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晴風万里

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西暦2009年師走茫洋花鳥風月歌日誌



♪ある晴れた日に 第69回


鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり

エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」

よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ!

心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く

同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD

あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から

隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア 

戦争は映画を殺す中山ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを 

あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる

丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎

破綻せし御国の御蔵支えんと国債購いし愛国者われ

ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人

敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや

汝エコノミーよわが憂鬱よどこまでも奥深く沈み行け 

モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき 

お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ

ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて

1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日

お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花

本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社

バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな

N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ

これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ

this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル

健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ

限りなく心冷えゆくLEDブルー

中刷りの白恨めしき電車かな

大寒や柚の実絞るその心

三日月に飛行機飛んで柚湯かな

時折は笑いも漏れる7回忌



♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-31 09:19 | 詩歌

MEISTER KONZERTE the master of musicを聞いて



音楽千夜一夜第104回

ドイツ・メンブラン社特製の100枚組協奏曲集を、昨日に引き続きついに聞き終わりました。

バッハ、バルトークにはじまりシューマン、シューベルト、チャイコフスキー、ヴィヴァルディ、フランツ・ワックスマンに至る250余のコンチエルトを、ゲザ・アンダ、バックハウス、グルダ、ヌヴー、リヒテル、ルビンシュタイン、ジャコブ・ザックに至る弦、管、提琴奏者が演奏しまくるという世紀の大企画が、デフレの時代にありつつも、ぬあんと1枚たったの80円とは、これを買わずにいったい何を買えばいいというのでありましょうや。

 とりわけ冒頭におかれたターリッヒ指揮リヒテルのピアノ独奏によるバッハのBWV1052の協奏曲は、ハスキル独奏によるBWV1056の演奏とともに声涙下る天下の名演奏です。加えてバックハウスとグルダのベートーヴェンの素晴らしいこと。
芸術家の真価は棺を覆うてはじめて定まるとか申しますが、このお二人のピアノをもっともっと聞きたかったと思わずにはおられませぬ。

指揮者といえばやはり何といってもフルトヴェングラー。ワルターがどうのセルがどうのとほざいてもかまいませんが、やはりクラシクの苦界においてこれほど偉大な存在はもう出ないのでしょうね。

ともかくこのシリーズの演奏、その大半がモノラル録音であるとはいえ、演奏の価値は最新デジタルステレオ録音におさおさ劣らず、いなむしろ洛陽に紙価が定まった名演奏たるがゆえに、人類の歴史が続く限りは、未来永劫にわたってそよ風にも揺るがぬ不朽の価値をもたらしておると言えるでしょう。

そういえば、たまたま今日のNHKのFMでハイフェッツのSPレコードをかけていましたが、その音色のつやつやとして色っぽいこと昨今のデジタル録音の比ではありません。デジタルのCDやブルーディスクDVDよりもアナログのレコード&テープ、LD、ビデオ、さらにそれよりも原音のライブネスに忠実なSPレコードという、まるで平成の御代に逆行するアナクロ説を唱え続けてきた超右翼兼超保守原理主義者の私ですが、流行のi-podで言葉の聞き取れない意味不明の最新音楽を「聞いた」と錯覚している人々にとっては、永遠に理解を絶する発言なのでしょうね。

少なくともCDよりもレコードの音の方が、物理的精神的に可聴世界が深いのです。


♪お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-30 13:22 | 音楽

Les 50 plus grands operas du monndeを聞いて



音楽千夜一夜第103回

フランスのデッカレーベルから発売されている、世界の代表的なオペラの演奏を収めた100枚組のCDセットをようやく聞き終わりました。

こんな重厚長大な代物をどうして買ったのかと尋ねられたら、1枚200円以下の安さに目がくらんだからだと答える愚かな私ですが、その内容はといえば非常に聞きごたえのある名曲の名演奏揃いでした。

No music no lifeならぬ、「音楽のない人生なんて過誤と疲労と流刑がいっぱいでっせ」という哲学者ニーチエのエピグラムを巻頭にちりばめた本全集シリーズでは、1607年にモンテヴェルディが作曲したオルフェオから始まって、1936年にフランコ・アルファーノによって作曲された「シラノ・ド・ベルジュラック」という珍曲まで、作曲年代順に並べられた50曲のオペラをよりどりみどりで聞きまくりながら過去400年の歴史をたどることができます。

モーツアルトでは「ドン・ジョヴァンニ」、「後宮からの脱出」、「フィガロの結婚」、「魔笛」、ヴェルディでは「リゴレット」、「オテロ」、「椿姫」、「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」、プッチーニは「トゥーランドット」、「トスカ」、「マノンレスコー」、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」といった按配で主要作品を網羅していますが、カタラーニの「ワリー」やマスネーの「タイース」、レオンカバッロの「道化師」、ラベルの「子供と魔法」、さらにはシェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツエック」といった現代曲もきちんと押さえられています。
44歳の若さで亡くなったエットーレ・バスティアーニのバリトンをヴェルディ作品でどっさり楽しめるのもこのアンソロジーの魅力のひとつでしょう。


♪中刷りの白恨めしき電車かな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-29 11:49 | 音楽

大野和士指揮モネ王立劇場管で「さまよえるオランダ人」を視聴する



音楽千夜一夜第102回

これは05年12月20日のベルギー・モネ劇場での公演をライブ収録したもの。CGを得意とするギー・カシアスとかいう男が演出を担当していますが特にどうということはなし。

オランダ人をエグルス・シリンズ、ヒロインのゼンタをアニヤ・カンペ、エリックをトルステン・ケルル、ターラントをアルフレッド・ライトナーという聞いたこともない布陣ですが、これまた特にどうということなし。

大野の指揮は例によって全曲を背伸びして見通したうえで、知的に組み立て、抑えるところは冷静に、燃え上がるところはエネルギッシュにという風に、めりはりをつけた演奏でしたが、だからといって見者の心拍が激変して世界観が変わるというようなこともなしで、まあこれが欧州の通常の平均的なオペラ公演といえばいえるのでしょうが、典型的なルーチンワークといって過言ではないでしょう。

好漢大野はすでにモネ劇場のシェフを辞して、去年からフランスのリヨンの国立歌劇場の首席に赴任していますが、このようなゆるい演奏を続けていると、あの小澤や大植英次のような下らないワーグナー指揮者に転落する危険がいっぱいです。

ここ数日夜の9時になると、09年夏のバイロイト音楽祭のライブ録音を放送していますが、ティーレマンが振ったワーグナーの「指輪」のエキサイティングな演奏などをぜひ参考にしてほしいものです。


バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-28 13:31 | 音楽

ジェームス・ジョイス著「若い藝術家の肖像」を読んで



照る日曇る日第319回

アイルランドの貧しい家庭に生まれた本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、幼い時から厳格な宗教教育を受け、神と共に歩む聖職者の道を選ぶことまで考えましたが、やや長じて宗教団体が経営するカレッジに入るや一転して涜神とまではいかずとも高歌放吟、芸術三昧の世界に邁進します。

われかくして二〇世紀文藝の旗手となれり。めでたし、めでたしという退屈な回顧録か。昨日のガルシア・マルケスの自叙伝に比べるとずいぶん貧弱な内容だなあ、と思って読み終わったのですが、訳者である丸谷才一氏は、「これはそんな生易しい本ではないぞよ」とのたまいます。

まずこの本の「若い藝術家の肖像」という題名からして世界中の学者が、昔からああでもない、こうでもないという議論の種になっていて、これは単なる伝記であるどころか一種の創作的自叙伝であり、本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、つとにギリシア神話に出てくるダイダロスの息子イカルスに擬せられており、偉大なる作家は、父や教会との大いなる葛藤を経て、ある若者が、それとは知らずに天高く飛翔しようとするところを象徴的に描いたのだそうです。せれどもこの若者は太陽の熱で翼を焼かれて墜落するという不幸な運命をまぬかれ、めでたく本書の続編である「ユリシーズ」に副主人公として登場することになるのです。


ああ無知とは恐ろしい。さすがインテリゲンチャンのご高説はひとあじもふた味も違うなあと思いつつ、ざっと再読してみたのですが、そんなことは枝葉末節もいいところ。いつの時代も、高踏的かつ衒学的な暇人の能書きはいっさい物事の本質とは無関係なのです。やはり本書はジェームス・ジョイスその人の前半生そのものの叙述ではないとしても、本物の芸術家になろうとしたある若者の精神の最深部の履歴の実録をありのままにつづった命懸けのドキュメントに他なりません。

とりわけ読者の心に衝撃を与えるのは、若き魂に激しく迫る神のあららかな声でしょう。七つの大罪を犯して地獄に落とされた罪びとに科せられ、未来永劫続く肉体的精神的苦痛の描写の微に入り細にわたる凄まじさは、ダンテの「神曲」をしのぐほどリアルで痛苦なものがあり、もしもそれが単なる威嚇や恫喝ではなく「本当のほんと」のことならば、不信心なこの私も即入信せねばならぬと思わせるほどの迫力です。

当時この若き芸術家がどれほど真剣に神と信仰の問題と格闘していたかをまざまざと示すこの本は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と並ぶ不朽の青春の書と評すべきでしょう。

♪本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-27 14:24 | 読書

G.ガルシア=マルケス著「生きて、語り伝える」を読んで



照る日曇る日第318回

「予告された殺人の記録」「百年の孤独」などで有名なコロンビア生まれの作家マルケスの自伝です。本書では彼がさまざまな著書で伝説化した祖父母、父母の来歴とともに、彼自身の少年時代から作家兼新聞記者として徐々に頭角を現していく青年時代までの「生きて」きた波乱万丈の思い出を、初めて彼の口で「語り伝えて」います。

 著者は冒頭のエピグラフで、「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」、と語っているのですが、この言葉こそ、本書が彼にとって持つ大いなる意味と意義を何よりも雄弁に物語っているようです。

11人家族の長男として南米の貧乏国の貧乏所帯に生まれた著者が、どのような家庭環境で生育し、どのような教育を受け、どのような数奇な体験を経てみずからを偉大な作家として彫琢していったかを、私たちは本書によってつぶさに知ることができます。

ボゴタ大学の法学部の学生でありながら新聞社で雑文書きのアルバイトをしていた22歳の時、彼は母親とともに実家を尋ねます。
そして1948年4月9日、彼は自由党の英雄ガイタン暗殺にはじまるボゴタの市街戦に若き日のフィデルカストロと共に遭遇し、命からがら逃げ回ります。三十万人以上の犠牲者を出した陰惨なテロルと内戦の悲劇を身をもって体験したのです。

恐らく、前者のたった2日間の旅が、彼を一族の壮大な過去の記憶のなかで再生させ、血と憎悪にまみれた醜悪な現実の只中にしか人間の実存はないという後者での発見が、彼を作家ガルシア=マルケスにしたのではないでしょうか。


 彼の文学と音楽には密接なつながりがあるようです。バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」を聞きまくりなから、6作目の長編小説「族長の秋」を執筆していた著者は、そのことをあるカタルニア人の音楽家から指摘され、さらにノーベル文学賞の授賞式でも、なぜかこの曲が会場に流されて驚愕したそうですが、私たちはここでも文学と音楽の親和関係を確かめることができます。

「人生がどの方向に進んでいるのかを示しているような幻想を与えてくれるものであれば食器洗い機の中のお皿とナイフ、フォークまで音を出すものはすべてが音楽である」というジョン・ケージ流の哲学を持つ著者は、ゆったりとしたエピソードにはショパンのノクターン、幸せな午後の場面にはブラームスの六重奏という風に、さまざまなバックグラウンド・ミュージックをメキシコシティの書斎で流しながら、本書の続巻の著述に励んでいるようです。

 ♪「族長の秋」を彩るバルトーク奇跡のシンクロニシティにマルケス驚く 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-26 09:06 | 読書

梟が鳴く森で 第15回



bowyow megalomania theater vol.1


「僕はこのパルシファルが好きでねえ。なぜかというとパルシファルという主人公が自閉症児者にとっても良く似ているからなんですよ。アダムとイヴがエデンの園で蛇にそそのかされて食べてしまった禁断の樹の実。彼らはそれを食べることによって目が開け、神のように善悪を知る者となりました。それ以来、知は人類の最大の武器となり、文明と社会をつくり変え、人々の生活を進歩させてきたと言われていますね。

しかし他ならぬその人類のエッセンスとしての知性が僕たちの文明を破滅に追いやり、地上に残された最後の楽園をすら地獄に変えようとしている。ワーグナーの「パルシファル」のテーマも、そこにある。悪魔クリングゾールの毒牙にかかった薄幸の美女クンドリーと現世を統べる王アンフォルタスの悲劇を救うのは無知で無欲で無垢の魂を持った愚か,者、すなわち自閉症のパルシファルな人なんですからね。

自閉症に限らず精神や身体に障碍のある人の多くが、どうしてあのように純粋で汚れのない清らかな心を持っているのか僕は不思議で仕方ありません。
もしかすると知恵を持つということ、神経細胞ニューロンが触手を伸ばして脳内ネットワークを持つということ、そのこと自体に悪と毒が含まれているのかも知れません。つまり、人間が人間になる過程自体に、神様の目からご覧になって悪魔的な要素が激烈に増殖しているのかも知れませんね。

知恵遅れとかダウン症とか自閉症児などを長く見続けていると、これらの障碍のある人は、生まれながらに絶海の孤島の住人であるような錯覚にとらわれることがあります。傷つき汚れた文化や文明から遠くへだたった、きれいな自然と大気の中で、もっとも天国に近い環境で、もっとも純粋に近い姿で生きている現代の聖者、現代のパルシファル、そういうイメージです。

時々眠れない夜、絶望にかられてこの世のあれやこれやの悲惨な状況について考えているとき、ふと彼ら障碍者のことを思うと、なぜか突然力を与えられ、未来がひらけてくるような気持ちになることがあります。金と力に目がくらんだこの世紀末に、まったく権力も欲望も知恵もない聖なる愚者である彼らがどこかから静かに姿を現し、僕たちの陥った蟻地獄のような災厄に優しく清らかな手を差し伸べてくれるという美しい幻想、いや幻覚でしょうな。その幻覚だけが僕の日常を支えてくれるのです……」


聖なる日聖なる人はよみがえりの聖なる歌は世界に響く 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-25 10:44

プッチーニのオペラ映画「ラ・ボエーム」を視聴する



音楽千夜一夜第101回

昨日に続いてのプッチーニですが、今日のは1896年に作曲された代表作の「ラ・ボエーム」です。1889年の「エドガー」とは別人のように洗練された技法で、男女の別れを切々と歌い上げます。

「ラ・ボエーム」といっても、これはロバート・ドーンヘルムが映画化したもの。いまウイーンで人気のド・ビリー指揮バイエルン放響をバックに、ミミをネトレプコ、ロドルフォをビリャソンという超人気コンビがスタジオ録音した音声に、特設セットでの映像をコラージュした代物なので、ライブ公演と同日に談じるわけにはいきませんが、なかなか楽しめます。

 しかしこの「ラ・ボエーム」を見ていていつも思うのは、3幕のダンフェール門外の悲しい別れの理由。ミミの病気がひどくなったから、自分がいては回復の妨げになるので別れる、とロドルフォはほざきますが、大好きな女が死にかけているなら、普通の男なら最後までケアをするのではないでしょうか。

それなのに、やれ「寒い冬にひとり切りは耐えられない」、とか「せめて花が咲く春に別れたい」とか口々に「意気寂しがっている」のがちゃんちゃらおかしく聞こえます。まあ雪降るここで一回別れておかなきゃ4幕の愁嘆場が生きてこないからだということは分かるのですが、それにしても人間の心理としておかしいといつも疑問に思うところです。

ところでネトレプコ嬢は、ザルツブルクをコケにしたりして、世界中でひっぱりだこの人気のようですが、私は歴史に残るほどの歌手とはとうてい思えません。無色透明で小奇麗な歌い口ではあるけれど、まるで出来合いの機械仕掛けのお人形が口パクで歌っているよう。結局は真の個性がないのです。少なくとも私の趣味ではありません。


♪メリークリスマス!この年夏日本で死んだテレサ・ストラータス恋し 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-24 15:41 | 音楽

プッチーニのオペラ「エドガー」を視聴する


音楽千夜一夜第100回

偉大なオペラ作曲家の知られざる「名作」をはじめてビデオで見ましたら、私が持っているCD(イヴ・カラー指揮ニューヨーク・オペラ管の演奏)とは違って4幕物だったのでちょっとびっくりでした。レナータ・スコットがヒロインのフィデーリアを、ベルゴンツイが表題役を歌ったこのCDはハッピーエンドで終わる3幕物でしたが、ヨラム・ダビッド指揮トリノ・レージョ劇場管によるこの演奏は、突如ヒロインが敵役に殺されてしまう悲劇で終わってしまったからです。

このオペラの主人公エドガーは、友人フランクの清純な妹フィデーリアを愛していたのですが、ジプシー娘(最近ではロマと称するようだが余計なお世話)の官能的な魅力にひきずられ(この辺はカルメンに似ている)、同じ娼婦を恋していたフランクをナイフで傷つけたままアーモンドの花咲く村から逃亡します。(1幕)

しかし恋多き野生の女との酒池肉林生活に贅沢にも厭き厭きしたエドガーは、2幕で友人フランクが率いる軍隊に飛び込み志願し、祖国防衛戦争で死んでしまいます。(この辺のでたとこ勝負の筋書きがおもしろい)

ところがどっこいエドガーは、ぬあんと生きていた!?(この辺のでたらめな展開には誰もが呆然としてついていけなくなる)そうして彼は坊主に身をやつして己の棺桶の傍でフィデーリアが涙を流したり、ジプシー娘が嘘泣きしたりするのを逐一観察しているのですが、3幕の最後でフィクションを明かし、性悪女を放逐して初恋のカルピスの味の処女の胸へと帰ってゆく。メデタシ、メデタシ1巻の終というのがCDでした。

ところが去年の夏イタリアのトリノで行われた公演ではこのあと序幕と同じコーラスで始まる4幕の幕が開き、せっかく結ばれたはずのカップルの絆をジプシー女の鋭いナイフが永久に切り裂きます。仕合わせ転じて凶となる悲しい道行に、場内は涙、涙、また涙の幕切れでした。

プッチーニとしてはまだ若書きのオペラ2作目ですから、後年の旋律のきらめきはまだ暁天の星ですが、フィデーリアの悲しみのアリアなど盛り上がると、嘆かいはユヤーン、ユアーンと天まで昇り、イタリアのローカルオケが泣かせに泣かせ、観客ののんどはまるでイワシのようです。

4幕のもの静かなデユエットの伴奏では、緻密であるべきアンサンブルが突然ガタガタになるなど、あちこちに破綻もありましたが、まあこういうのがオペラの醍醐味なのでしょう。とにもかくにもおはなしが面白い、まるで歌舞伎のように楽しめるオペラでした。出演は以下のごとし。

エドガー ホセ・クーラ
フィデーリア  アマリルリ・ニッツァ
ティグラーナ   ユリア・ゲルツェワ
フランク  マルコ・ヴラトーニャ
グアルティエーロ カルロ・チーニ

トリノ・レージョ劇場合唱団
トリノ・レージョ劇場トリノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院児童合唱団

ヨラム・ダヴィド 指揮 トリノ・レージョ劇場管弦楽団
演 出 ロレンツォ・マリアーニ
(2008年6月25日 トリノ・レージョ劇場ライブ)


♪斬ったり張ったりちゃんちやんばらばらこれぞイタリア歌舞伎の醍醐味なるぞ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-23 09:01 | 音楽

梟が鳴く森で 第14回



bowyow megalomania theater vol.1


「普通の人、(普通の人の定義もキチンとしている訳じゃないけど)、普通の人ならそれこそ先天的に獲得している「状況の認知」「自他の関係の把握」「社会性の認識」といった知的ネットワークが、自閉症児者にはあらかじめ失われている。少しはつながっているにしても、そのネットワーク相互の配線は、そこここで断ち切られている。部品と部品、パーツとパーツ、脳機能と身体機能のすべてを統合するネットワークの弱さが、自閉症と言われる障碍の本質です。

だから自閉症の人っていい意味でも悪い意味でも「ゆるい人」。岳君もとってもゆるいんだけど、彼の脳の中のあちこちでほころびかけているニューロンの線と線を1本1本修復したり、回路のつながりを良くするために外部からいろんな刺激を与えたりすれば、少しずつ人並みになっていけると思うよ。

要するにリハビリだなあ。例えばプールで泳いだり、運動したり、ピアノをひいて脳のいろんな部位を活性化したり、電車ばっかりじゃなくて動物とか植物とか違うジャンルのことに徐々に関心を広げてゆくとか、お料理や図画工作をして手先をこまかく動かして逆に脳に対して刺激を与えていく……」

S先生は、ここでパイプをくわえて紫の煙をゆっくりと昼下がりの応接間に吐き出しました。部屋の中ではリヒヤルト・ワーグナーの舞台神聖祝祭劇「パルシファル」第3幕の聖金曜日の音楽が静かに流れていました。


♪破綻せし御国の御蔵支えんと国債需めし愛国者われ 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-12-22 10:19

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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