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晴風万里

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西暦2011年睦月 茫洋狂歌三昧




♪ある晴れた日に 第84回


Go ahead, Make my day!ドラ猫が見毛猫にいきまく冬の昼下がり

明らかに私のことを胡乱な奴と思っているはず二匹の猫

二匹の猫に見下ろされながら咳二つ

聖キリストにはならえなくとも楽聖のベートーヴェンならならいたいな僕

ゆるやかに円弧を描く村正の一太刀浴びてゴミリュウ仆る

青春を終わりし時代の行き止まりてんで恰好悪く死んじまうおれたち

生も暗く死もまた暗いそんな眼をしてこっちを見るなコン・リー 

転配はわが本意にあらずという人思い墓地歩みけり正月三日

和凛想静憩夢などと刻まれし墓碑ありてみな西方浄土に直立す

スタジオで全員帽子を被っている少女が変か変と思うこっちが変か

30%オフですよと朝8時から連呼させられている新宿の女

ユニクロで6足1000円の靴下を迷いつつ選ぶ小さなしあわせ

おいらはしょせん河原乞食そうおもいながら指揮せよ指揮者

お母さん自閉症ってなにと尋ねている自閉症の長男

愛と平和を歌うことなぞ迚もじゃないけど恥ずかしすぎて

いわれなく人の高み立つ人に訳も分からずお辞儀しているよ 

書いて書いてもトカトントン読んでも読んでもトカトントン

踊れ喜べ歌え魑魅魍魎の幸福な魂たちよ

おんなはすべてはじめは処女のごとく終わりは脱兎のごとし

ニューヨークヘラルドトリビューン!と叫びながら売っていた女の子
 
七年間細々続きし仕事なれど絶えてしまえば寂しかりき

えんやこらしょっとバイロイトに響き渡るウインフィルの咆哮 

パンテイは別になくても構わないわさよならモンテイパンテイ

道代の太腿文子の裏返ったアルトにぞくぞく

一〇年代の女優にはムラムラしないのに六〇年代の女優にムラムラ

けふも悲しい顔をしておった不老長寿の老人


元旦や何事も無き有り難さ

此岸より名優多き彼岸かな
 
野晒しや百尺竿頭一歩を進む

健ちゃんに行火を買って待っている

お父さんなんて自分のことばっかり

でんでん虫生きているって言ってみろ



初雪や書き込み少なきブログかな 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-31 20:31 | 詩歌

朝吹真理子著「流跡」を読んで


照る日曇る日 第406回

ここに綴られている日本語表現がきわめて精妙でニュアンスに富み、これまで日本文学が蓄積してきた数多くの文化遺産の自由自在な引用から成り立っていることは間違いない。
また著者の文学的教養とその大脳前頭葉へのくりこみの錬度の高さは、本書の任意の頁のわずか一行の表現ひとつとっても明らかで、それが凡百のぼんくら作家どもの通常の文章を、粗野で洗練されない文飾と映るほどの出来栄えであることも否めない。
しかしそうであればあるほど、この人は、この無類の名文という武器を用いて、いったいなにごとを表白したいのかが、読めば読むほど分からなくなる。冒頭の一句から終止符までたしかに希代の美しくも繊細な詩文が羅列されているものの、行く川の水の流れの主体が誰であるのかを水に問うても返事が返ってこないように、著者本人をつかまえて
「いったいあなたはいかなる意図でこのような文章をまるで自動表記の機織りロボットのように垂れ流しているの?」
と尋ねても明確な返答はできないだろう。
無自覚で無意識のうちに書き下ろされた文章は、それが水のように透明で清冽であっても、いつまでも終わることにない文章表現の御稽古であり文学ごっこであり、あえていうなら修辞による自慰に類した行為にすぎない。
つまりこの文章にはHOWはあってもWHATはひとかけらもない。もっと正確に評せば、この小説のようなものは、なにをどう描いていいのかかがまだつかめていない未熟な文学少女の一習作に過ぎない。誰に何かを伝える意思もなく、ただただ蚕が白い糸を吐き出して己の裸身を繭の内部に閉じ込めようとしているだけのことで、このような文学以前の作文を珍重して、やれ新しい文学や文学者が誕生したなどと笛や太鼓で囃すのは、本人のためにも、世の中のためにもならないであろう。

30%オフですよと朝8時から連呼させられている新宿の女 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-30 08:13 | 読書

澤井信一郎監督の「Wの悲劇」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.81

澤井監督の、というよりは角川春樹の、薬師丸ひろ子による1984年製作の青春映画である。

夏樹静子の原作なぞはどうでもよいが、実際ここには当の春樹をはじめ、仲谷昇、三田村邦彦、南美江、三田佳子、世良公則、清水浩治、蜷川幸雄などなど往年の俳優たちが雁首を揃え、なかには新人女優高木美保のフレッシュな姿も見える。

彼らはいずれもこの映画のフレームの中で生き生きと動き回り、思いがけない生命の輝きを見せていることにいささかの感慨を覚える。あれから20数年の歳月が経過したにもかかわらず、当然のことながら三田も蜷川も異様なまでに若く、これに比べれば、いまの彼らは死人同然とすら思えてくるような、この不可思議なエネルギーの発露と奇妙な高揚感はいったいなんなんだろう? 

つまりここに封じ込められているのは、まぎれもなく80年代日本の微熱を保った時間と空間の奇妙なねじれ、あの魅惑の糜爛(びらん)そのものである。

恋人への愛を抹殺し、先輩三田の清濁併せのむ生き方に倣って、女優への道を歩み始めた薬師丸ひろ子の苦渋に満ちたラストショットの裏側に、その後の私たちが辿ったほろにがい運命が透けて見えているのだが、そこへすかさずそこに流れてくる舌足らずの主題歌は、まるで彼女と私たちの青春時代への幽かな挽歌のように聴こえる。

「Wの悲劇」とは、私たちと私たちの国がその後陥ることになった取り返しのつかない悲劇のことだったのかもしれない。


スタジオで全員帽子を被っている少女が変か変と思うこっちが変か 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-29 10:14 | 映画

山本薩夫監督の「氷点」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.80

1966年公開の大映映画で、原作は三浦綾子。当時の朝日新聞に連載されて話題になったが、いくら「汝の敵を愛せよ」をうのみにする正義漢?でも、自分の娘を殺した犯人の娘をわざわざ養女に迎えるような親(船越英二)はいないだろう。すべてはこの馬鹿な男とその友人の産婦人科が悪いのである。おかしいのである。私なら養女を迎えるどころかドスを呑んでその犯人を殺しにいくだろう。それが人間のノーマルな反応である。

こういう不条理な設定を考えるのは勝手だが、それをわざわざ小説や映画にする必要はないのではないでしょうか? 結局その娘陽子はリクエスト通りの犯人の娘ではなく別人の赤子だったわけだが、このクリスチャン作家は妙なプロットを無理矢理考えたもんだ。

そんな下らない映画なら見るのを止めればいいのだが、なにせ若尾文子と安田道代が出ているから、それにつられてとうとう最後まで見てしまった。

当然のことながらこの最初の無茶苦茶なボタンの掛け違いが、当の娘(懐かしの安田道代!)をはじめ、兄の山本圭、母親の若尾文子などに多大な苦痛と不安を与え、ついには決定的なカタストロフを迎えることになる。

たとえ親が殺人犯だろうが別人格のその子にはまるで無関係であっても、それを承知で平気で育てられるわけがない。娘が無邪気で性格が善良であればあるほど、夫婦の心の血は日に日に夥しく流されるようになるとともに、リアリスト山本薩夫の演出の餌食となる。

しかし私が思うに、この映画の登場人物のうち、終始いちばんまっとうな人物は妻ではないだろうか。その他は無邪気すぎる娘を含めて多少とも奇妙であるか異常な人物ばかりである。妻は最初は娘を溺愛し、真相を知ってからは娘をいじめたり、憎んだり、娘が好きになった好青年津川雅彦を誘惑しようとしたり、娘の首に手にかけようとしたりする、つまりはあまりにも普通の主婦なのに、原作者と脚本の水木洋子と監督は、よってたかって彼女だけを超悪役のように仕立てあげているのが、私には断じて許せないのだあ。

しかしまあそんな固い話はこれまでにして、妖艶無比な若尾文子の仇な姿と、父親の船越英二の目をくぎ付けにする安田道代(のちに大楠とおお化けする)のむっちりした肉体美も、このうえないご馳走でげす。

道代の太腿文子の裏返ったアルトにぞくぞく 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-28 11:47 | 映画

アンドリュー・ソルト監督の「イマジン」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.79

ご存知ビートルズのジョン・レノンの100時間におよぶインタビューと過去の映像を編集して完成したファン必見の1998年製メモリアル映画です。

リバプールのライブハウスでうろうろしていた彼ら4人組が世界のトップスターに成り上がった背後には、時代と音楽の先をよむに長けていた俊英プロデューサー、ブライアン・エプスタインの存在がやはり大きかったようで、彼が32歳で若死にしてからはもはやビートルズの解散は避けがたかったと思われます。

しかしこの映画を見ていると、ビートルズ、なかんずくレノンの真髄は、カブト虫組解散以後にあったことがよく分かります。「酒、歌、女はた煙草」と詠んだ佐藤春夫に倣ってドラッグやインドや愛と平和運動やオノヨウコなぞの生と性の妄動と親しく交わったレノンは、1971年に代表作IMAGINEを発表します。

そのメロディも歌詞もこれ以上ないくらいシンプルなものですが、天国や地獄や財産や国家や、生死を取り扱ったフレーズから浮かんでくるのは、「愛と平和こそ第一」と公言するこの人の、そのじつきわめてアナーキーな思想です。

かつてキリストや地上の権力を公然と否認した希代の革命家は、楽曲IMAGINEの中で己を夢見る人とちゃかしながら、じつは現世の愛と平和すらてんで信じていなかったのではないでしょうか。


愛と平和を歌うことなぞ迚もじゃないけど恥ずかしすぎて 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-27 11:44 | 映画

ヒッチコック監督の「めまい」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.78


 ヒッチコック監督の1954年の「裏窓」が冷女グレース・ケリーを称揚する映画だったとするなら、この1958年の作品は冷暖房女、キム・ノヴァクの祭壇に額ずくためにヒッチガ作ったフェチシネマです。

 「裏窓」と同じく美神に翻弄されるあほばか男を演じるのはジェームズ・シュチュワート。探偵の心を鷲つかみにするのはクールビューティ、キム・ノヴァク1号。その神秘的で妖艶な美貌はどんな禁欲的な男にも一撃で眩暈をおこさずにはいられないほどの物凄さです。

 しかし探偵の愛と追跡をうまくまいて素顔に戻ったキム・ノヴァク2号のしまりのない顔と太り気味の体躯は、もはや同じ名前を持つ女優の姿形とは思えません。したがってこの映画が証明しているのは、人間は洋服と化粧、とりわけヘアメイクで全部変貌してしまう存在だ、ということです。

 人間、特に女性は自分とは違う存在にあこがれて衣装と化粧に終生身をやつすのですが、それが夢でなく手軽に実現できる変身手段であることは、素顔の坂東玉三郎や鈴木保奈美の目の前に立ちながら、それが言われるまでは本人とは気づかなかった私の個人的な体験からも確言できます。

 人工的に完成された極限の異貌美にとりつかれ、激しく固執し、恍惚のエクスタシーに見舞われた男の悲喜劇、それが「めまい」の世界に他なりません。大きな苦労を重ねてキム・ノヴァク2号をキム・ノヴァク1号に変身することに成功したあほばか男は、クールビューティの突然の不慮の死によって致命的な打撃を受けたはずです。

ヒッチの映像筆致は本作でも異様なまでに冴えわたり、シスコの坂道を白いシボレーに乗った探偵が謎の美女の緑のロルスロイスを追って追跡するシーンはまだなにも事件が起こっていないにもかかわらず背筋がゾクゾクするような気がしてくるのですが、これは2人が運命的な出会いをしたその瞬間に、約束の「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲をちらちと挿入してみせた名人バーナード・ヘルマンの音楽が大きく物を言っているようです。


     お父さんなんて自分のことばっかり 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-26 11:37 | 映画

斎藤智裕著「KAGEROU」を読んで



照る日曇る日 第405回

生活に窮し、未来に絶望して死にたくなった若者ヤスオが、デパートの屋上庭園から飛び降り自殺を試みたが、たまたま居合わせた医療法人全日本ドナー・レシピエント協会の特別コーディネーター京谷に一命を救われる。

そして京谷は、どうせ死ぬならわが協会に全部の臓器を寄付してから死ねば、死後に大金が振り込まれるといってヤスオを説得する。

さまざまな紆余曲折を経てその契約が実際に遂行されるわけだが、その短かった生涯の最後の日に、若者は恋を知り、人を愛することの素晴らしさのめざめ、命の大切さに改めて気付き、

「皮肉なもんだよな。いままでの人生で今日ほど生きたいと思った日はなかったよ」

と言いながら死んでいく。移植されたヤスオの心臓が、恋する少女アカネの胸の奥で脈打つことを信じながら……。

というプロット自体は、かなり平凡だとしても、それほど悪いものではない。しかし問題は、この物語を演奏する奏者と楽器の凡庸さと無個性に尽きるということになるだろう。

いやしくも一篇の中間小説を物語ろうとするなら、他の作者と鋭く一線を画するそれなりに個性的な演奏法、つまり文体の独自性というものが必要だろうが、それらは236頁の全文のどこにも、かけらすらない。

これは私の勘で言うのだが、この小説はプロット自体は著者自身のものだとしても、それを実際に文章化したのは複数の手練れのライターではないだろうか。そうでなければたった一時間で読了できる、まるで漫画かテレビドラマのシナリオのように超フラットな文章が、こうも延々と続くわけがない。

かてて加えて、驚いたことには232頁の3行目に致命的な誤植があり、その活字の上から正しい固有名詞を記した白いシールが平然と張り付けてある。卑しくもれっきとした名のある出版社なら、即刻全本回収して刷り直した新本を提供すべきものではないだろうか。



7年間細々続きし仕事なれど絶えてしまえばいと寂し 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-25 14:35 | 読書

フェリーニのわが「魂のジュリエッタ」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.77

 1964年製作の「魂のジュリエッタ」とはすなわちフェデリコ・フェリーニの愛妻ジュリエッタ・マシーナの魂について映画監督である夫が幻想と想像と創造と妄想を逞しくした映像による所産であろう。

仕事で多忙の夫に放置されている妻の内部には、当然のことながら夫の素行への疑惑やらおのれの精神の空虚さにたいする不安がどんどん亢進していく。映画はその空虚と不安を監督はじめての極彩色のカラーで面白おかしく、うれしかなしくホーヤレホと描き続けるのである。

ヒロインの夫が開くパーテーィに登場する人物もまたフェリーニ的な皮肉と諧謔で色濃く染め上げているのだが、とりわけ夫婦の隣人宅に集う正体不明の男女たちのゆがんだ群像がまことに興味深い。彼らは犯罪者というわけではないが、現世の普通の常識の範疇をはげしく踏み外しており、彼らの酒池肉林は一種のモダンなサバトの狂宴に似てくる。

フェリーニの映画が面白いのは、彼のキャメラの視点が、つねにこの正界から異界への踏み外しに向けられていたからだろう。軽妙な会話を交わすハイソサエティの人々の魂の内部に巣食う埒外の心象が、サーカスの役者や巨女や怪物や飛行船や巨船などの異形のものに託され、あらゆる制約を解き放たれた彼らは自在にスクリーンの天地をはね回ったのである。


    踊れ喜べ歌え魑魅魍魎の幸福な魂たちよ 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-24 19:25 | 映画

奥泉 光著「シューマンの指」を読んで



照る日曇る日 第404回

この人も「シューマンの徒」であると知って勇んで手に取ったのです。ずいぶんシューマンに親炙されたようではじめのうちは喜びを覚えつつ頁をめくっていました。

ところがこの本は私が勝手に予想していたシューマンの伝記小説ではなく、下らない民放テレビでよくやっている「家政婦は見たか見ないかなんちゃって殺人事件」の謎解きスタイルをベースにしながら、要所要所に音楽の蘊蓄を傾けるという趣向になっています。

文中、音楽家シューマンとシューマンの楽曲の解釈や評価についての記述は迚も興味深く、この作曲家に多大の魅力を感じてはいても、そのよってきたる由縁についての理解が浅かった私などに裨益するところは多々ありましたが、さて全体的な小説としての出来栄えはどうであったかと問われれば、最末尾のあっと驚く殺人事件のどんでん返し、さらには本作の小説構造を一瞬にして解体してしまうという魔法のような裏技、そのトリッキーなお手並みを大いに評価するにしても、

「で、それがどうしたの?」

と呟かざるを得ない、このー、

「なんだかかなあ」

という白けた気分が、窓の外の木枯しのように心中を冷え冷えと吹き過ぎていったことも事実です。こんな大脳前頭葉でこねくり回した小説をでっちあげる代わりに、平野啓一郎のショパンの向こうを張って「音楽の友」でユニークなシューマン論を連載していただきたいものです。


  書いて書いてもトカトントン読んでも読んでもトカトントン 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-23 09:57 | 読書

ジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」をみて



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.76


ゴダールの59年の長編処女作「勝手にしやがれ」は、オットー・プレミンジャーの「悲しみよこんにちは」における冷酷な仕打ちにこりごりしていたジーン・セバーグちゃんと、当初ゴダールを黒眼鏡のホモだと思って毛嫌いしていたジャン・ポール・ベルモンドを得て、世界的な大成功を勝ち取りました。

 全篇パリの街頭とアパルトマンのロケーションで撮影されたこの作品は、ベルモンド扮するニヒルな若者の不条理な殺人やなげやりな生きざまの中で真珠のようにきらめく一条の純愛、そして犬がくたばるような唐突な自己破壊を淡々と描いていますが、終わってみれば典型的な勧善懲悪物語となっており、悪に対する神の裁きがしがないあんちゃんを、パリの灰色の舗道になぎ倒します。

というよりも殺人を冒し恋人から裏切られたこの不幸な若者には自殺しかみちがなかったのです。ゴダールはこの映画の中でニューヨーク・ヘラルド・トリビューン社の前で、犯人をみずから刑事に密告することによって、この映画の倫理的性格をはっきりと表明しています。ベルモンドはいくらかっこよくても天国には入れない悪人なんだよと言っているわけです。

ところがおなじヤクザ者のB級パルプフィクションでも、「レザボアドッグス」のタランティーノ監督の脳内には、悪を裁く存在、すなわち神がいない。もしかすると北野武の暴力映画にも。だからあの映画をみていると、私たちは吐き気を覚えるのでしょう。

そんなことはどうでもいいが、1979年8月、パリ郊外で遺体が発見されたジーン・セバーグの死は、当時新聞に掲載されたそのいたましい写真の記憶と共に、私の長く小さな悲しみとしていまも残っています。ストライプのコットンシャツとジーンズがよく似合った可愛い女でありやんした。


ニューヨークヘラルドトリビューン!と叫びながら売っていた女の子 茫洋
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by amadeusjapan | 2011-01-22 11:13 | 映画

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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