晴風万里

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西暦2012年長月 蝶人狂歌三昧




ある晴れた日に 第114回


一度だけマリア・カラスのように歌ってみたいな五七五七七で

横須賀のマクドナルドで口にした1杯100円のコーヒーの不味さよ

この期に及んで右肩上がりの成長を夢見る左前左巻きのオッサンたちよ

現世の有象無象を見下して君は最後のネアンデルタール人

われもまた2002年夏の海の点景となり終せぬ

音楽かはた雑音かこの凄まじきクマゼミの声

鎌倉のカドキホールは今日も葬儀天国も地獄も満員だろう

鎌倉では毎日毎日人が死ぬ天国も地獄も満員だろう

いつの日にか君は大成するというそれまでわれは生きておるべし

朝っぱらから小説を読んでいる極道映画を見ている横着者

掲示版に訃報が二枚八月尽

蝉が鳴くお前は去年の蝉ならず

蝉時雨行方不明者は見つからぬ

蝉時雨妻子の居らぬ一軒家

迷蝶のさして迷わず飛びゆけり

風天の虎と発する革命戯

荻と萩の区別がつかぬ男かな

秋雨やガソリンスタンド終業す

秋茄子を一袋百円の有り難さ

白露過ぎわが陰嚢の冷たさよ

今日もまた時給40円の労働に汗を流す子我が子愛しや

地の果てに斃れし君は世の光地の塩の如く今も耀く

この夏も現れ出でたる大ウナギ毎晩川を悠々と泳ぐ

こんな長さのこんなぶっといウナギでねと腕がどんどん伸びてゆく

昔阪神、次横浜、今ヤクルトという無節操者のわたしでございます

一日に一句を詠んでいるのは辞世の句を練習するため

外国では胃ろうなぞせぬと聞く死ぬときは死ぬがよかろう

たった一匹のお前のために蚊取線香もうもうと焚く

スマホで笑いfacebookで泣きtwitterで怒り狂うあなた

殺せと命じられたら躊躇いつつも殺してしまう人間とは弱き者なり

現れ出でよ周恩来のような中国人田中角栄の如き日本人

ひばりやカラスのやうに歌ってみたいなある晴れた日に

山からうみへどどししどっど死地に乗りいる四騎あり

窓を開ければマサイの戦士がライオンを狩るアフリカケニアのムパタホテルよ 

横浜の港の先に突き出たるハンマーヘッドはアートの目印


北枕でくわくわ寝ている息子かな 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-30 09:52 | 詩歌

「ドナルド・キーン著作集第5巻」を読んで



照る日曇る日第541回

この巻では永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎などの日記を縦横無尽に引用して論じた「日本人の戦争」と、キーンをはじめとする米軍日本語将校が終戦直後に取り交わした書簡集「昨日の戦地から」の2冊の書物が併録されている。

前者は以前ここで紹介したことがあるので別途ご笑読して頂くとして、後者では戦勝国の軍人として中国や日本の人心風土混乱の状況を冷静に観察する元アメリカ人の著者の、歯に衣着せぬ「非文学的発言」が聞かれて興味深い。

とりわけ青島で親しくなった紳士的な日本軍将兵が無辜の中国人を斬に処したのみならずその肝臓を取り出して食したという情報に接し、周章狼狽するくだりが飛び出したのには驚いた。

著者は悩んだ末にその将校に尋問を行って有罪の確証をつかみ、結局事態の収拾を当局の手に委ねる。ほとんど著者の親友同然であったその将校は、その後恐らくB級戦犯として絞首刑になったと思われるが、このような戦争中の敵に対する殺戮の責任をどうとらえるかは、今も昔も難しい。

当時の中国戦線で、二等兵である私が、下士官から「スパイ容疑の現地人を刺殺せよ」と命じられたら、恐らく拒否することは出来なかっただろう。そしてその種の同じ「罪」を犯しても、その責任の追及が勝者と敗者の側に因って根本的に異なるという不条理は、もはや運命の悪戯という他はない。


殺せと命じられたら躊躇いつつも殺してしまう人間とは弱き者なり 蝶人


*「日本人の戦争」余滴
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1315544675&owner_id=5501094
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1316304923&owner_id=5501094&org_id=1315544675
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by amadeusjapan | 2012-09-29 08:30 | 読書

ジョン・ウー監督の「レッドクリフ前後編」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.318&319

後漢末期の紀元208年、大軍を催した魏の曹操に対して、少数精鋭の蜀の劉備と呉の孫権の連合軍が長江の赤壁で激突した故事を「男たちの挽歌」のジョン・ウーが演出した超大作である。

あらすじはどうでもよろしいが、「三国志演義」や史実ともかなり違うお話になっている。

ともかく水陸両方にわたってともかく弓矢や鉄砲や火の玉が雨あられのように飛び交い、武装した戦士たちがどんどん死んでいく。関羽や張飛などの超人的個人技がソロ演奏のようにフューチャーされるシーンも漫画的に楽しめるし、スーパー大活劇戦闘大スペクタクルを、これでもか、これでもかと最新デジタル3D技術を駆使して繰り広げてくれるので文句なしに面白い。大河や広原で戦闘シーンではそうとう大勢のエキストラが死亡したのではないだろうか。

これらのチャンチャンバラバラは、蜀の劉備の軍師諸葛亮孔明と呉の孫権に仕える周瑜の合従連衡工作に伴う友情とライヴァル意識を軸に展開されるが、なんといっても周瑜の妻を演じる林志玲が愛らしく、結局この映画は彼女の美貌を顕彰するために製作されたようなものである。


現れ出でよ周恩来のような中国人田中角栄の如き日本人 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-28 08:37 | 映画

マイケル・カコヤニス監督の「その男ゾルバ」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.317


原題はただの「ギリシア人ゾルバ」。この映画を見て驚いたのは、クレタ島の住民の余所者と仲間内の異端者に対する恐るべき敵意と反感であった。

彼らは外部から訪れた我らが主人公(アラン・ベイツ)が島一番の美女(イレーヌ・パパス)と恋に落ちて一夜を共にしたと知るや、(まるでヨハネ伝第8章に出てくるような光景!)、全員で石を投げつけ、あまつさえ(まるで子羊をほふるように)ナイフで喉を切り殺してしまうのであるが、かつての華やかな古代文明をになった末裔たちがこんな野蛮な振舞いを実際に行っていたのであろうか?

もしもそうならとんでもない話であるし、事実無根ならこの映画の描き方に対してきちんと提訴するべきだろう。

それにしてももしこれが実話で、おのれが愛した美しい未亡人が村人に虐殺される現場に居合わせた物語の主人公が、何もしないで傍観していたならこれこそ天人俱に絶対に許されない行為だと思う。

そしてこの哀れな未亡人役を演じるアラン・ベイツとともに比類ない人物造型を示すのはフランスから村に漂着した元踊り子のリラ・ケロドヴァ、そして表題ゾルバ役のギリシア人を演ずるアンソニークインで、特に後者の人間マグマのごとき不滅の存在感はさながら「最後のネアンデタール人」のようだ。


現世の有象無象を見下して君は最後のネアンデタール人 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-27 09:21 | 映画

フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.316

原題は「LES QUATRE CENTS COUPS」で、これはギヨーム・アポリネールの「一万一千本の鞭」(Les Onze Mille Verges)をトリュフォーが「引用」したものだと思われるが、トリュフォーが、少年時代の自分が「400回の殴打」を受けたと言いたがっているのに、それを「大人は判ってくれない」などとしたり顔で勝手に代弁するのは間違いである。よく映画を見れば「判る」が、彼はそんなことを言いたかったのではない。

ゴダールの「À bout de souffle」を「勝手にしやがれ」などと強引に改変したり、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」を「SUKIYAKI」などに変えてしまう人間が、私は大嫌いである。

それはともかく、トリュフォーも酷い親に育てられたものだ。長じてこういう自伝的映画を撮ったわけだが、不思議なことにそこにひとかけらの憎しみも混ざっていないことに驚くとともに涙する。トリュフォーの美脚フェチは有名だが、それは母親へ複雑意識と結びついていたんだね。

有名なラストの長回しは何回見ても感動的だ。海に向かって走っていた主人公をロングで捕えていたキャメラが回りこんで無表情な少年の顔を突然クローズアップして静止するのだが、この瞬間に観客は主人公に向き合わされ、それが映画ではなく自分たちの問題でもあることに気付かされる。映画によって巻き込まれたと感じた瞬間に映画が終わってしまう。

その後トリュフォーはたくさんの映画を撮ったが、これが一番の傑作かもしれないな。


鎌倉では毎日毎日人が死ぬ天国も地獄も満員だろう 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-26 08:36 | 映画

山田洋次監督の「男はつらいよ」第1作を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.315


ここでいきなり画面に乱入してくる寅次郎は怒れる侠客であり後年の円熟して謙虚で穏やかな寅さんの姿ではない。妹の見合い結婚をぶち壊す乱暴狼藉は、ほとんど狂気の沙汰である。

私はここで寅次郎の姿を借りて原作者の血肉の奥底に潜む幸福で平和的な市民生活、学歴があり高収入で豊かな生活を享受している人間に対する嫉妬と羨望と憎悪ということを思う。

そしてこの己の頭上に神々しくそびえる富裕階級に対する理由なき軽蔑と拒絶こそが、今も昔も原初的な革命への衝動を準備するのである。

けれども20年振りに懐かしい故郷に戻った道楽息子は次第に温和な小市民と化し、みずからの存在理由をどんどん喪失してゆくのだが、その都度ぎりぎりの土壇場で負け戦の現場を逃走し、そのことによって革命児としてのみずからを鍛え直すのであった。

風天の虎と発する革命戯 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-25 08:29 | 映画

私と短詩形文学



バガテルop159


近代俳句の元祖はやはり正岡子規であろう。その流れを継いだのが正統派の高濱虚子と異端派の河東碧梧桐で、俳句の未来はやはり今でも後者の流れの中にある。

なにが客観写生だ。なにが花鳥諷詠だ。写生よりも、むしろ射精せよ。もっとロックせよ! もっとパンクせよ!

それにしても、「季語」というやつが問題だ。旧暦ならともかく新暦の時制の元でこれにこだわり、これを義務付けるのは愚かなこと。かえって発句の本心を取り逃がす結果になる。だから私は言う。くたばれ季語。

季語を義務付けた俳句や連歌を作ろうとするとおのずと空疎な技巧に傾き、無季の俳句や口語短歌を吐きだすときに、私の心はおのずから解放される。

季語は短詩の中でいわば明喩の役割を果たしている。明喩は隠喩に比べて低級であるなどと吉本隆明のように決めつけるつもりはないが、それが詩の強度を補強している代わりに意味の重層性を損なっていることは確かである。

俳句はショパン、短歌はモザールの音楽作りに似ている。前者は単細胞にして核心は一つ、後者は複合細胞からなり、その核心は二つある。短歌作りの要点は鶯のように歌いながら、その二つの点を「うまく」結ぶことである。

言語にとって美など存在しない。我々が人間の大脳前頭葉の内部で言語の美醜を感知するだけの話だ。

俳句も短歌も、その本質は歌である。世間には歌を忘れた歌だけ氾濫している。歌を忘れたカナリアも、歌いたくなればどんな歌を歌ってもよろしい。が、歌いたくないときは、口を閉じよ。

マリア・カラスや美空ひばりは、歌いたくないときには歌わなかった。と、私は確信している。われわれもそうすべきだ。


ひばりやカラスのやうに歌ってみたいなある晴れた日に 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-24 10:19 | 詩歌

「古井由吉自撰作品四」を読んで


照る日曇る日第540回


その日、下駄屋の息子の僕は下駄ばきだった。出町柳から八瀬まで叡山電鉄で行き、そこから叡山ロープウエイに乗って終点で降りた。降りたのは僕たち四人だけだった。

時刻はまだ早く、午前九時くらいだった。駅の目の前にお化け屋敷があり、学生アルバイトが盛んに客引きをしていた。僕たちは別にお化け屋敷に登るつもりは毛頭なかったのだが、急ぐ旅でもなし、ちょっと寄って行こうかということになった。

入口の手前で五,六人の学生が立ち話をしていたが、呼び込みの学生が、「さあお客さんだよ。早く持ち場についた、ついた」と声をかけると、吸いさしの煙草をその場に投げ捨てて三三五五屋敷の内部に入っていった。

最初の部屋に入った途端、ヒュードロドロという音が聞こえたので、僕はたまらず「わあ!」と叫んで入口まで全速力で引き返すと、だいぶ前まで進んでいた友人たちも仕方なく戻ってきた。

それから態勢を整え直した僕たちは根本中堂に集結し、口々にラアラアと叫びながら切り立った断崖絶壁から坂本めがけて四匹のましらのように突進し、数時間かけて琵琶湖畔に呆然と立ち尽くしていたのだが、そこで遭遇した様々な物の毛や奇怪な想念などについては本巻に収録された「山躁賦」を参照してもらいたい。

茫々数十年、青春の門に立った洟垂れ小僧たちがその後いかなる運命を辿ったかについては、誰も知らない。

山からうみへどどししどっど死地に乗りいる四騎あり 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-23 09:37 | 読書

「2012年夏のルツエルン音楽祭」を視聴して



♪音楽千夜一夜 第281回

 指揮者クラウディオ・アバドの人格を慕って多くの楽人が参加して妙音を奏でるこのフェスティバルでは、ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」とモザールの遺曲「レクイエム」が演奏された。

 前者ではセルの名演には及ばないにしても、朗詠のブルーノ・ガンツのお陰でまずまずの好演がもたらされたが、バイヤー版(第11曲の「聖なるかな」のみレヴィン版)で演奏された後者ではいささかの問題があった。

 第5曲までは無難な経過を示していたアバドだったが、第6曲のへ長調レコルダーレの冒頭でチエロの入りに明確なテンポの指示を怠り、あろうことか奏者の恣意にまかせてしまった。

 激しく動揺し、顔を見合わせながら2挺のチエロがおずおず奏ではじめたこの中途半端なアンダンテ4分の3拍子が、この曲および第7曲のラクリモーサ以降の演奏に与えた悪影響はまさに致命的で、スエーデン放送合唱団の熱演にもかかわらず普段のマエストロらしからぬ凡庸な出来に終わってしまったのは誠に残念な仕儀であった。

好漢アバドに望みたいのはもういちど師匠カール・ベームによる同曲の「正しい」テンポを改めて確認し、次回の演奏に備えてもらいたいという一事である。

NHK-BSに因るこの日の録画には、やはり本年4月にアーノンクールがロイヤル・コンセルトヘボウ管を指揮したベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」ニ長調のライブも添えられていたが、冒頭のキリエや終曲のアニエス・デイのテンポがまったく異常な遅さで、それがこの鬼面人を驚かせることだけを生きがいにしている奇怪な音楽家のいびつな姿を物語っていた。アーノンクールには、もういちどクレンペラーの「ミサソレ」の録音に謙虚に耳を傾けることを望みたい。


音楽かはた雑音かこの凄まじきクマゼミの声 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-09-22 10:47 | 音楽

シドニー・ポラック監督の「愛と哀しみの果て」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.314


原題の「Out of Africa」にこのような紋切り型の愚劣な邦題をつける映画会社の神経を疑うが、広大なアフリカの原野に流れるモーツアルトの音楽が印象的である。

以前鑑賞した時はてっきり二三番のピアノ協奏曲だと思っていたのだが、そうではなくてシフの演奏によるトルコ行進曲やジャック・ブライマーによるクラリネット協奏曲などであることが分かった。人の、否私の記憶なぞあてにならないものである。

メリル・ストリープはひたすら美しく、ロバート・レッドフォードはひたすらカッコ良く、やがてヒーローはケニアの大空に消え、ヒロインはコーヒー農園を畳んで故国デンマークに帰るのだが、一等強烈な印象を与えるのはアフリカの大自然の素晴らしい光景であろう。

この映画を見ながら私は、若くして不慮の事故で死んだ作家の景山民夫さんのことを思い出した。彼も私も障碍のある子を持つ身で、同病相哀れむではないがお互いの苦労を語り合っていると、当時アフリカのケニアにホテルを造ったばかりの編集者の小黒一三さんが、「んなものアフリカに来れば一発で治ってしまうさ」と彼一流の言い方で慰めてくれたことがあった。

わたくしの長男のカナー氏症候群の原因は「病気」ではなく、脳の先天的な機能障害である。残念ながら最新医学による手術や薬品でもいまだ治療することは叶わないのであるが、その時アフリカの生んだ天才的画家ムパタの名を冠したそのホテルの窓を開け、サバンナを疾走するキリンとライオンの姿に呆然としている彼の姿がふと脳裏を過ぎったことだった。 


窓を開ければマサイの戦士がライオンを狩るアフリカケニアのムパタホテルよ 蝶人

*本日の特別付録は、この映画の原作「アフリカの日々」の書評です。

http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5501094&id=917896229
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by amadeusjapan | 2012-09-21 09:35 | 映画

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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