晴風万里

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ある晴れた日に 第76回


藤多き里に住みたる嬉しさよ

いざ行かん蛍舞う橋の袂まで

君とふたり蛍見にゆく夏の夜

妻とふたり蛍見にゆくうれしさよ

手のひらを返すがごとく生きており

ホトトギス特許許可局と鳴きにけり

春蘭が咲いていたのはこの辺り

ルリシジミ両手に花と飛びにけり

健ちゃんが突破したのは瑠璃シジミの瑠璃

生きてしあらば良きこともあらむナズナ咲く


百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる

たしかに神はいますらし されど日ごとに神は弱くなるらし

東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを疾く建て替えるべし
 
入梅の朝、一匹の大蛇が道路を横断していった。

知に働けば角が立つことあるけれどやっぱりフィッシャー・ディースカウには叶わない
 
君が代の歌声響く競技場唇結びし君の凛々しさ

東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを明日建て替えるべし

昨日辞め今日忘却の総理大臣無常迅速世の常なれど

腹黒き王沢蜂を一刺し哀れ死にたる鳩蜂マーヤ

ドン・ジョヴァンニの地獄落ち思い出したり小鳩刺し違え

歌え、歌え、心から歌えとサー・ジョンが叫ぶ

原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり

君知るや蛍は毎晩同じ葉の同じ宿にて眠ることを

父よ母よムクよみなみなホタルとなりて我をおとなう

鎌倉の夜のホームに降り立てば潮のかおりが胸元にくる

鎌倉のプラットホームに降り立てば潮のかおりぞ胸元にくる

荒れ狂う命のたぎりをキャンバスに叩きつけおりゴッホ顕現

かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち

はげたかファンドの雇われ社長となりて肩で風切る哀れな君たち

リークッスンが言った。おやお前丸腰じゃないか?キム・イルソンも言った。ゲイリークーパーをきどっているんだろうよ。ヤーポンよ俺たちはお前さんを武装解除しちゃうぞ。

カバたちがタンクで茹で死ぬ季節こそニル・アドミラリの境地を目指さむ

チャンチャン、スチャラカチャンとまことにお粗末な一席でげす

今日のお言葉 クラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっている



      でんでん虫車に轢かれし恨みかな 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-30 08:28

白い犬の陰に



茫洋広告戯評第12回

最近の携帯通信会社の決算を見ると伸び率ではソフトバンクがダントツで、次が老舗のドコモ、ひと頃元気だったKDDIが伸び悩んでいるようですが、3社の広告キャンペーンもおおかたはそれらの業績を反映しているような気がします。

広告が面白いのは何と言ってもソフトバンクの「白戸家の白い犬キャンペーン」で、いまや遣りたい放題。犬のお父さんがサッカーをしたり選挙に出たりと神出鬼没の大活躍で、かつてはどうしようもない安売り後発会社であったこの企業イメージをおおいに盛り上げ、ユーザーの好意好感度を上昇させています。まいにちおよそ4000本流されるCMの中でこれほど面白いものはないでしょう。

ほんらい広告は商品の特性を消費者にうまく伝達するべきなのですが、このキャンペーンではその基本的メッセージを超えて企画のドラマ性とキャスティングの妙が想定外にヒットしたために、CMが通常のCMの規範を逸脱して一種の社会現象となりおおせました。

民族差別と果敢に闘ってきた反骨の企業経営者と、その意気に感じた制作者のいまどき珍しい幸福かつ奇蹟的な協業であり、あの名作「そうだ京都行こう。」キャンペーンを企画した制作会社シンガタの佐々木宏氏のもうひとつの代表作として、後世に残る傑作でありましょう。

 最近どうも事業も商品企画も沈滞気味のKDDIでは、相変わらずガンガンメールの土屋アンナがぐあんばっていますが、「嵐」とかいう虚弱団体がぞろっと出てくるだけの防水キャンペーンは、そのキャスティングといい、演出といい最悪。最近の資生堂の「椿」もそうですが、こういう有名タレントをただ垂れ流しただけの芸の無さを、視聴者=消費者は鋭く見抜いており、それが企業イメージのずるずる低下につながっているのです。

対するドコモが最近展開したのは渡辺謙、岡田将生、堀北真希、木村カエラなどを起用した「ひとりとひとつ」キャンペーン。ソフトバンクが犬を擬人化したのに対抗して、今度はケーター自体を擬人化しました。

 携帯電話が使用者本人に帰属するパーソナルな存在であることを製品企画の原点に戻って訴求しようとしていますが、それはあまりにも当たり前の話なので、本キャンペーンに先立ってダスベーダーが登場して「俺のボスはどこだ?」と騒いだ(巨額が投じられた!)わりには消費者の反応は白けたものでした。

そもそも「原点に帰ろう」などと言いだした人間はそこで終わっており、そういう経営者が率いる企業は、さらなる衰弱の一途をたどるしかないのです。


    君が代の歌声響く競技場唇結びし君の凛々しさ 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-29 10:33 | エッセイ

ケルアック&バロウズ著「そしてカバたちはタンクで茹で死に」を読んで



照る日曇る日 第351回

なにやら奇妙なタイトルに惹かれて読みだしましたら「路上」のジャック・ケルアックと「裸のランチ」のウィリアム・バロウズの、いずれも無名時代の小説だったのでちと驚きました。

この題名は当時どこかの動物園だかサーカスだかが火事で丸やけになって大勢の動物や人間が死んだというラジオのニュースを2人が聴いていたのでつけられたそうですが、命名の理由なぞ聞かないほうがよっぽどシュールで良かったね、というところ。なぜなら、この素人小説にはそれ以外の取り柄がさっぱりなかったからです。


ではカバ小説の中身といえば、これが1944年8月にニューヨークで起こった殺人事件のてきとーなカバー! 2人が偶数章と奇数章をそれぞれ書きついで完成させたというリレー方式の目新しさをのぞけば、特にどうということもない面白くもおかしくもない三文小説でした。

たまたまその年の夏、ルシアン・カーという少年が彼につきまとうデヴィッド・カラマーという年上の男をナイフで刺し、意識不明のカラマーをハドソン川に投げ落として殺害したそうですが、この2人はケルアックやバロウズやアレン・ギンズバーグなど後にビート世代を代表する文学者や詩人たちの知り合いでした。

彼らは殺害直後のカーに対して自首を勧めるどころか殺人の感想を聞いたり、逃亡の相談に乗ったりしたのでケルアックなどは牢屋にぶち込まれたり、後年になってこのカー・カマラー事件の顛末を何度も小説化していますし、バロウズなどはこの事件を参考?にして細君を銃殺しているくらいですから、若い彼らにとってはそうとうショックな事件だったとは思うのですが、読まされる方にとっては面白くもおかしくもない話だねえ、という一点に帰着するわけです。

 しかしながらいまや現代小説の肝が、あらすじの面白さや主題の積極性ではなく、読み進むに従って読者の胸中に生じる不断の生命の躍動(エランヴィタール)そのものにあるとすれば、この元祖ビート小説の最大の特徴は、その生命の躍動を一歩も二歩も進めた無窮の生命の非躍動(ニル・アドミラリ)にこそあるのでしょう。お茶漬けの味にこそグルメを凌ぐ深い滋味が宿るのです。

 それゆえ平成最晩期に生きるサイバーパンクな作家たちは、このニル・アドミラリの境地をこそいまいちど目指すべきではないでしょうかなう。


♪カバたちがタンクで茹で死ぬ季節こそニル・アドミラリの境地を目指さむ 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-28 05:31 | 読書

エオリアン四重奏団の「ハイドンのカルテット全曲」を聴いて



音楽千夜一夜 第145夜

ようやくハイドンの弦楽四重奏曲の全曲を22枚のCD(@347円)で聴き終わりました。この偉業を1970年代にはじめて達成した英国のエオリアンカルテットの演奏です。

私はたまにはラサールやアルバンベルクなどの鋭角的なカルテットも聴きますが、すぐに大脳前頭葉に物理的な痛みを感じてしまい、聴く人に無用の緊張を強いる彼らを敬しつつ遠ざけ、そのかわりにこのように前途茫洋で曖昧模糊、天衣無縫で八方隙だらけのゆるい四重奏団の音曲に耳を傾けることが多いのです。

フルヴェンの生きるか死ぬか乾坤一擲の運命交響曲にひしと聴き入るのは年に一度のことでして、スチャラカチャンチャンの三六四日はモールアルトの小夜曲に浮かれているほうが性に合っているのですね。ト短調交響曲やレクイエムよりもシャンドール&ザルツブルクァメラータのセレナードや喜遊曲を取りたいとなすますおもう平成も晩期の今日この頃であります。

ハイドンは交響曲とおなじように外見はあまり変化がなくても細部のあちこちに思いがけない仕掛けや創意工夫があって、ロマン派の大仰な絶叫音楽にはけっしてない淫靡な楽しみを与えてくれます。そもそもクラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっているのです。

第一ヴァイオリン主導の古典的な演奏で、時折は音程をはずしたり縦の線がずれてしまったりする古拙で鄙びた演奏ですが、それはそれでハイドンらしく、それでも後期の作品76や77くらいになると目が覚めるような音彩を四方に放つので、さすがに英国の楽団には英国のスピーカーが似合うなあと思わされた次第です。

なおハイドンの全曲盤は、2000年にフィリップスから発売されたアメリカのエンジェル弦楽四重奏団の21枚組の格安CDも出ていますが、1994年から1999年に録音されたこちらの演奏はもっと若々しくモダンです。

♪今日のお言葉 クラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっている 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-27 09:25 | 音楽

レヴァインMETでモザールの「魔笛」を視聴する



音楽千夜一夜 第144夜


毎度おなじみの千夜一夜でげす。

そういえばこないだ久しぶりにモツアルトの「魔笛」を視聴しましたが、やはり古今東西無敵の名曲でやす。演奏はジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。1991年11月の公演をてだれのブライアン・ラージがライブ収録したものです。

演奏はいつのもレヴァインらしい安定したモーツアルト節。もっと劇的にやればやれる人ですが、そこはぐっと抑えてあら珍しや英国の美術家デイヴィット・ホックニーのポップな演出に奉仕しておりやす。

出演はザラストラにクルト・モル、タミーノにフランシスコ・アライサ、夜の女王にリチアーナ・セッラ、加えてタミーナにはキャスリーン・バトルといった御一行さん。

レヴァインによってその類稀なる才能を見いだされたバトル嬢は、このオペラハウスの専属ソプラノとして大活躍しておりやしたが、根が下賎の身であったのか生来の遺伝子のゆえか、はたまたニューヨークの花見酒気分の観光客どもにちやほやされてだんだんと嬌慢の病に冒されたのかはいざしらず、次第に彼女の自堕落な立ち居振る舞いが湿地のツキヨタケのごとくにょきにょきと芽生え、夜遊び朝寝坊のあまりたびたびリハーサルにも遅れるようになりやした。

バトル嬢は温厚無比なる音楽監督を軽んじて恩を仇で返したのみならず伝統あるオペラハウスに多大の迷惑をかけること度重なるに及んで、ついにこの公演のあとしばらくしてMET永久追放の憂き目をみることにあいなりました。

身から出た錆びを地でいく阿呆の所業、諸行無常とはこのことかや。雉も鳴かずば撃たれまいに、の嘆きの一言が天井桟敷のどこかから聞こえてくるような黒き白鳥の歌であり、鶴の最期の絶唱でありまする。

♪チャンチャン、スチャラカチャンとまことにお粗末な一席でげす 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-26 17:51 | 音楽

デッカ盤「PIANO MASTERWORKS」50枚組CDを聴いて



音楽千夜一夜 第143夜

2008年9月にデッカから発売されたピアノによる演奏大全集をようやく聞き終わりました。例によってついつい1枚180円という廉価につられて買ってしまったのですが、これはどれをとっても聞き逃せない名盤揃いで、さきの35枚組ヴァイオリン名曲集以上の耳の悦楽を与えてくれました。

ラインアップはシフによるバッハのパルティータやピアノ協奏曲、グルダの平均律全曲、ケンプ、ギレリス、ゼルキン、アラウによるベートーヴェンのソナタや協奏曲、バックハウス、ベームによるブラームスの協奏曲、アルゲリッチのショパン、リヒテルのハイドン、カーゾン、ルプーのシューベルト、コヴァセビッチ、デービス、ハスキル、フリッチャイによるモーツアルトの協奏曲、ケンプによるシューマン等々ですが、なかでもシフとグルダは抜群の聴きごたえがありました。

半分くらいはすでに所有しているCDでしたが、最新のマスタリングがなされているので演奏だけでなく録音も素晴らしいのです。

もはやこの世にあらざるピアノの名人たちの名演奏に次々に耳を傾けていると、聴いている私も、この世にあるかあらぬか定かではない不思議な世界にたゆたいゆき、夢の中で鳴り続けている音楽にいつまでも身をゆだねているのでした。


♪はげたかファンドの雇われ社長となりて肩で風切る哀れな君たち 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-25 20:41 | 音楽

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第9回



bowyow megalomania theater vol.1

ゲッ、ゲッ、ゲエーとぜんぶの穴から出しちゃいました。

そして泣きました。

こわかったのです。

頭が痛い。もういやだ。僕は女のひとに汚されてしまった。僕は女のひとは、いやです。なにされるか分からない。乙姫なんて大きらいだ。許せない。ぶっ殺してやる。

額のところに玉のような汗をかいて「ちくしょう、ぶっ殺してやる! 許せない!」
と叫んだところで、パッチリ目が覚めました。お母さんが心配そうに僕をのぞきこんでいました。病院でした。真っ白なシーツにつつまれて僕はあくむのような夢を見ていました。そしてそれが発作でした。


     春蘭が咲いていたのはこの辺り 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-24 22:28 | 創作

レーモンド・カーヴァー著「ビギナーズ」を読んで



照る日曇る日 第350回

アメリカの作家レーモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」という短編集を読んだ時、それが当時の「ニューヨーカー」の辣腕編集者ゴードン・リッシュによって原文のおよそ半分がカットされ、残された部分も徹底的に切り張りされた代物であり、その奇妙なタイトルさえも、くだんの編集者によって命名されていたことを、私はこの本の翻訳者村上春樹のあとがきによってはじめて知りました。

当時アル中で小説を書くどころか、死に瀕していた無名の作家にとって、自作を改変されることは屈辱的ではありましたが、その改変が原作よりも優れた成果を収めていたり、改変されたその協調性に欠けた共著が著名出版社から世に出たり、ましてや江湖の文学ファンから歓迎されてベストセラーになるに及んでは、それこそ功罪相半ばということになって、長くお互いの「企業秘密」になったことは、門外漢の私にもわかるような気がします。

さて文学者である妻テス・ギャラガーの協力を得て限りなく当初のオリジナル原稿に忠実に復刻された「愛について語るときに我々の語ること」改め「ビギナーズ」の読後感はどうかと聞かれたら、収録作品ごとに優劣はあるにせよ、原作も良ければ改訂版も悪くないことあたかもブルックナーの交響曲のごとし、と答えるしかありません。

たとえば表題作の「ビギナーズ」は改訂版である「愛について語るときに我々の語ること」の倍の分量に復活したために、交通事故から奇蹟的に生還した老夫婦の再会のシーンで大きな感動を与えられたり、作者の思いがけないゆったりとした語り口に小さな驚きを味わったりすることができるわけですが、その反面、あちこちの冗長な描写が気になるだけでなく、カーヴァーの最大の特徴である生の真髄に冷酷無比に切り込む鋭い筆鋒が失われている不満を感じないわけにはいられません。まるで泡のないサイダーを飲まされているような味気なさといえばいいのでしょうか。

やがて腐れ縁で結ばれたこの2人は、切れろ切れないのすったもんだを繰り返したあげくようやく決別し、晴れて独立して自由の身になったこの20世紀アメリカ文学の旗手は、短すぎた生涯の最晩年を彩る「大聖堂」などの心に重く沁み込む傑作を遺して1988年に亡くなったわけですが、その文壇デビュー以来の前半生を創造したのは作家以上に作家を知る編集者との二人三脚であったことを思うと、複雑な感慨に誘われます。

おそらく私たちはこの作家の内部にキメラやミノタウロスの残骸を見出し、その作品の内部に棲息するジキルとハイド氏の対話を読まされているのではないでしょうか。


かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-22 21:20 | 読書

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第8回



bowyow megalomania theater vol.1


そう、そう、そう、そう、結構やるじゃんこの子。あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あん、ぐんぐぐぐぐぐぐーん、アッハ、アッハ、アッハ、アッハ、ア、いいいいいいいいいいーーーーーーーーーい。

 おーし、こんどはそっちをいじめてやる。どお、どお、どおだい。、どら、どら、どおだい。こんなとこに指を入れられたことある? ないでしょ。どうかな、どうかな、どんな気持ち?

んぐ、んぐ、んぐぐ、あっ、あっ、あっ、あっ、もうだめ。もうだめ、もうもうかんべんしてくださあーい。いいっ、いいっ、いいっ、いいよおう。あっ、あっ、やめて、やめて、やめ、やめ、やめ、や、や、や、やあーん。あん、あ、あ、あ、あ、あああああああああーーーーーーーーーん。

僕は頭の中に赤や青や黄色の絵具をチューブからうんこのように何重もぶちまけられたよう気分になって目がくらみ吐き気がして、とうとう上からも下からも吐き出してしまいました。


    ルリシジミ両手に花と飛びにけり 茫洋

    健ちゃんが突破したのは瑠璃シジミの瑠璃 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-21 18:32 | 創作

子規と六月と風



バガテルop126



明治の短詩型文学の豪傑、正岡子規のうたが好きな私ですが、とりわけ


毎年よ彼岸の入りに寒いのは

六月を奇麗な風の吹くことよ

いくたびも雪の深さを尋ねけり


のように、あまり頭でひねくったところのない、平凡な、いわゆる月並みの句を好みます。

星雲の志を懐いて松山から上京した子規は、陸羯南の世話で「日本」新聞社の社員となって明治25(1892)年11月に郷里から母の八重と妹の律を下谷区上根岸に呼び寄せ、家族3人で暮らしはじめます。

明治26年3月につくられた「彼岸の入り」の歌は、母親八重の言葉をそのまま5・7・5の調べに乗せたもので、俳句を第2芸術とののしった頭の良い仏文学者にはそれこそ最低の句なのでしょうが、文芸と理屈はしょせん無縁のものと確信している頭が悪い私にとっては、愛惜すべきなかなかに味わい深い佳句なのです。

3句目の「雪の深さ」の句は、子規がついには死に至る脊椎カリエスを患って床に就くようになった明治29年の冬の句ですが、やはり母と子の楽しい会話のやりとりの中から誕生した日常生活の小さなよろこびが息づいているようです。

先日の朝日新聞の詩歌欄で、ある俳人が「六月の風」の句について触れ、これは明治28年の3月、日清戦争に従軍した子規が帰国する船中で喀血し、須磨の病院にかつぎこまれて九死に一生を得て詠んだ、いわば生への帰還の感慨の句である、と鬼の首でも取ったように書いていました。

賢い頭で実証的に右脳を納得させた結果、はじめて得心して感動されたようですが、私は、この句は時代環境や彼の個人的体験とは無関係に、野に咲く花のような自然の魅力を放っていて、その解釈と鑑賞のために、上述の背景の理会が必要になるとはさらさら思いません。

子規はただ梅雨から初夏にかけてときおり爽やかに吹き抜ける六月の風を、ただ無心に「奇麗」と感じ、その気持ちをそのまま詠んだのです。それとも、もしかするとこの句は、子規が須磨から根岸に帰った後で、母親の八重が、

「のぼさん、今日は朝からきれいな風が吹きよるねえ」

と話しかけた、その瞬間に誕生したのかも知れません。

いずれにせよ、今から115年前の昔、あの鄙びた根岸の里を吹いた風は、今日も奇麗に吹いているのでした。


ホトトギス特許許可局と鳴きにけり 茫洋

百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-20 11:31 | 詩歌

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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