かな過ちを犯さないようにたくましく成長していってもらいたいものです。


♪政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-26 16:50 | エッセイ

大野和士指揮ベルギー王立歌劇場で「アイーダ」を視聴する



♪音楽千夜一夜第87回


04年10月15日のライヴ収録を衛星放送の録画で見ました。この公演の最大の特徴は英国の気鋭の演出家ロバート・ウイルソンの仕事ぶりです。

メットならラクダや象が行進するところですが、そんな大げさな鳴り物は影も形もなく、きれいさっぱり簡素に徹した舞台構成とおしゃれな色彩と衣装が鮮やか。歌舞伎や操り人形の所作を取り入れたような象徴的な演技が印象的です。
オペラというよりはルネ・マグリットの演出でイプセンの演劇を見せられているような不思議な気分になりました。

そんなベルギー象徴派もどきの舞台を見上げながら大野和士指揮のモネ劇場の管弦楽団は、はじめは処女のごとく、次第に熱を帯びた劇伴を繰り広げ、最後は青白い燐光を発しながら脱兔のごとく白夜の海へと遁走していきます。

歌手はマルコ・ベルティのラダメスが時々音程が怪しくなるほかはまずまずの好演で、特に王女アムネリスのイルディコ・コムローシ、表題役のノルマ・ファンティーニの2人のメゾとソプラノが演技と歌唱で丁々発止とやりあって楽興の時を盛り上げました。

 
♪熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-25 13:48 | 音楽

川上未映子著「ヘヴン」を読んで



照る日曇る日第304回

私が中学生の頃も苛めはありました。なぜか大きな力を持つ実力者を中心にして権力者グループが形成され、彼らは非力な者、弱い者を次々に血祭りにあげ、暴力を伴ったその独裁的なパワーを誇示していました。彼らはどうやら地元の暴力団ともつながっていたようで、その暴圧には校長や教師も抵抗できないようでした。

幸い私はその番長とは妙な因縁で友好的?な関係をかろうじて維持していたので、直接の被害に遭うことはなかったのですが、家が貧乏でどことなく不潔でうろんな印象を与える同級生が彼らの哀れな犠牲者になっており、それはこの地方に古くから存在していた差別ともつながっていたようです。

この小説のヒロインであるコジマと斜視の主人公は、そういうエリート連中の哀れな標的となり、毎日のように殴る蹴るの手ひどい暴行を受けているのですが、そのことを誰に訴えることもなく無抵抗のまま耐えに耐え、されるがままになっています。

このように悲惨な苛めがどうして繰り返されるのかという問題について、作者は苛める者と苛められる者との間で形而上学的な議論を戦わせていますが、両者の主張はまったく噛み合わず、苛める側の論理も説得性に欠けますが、そんなことより、もしも当時私がこのような苛めを日常的に受けていたらどうだったでしょう。
きっと親兄弟にも先生にもなにも言えずに、この世の最も孤独な場所で立ちすくみ、繰り返される陰湿な暴力に命がけでひたすら耐えていたに違いありません。

そういう言語に絶する地獄であえぐ弱者同士の間にひそかに結ばれた奇跡の絆を、作者は限りない共感と優しさで一字一字を慈しむように描きます。平明で簡素な日本語が静かに紡がれるうちに、突如眼もくらむように高貴で輝かしい幻影の城が「法華経」の地湧の菩薩のように霧の中からすっくと立ち上がるさまはけだし壮観です。なんという文芸の力技、作家の力量でしょう!
そして苛める者と苛められる者との対立が頂点に達したときに、コジマがとった自己犠牲、凶暴な狼の群れに裸の子兎が自らを生贄として捧げるシーンは大きな感動を呼ぶに違いありません。

寄る辺なき子羊の生を根底から支えている絶対的な弱さが、窮鼠猫を噛む火事場の馬鹿力的な異常な強さとして立ち現れているのです。弱者はその弱さを武器として貫き通す時にはじめて健常者の無神経で無意識の強さに打ち克つことができるのだ、という作者の確信がこのクライマックスシーンに表現されているのではないでしょうか。

にもかかわらず主人公がこの世界とつながる、もっとも弱くてもっとも強い環としての「斜視」を捨てようとした瞬間に、幻の弱者同盟ははかなくも崩壊してしまいます。別れを告げてそれぞれ別の道を歩み始める若い2人は、そのまま今世紀半に訪れるべき新しいヘヴンを象徴しているようです。

♪あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-24 09:18 | 読書

演劇集団円公演『コネマラの骸骨』を見る



茫洋物見遊山記 第2回


ロンドン生まれの若き劇作家マーティン・マクドナーの話題作『コネマラの骸骨』を見物してきました。これはアイルランドのリーナン地方を舞台にした、はちゃめちゃに面白いどたばた活劇シリーズの第2作で、第1作の『ビューティークイーン・オブ・リーナン』と第3作の『ロンサムウエスト』はすでに同じ劇団の「円」の手で上演されています。

あらすじや批評などは別のところに書いてしまったのでここでは繰り返しませんが、マクドナーの芝居の第1の特徴は、いずれも人間の心の奥底に潜んでいる狂気や殺意や孤独を恐ろしいまでに深々とえぐり出している点にあります。

しかもそれらの表現がきわめて恣意的、発作的、痙攣的に展開されるように見える点に第2の特色があります。マクドナーは、いわば演劇の即興性とでもいうべき境地を目指しているようです。はしなくも今回の上演では、それが劇場狭しと飛び交う「骸骨の百叩き」ジャムセッションという形で露呈しました。

3番目には「聖なるもの」と「性なるもの」への独特のこだわりです。神や教会や神父という宗教的権威に対する憎悪と反発はかなり度を越しているだけに、逆にそれが彼の生と倫理に生得のものとして厳しく粘着していることをうかがわせるのです。

性的な問題の取り扱いも興味深いものがあって、たとえばこの芝居の中で「男性の性器は涜神的であるから墓地に埋葬できないために業者が切断して飢饉に苦しむアイルランドの民衆にトラックで売り捌いている」という真に迫った冗談が出てきますが、そういう罰当たりなセリフをふんだんにまき散らすのがこの遅れてやってきた怒れる若者のお上品な本領と思われます。

真夜中の教会の墓地で、ランプを照らしながら妻の死体を掘り出す主人公……。しかしその荒涼とした光景よりも人間の魂の中の風景はもっと寒々しく、もっともっとおどろおどろしく、悲しくもはかないものであることに、この芝居を見た人はきっと気づくことでしょう。


森新太郎の演出はいつの間にか安心して見ていられるレベルに到達し、芦沢みどりのいつもながらの生き生きとした翻訳によるテキストを、山乃廣美、石住昭彦、吉見一豊、戎哲史の役者陣が好演しています。
また衣装の緒方規矩子が、原作者マクドナーを思わせる悪童マーティンに、英国の通信会社ボーダーフォンのロゴ入りTシャツをさりげなく着せていたことにいたく感銘を受けました。


♪半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ! 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-23 08:06 | エッセイ

小津安二郎監督「晩春」再見



闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16&鎌倉ちょっと不思議な物語第207回


見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5分という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。

もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のミューズである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。


さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じどこかへ嫁がせようとする父親との葛藤です。その葛藤が急激に高まるきっかけになるのが二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして娘の黒い疑心暗鬼が広がります。

この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆にこの映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。そしてそのクライマックスが京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。
ただしその暗い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を原節子がけなげに演じています。

ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を「東京物語」の終幕に譲ります。

音楽はお馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですがその主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことをはしなくも物語っているようです。


 ♪林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-10-22 14:05 | 映画

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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