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晴風万里

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真っ赤な果実のビタミーナ 



「これでも詩かよ」第7弾&ある晴れた日に第136回  

うちの妻君が「水曜日だから、これ捨てるわよ」と言って台所の流しから持ち出したペットボトルに、私は待ったをかける。
あわてて彼女から赤いラベルのペットボトルを取り戻し、目の前に置く。
私はゴミ収集車が「♪エリーゼの為に」を鳴らしながらやって来るまでに、この詩を書き上げなければならない。

「真っ赤な果実のビタミーナ、ビタミンCたっぷり」
「おいしく摂れるビタミンC450mg」
と、そのボトルの包装ラベルには書かれている。

しかしそんなことはそうでもいいのだ。
ブドウ、グレープフルーツ、イチゴ、アセロラ、ラズベリー、ブラックカラント、トマトなどなど、いろんな果実がいっぱい入ったこの真っ赤な飲み物に、いま私は夢中なんだ。

私の眼を射るその独特の赤は、「ベサメ・ムーチョ」を絶唱する藤沢嵐子の頸動脈のように欲情に燃えあがり、
私の喉を潤すその味は、夜な夜な千夜一夜の物語を語り続けるシェヘラザード姫のつばのように、こってりと甘い。

おお、甘露甘露! 
嵐子さん、あなたの赤を、私ははげしく欲する。
おお、甘露甘露! 
シェヘラザード姫、あなたのつばきを、私は限りなく欲する。

西暦2003年7月8日の昼下がり。
ニイニイゼミが狂ったように鳴き始めた新宿南口の青空の下で、私は1本150円の「真っ赤な果実のビタミーナ」を飲む。
広場の真ん中で立ったまま、私はアラビアのロレンスのように、何本も何本も、とっかえひっかえ次々に飲み干す。

甘露甘露、真っ赤な果実のビタミーナ!
わが愛しき真っ赤な果実のビタミーナちゃん!
もう駄目だ。もう止められない。
Oh Yeah! 私は君に夢中なんだ。

「朝毎読日経」といわれしはいつの日かいまコンビニに毎日はない 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-11 09:47 | 詩歌

文化学園装飾博物館創立77周年記念「『装苑』」と「装苑賞」その歩み展」を見て



ふぁっちょん幻論第79回&茫洋物見遊山記第130回

文化出版局から1936年に創刊された服飾雑誌『装苑』がわが国のふぁっちょんと雑誌の世界に大きな影響を与えたことはいうまでない。思えば私が同誌のパリ特派員であった故久田尚子さんとお近づきの栄を忝なうしたのも、およそ40年の昔のことで、それは展示会にみえた彼女の高価なエルメスのハンカチーフの忘れものを私がただちにタクシーに乗って届けに行ったからだった。

当時の文化学園の前庭は広大な原っぱのようで、そのいちばん右奥に木造の旧遠藤記念体育館が立っていたのを昭和の夢のように思い出す。まだ巨大な高層ビルが建つ前ののんびりした時代だった。今回の展覧会にはその当時に刊行されていた『装苑』の創刊以来のバックナンバー850冊がずらりと展示されていて殊の外懐かしかった。

また会場には、高田賢三や山本耀司、小篠順子(コシノ・ジュンコ)、山本寛斎、故熊谷登喜夫、安部兼章など、1956年に『装苑』が創設した「装苑賞」(服飾界の「芥川賞」に相当する)の受賞作がほぼ全点展示されており、実に見ごたえがある。

総じて50年代の作品はデザインがシンプルで個性的であり、自信たっぷりにがっしり構築されているという、かの小津映画の服飾&インテリアにも通底する好ましい印象がある。ところが60年代、70年代と進むにつれて、その自信が次第に揺らぎ始め、なにやら妙な不安定さが強まってくるのだが、先行する欧米のモード対する畏敬の念と生真面目な模倣の姿勢は不変である。

突如状況が一変するのは80年代で、洋服の構造が異様なまでに肥大歪曲大型化し、それまではまがりなりにも端正でありエレガントであったドレスが、なにやら巨大な、のっぺりとして醜い「1枚の大凧」のような姿かたちのものに変身してしまうのである。

ここでは従来の欧米ふぁっちょんに対する謙虚な模倣と学習の念が吹き飛び、服飾の定型に対する乱暴な否定と冒涜するような不遜な気分が横溢する。80年代はバブルの時代であるとともに「現代変態バサラの時代」であったことが分かる。

つづく90年代から現在までは、もはや死語となった「ポスト・モダンあるいはミニマリズムの時代」で、デザインの細部に亘って異様なまでの造作を施して自己満足に耽るという、かの狂乱の80年代とはベクトルが全然異なる、されどこれまた実に奇妙な時代が原子力潜水艦のやうに深く静かに潜行しているのである。

つまり外見は平静で端正な無風の時代なのだが、ちょっ「と内部を抉って見ると「♪そこにはただ風が吹いているだけ」であり、要するに「空無の時代」、「本質が欠落した時代」なのである。

もうひとつ忘れてはならないのは、このコレクションにはいまはやりの「カワイイ」作品が厳密にはただの1点もないということだ。そしてそれが「装苑賞」に代表される東京コレクション(及びパリコレ、ミラノコレ)的なるものの正統性と同時に商業的な衰退と没落を同時に象徴していることで、そのことの本当の意味は、安部自民党政権が凋落する頃には明明白白のものとなっているだろう。

すなわちこれまで「可愛い」というキーワードによって大きく展開されてきたアホ莫迦一大トレンドの終焉と、深海で死んだ振りをしていた「装苑賞」的な正統的なるものの復権の日が近づいているのである。

かわいいのがファッション!? 冗談じゃないそれはちんけなファッチョン。ほんとのファッションって凄えもんなんだぜ


なお同展は東京新宿の同館にて来たる9月28日まで開催中(日曜・祭日は休館)


「キャワイイ」は思考停止の阿片の言葉君を蕩かし骨抜きにする 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-10 10:25 | ファッション

島津保次郎監督の「兄とその妹」を観て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.502

 製作は満蒙国境で皇軍がソ連とノモンハンで交戦し大敗した1939年。佐分利信、三宅邦子、桑野通子、上原謙、河村黎吉、笠智衆などの懐かしの名優たちが出演している。

さて本作で国内の私企業のどこにでもあるような醜いかけひきにブチ切れて、主人公が家族とめざしたのは旧満州国だった。

 たしか漱石の「それから」の平岡も、国内で喰いつめて満州に行くのだが、主人公の代助だって、「それから」という小説が終わった直後に、三千代を喰わせみずからも生き延びるために、当時「いまそこにある新天地」であった満州に、大いなる夢と希望を抱きつつ雄飛した可能性は大である。

 戦前と戦中、そして戦後が一直線に繋がっている地平では、やれ大陸への侵略だの植民地主義の発露だのと外野席から難癖をつけても、当事者や関係者にとってはとんでもない言いがかりに過ぎないのだろうが、これを進出された中国側から見れば、立派な暴力的侵略であり、犯罪であり、国際的違法行為に他ならず、いくら阿保馬鹿安倍が急に學者もどきに変身して「学問的には未確定である」なぞとほざいてもその客観的歴史自体が侵略の事実を証明している。

 では漱石や子規は植民地主義者であったか。そうであったともいえるし、そうでなかったともいえる。こういう「無法」を私たちは古代の昔から自覚的・無自覚的に犯してきたし、犯されもしてきたので、きっとこれからも犯し侵すのだろうよ。

侵略をしたことがないと言い張るならば今度おめえがそういう目に遭えばよーく分かるだろうぜ 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-09 09:48 | 映画

「トスカニーニ・コンプリートRCAコレクション」を聴いて



音楽千夜一夜第310回

トスカニーニの前にトスカニーニなく、トスカニーニの横にフルトヴェングラー、トスカニーニの後にはわずかにカラヤン、クライバーあり。

この偉大なマエストロが指揮した84枚のCDを聴けば、その凄さをつぶさに実感することができるだろう、1枚たったの116円で。
当節は小澤をはじめラトル、メスト、ハーデイング、ドゥダメル等々居ても居なくても誰も困らない2流、3流の指揮者でも「マエストロ」と軽々しく呼ぶようだが、それは不勉強なロバの耳たちがもっともっと素晴らしい偉大な先人の演奏にその残滓なりとも触れたことがないからである。

ここには、本当のマエストロとはこの人とフルトヴェングラーにしか与えてはいけない称号であった、と心の底から痛感させる世紀の名演奏、名録音の数々がある。

ベートーヴェンでもヴェルディでも、曲は前へ前へと不橈不屈のエネルギーで前進するのだが、かといって緩徐楽章や恋のアリアにさしかかった折の適正なテンポの維持に心配りを怠っているわけではなく、この伴奏ならばこの歌手がもっとも真価を発揮できるであろう、と熟慮したうえでの管弦楽のうるわしい展開になっていることが、例えば私が愛聴するヴェルディの最大最高の傑作「ファルスタッフ」に耳を傾けているとよく分かる。

ベトちゃんでもブラちゃんでも20世紀の指揮術の規範は今では誰も訪れることになくなったこの聖檀に安置されているのであり、その真価が分からない人間は、あまちゃんを見てじぇじぇじぇと驚き、豚や鱶にでも喰われればいいのだ。

私はトスカニーニの真価はやはりオペラのカンタービレのめくるめくような疾走感と自他一体の燃焼天国感にあると思うが、それはこの全集の中に1枚だけ添えられているDⅤDの中でひときわ鮮やかに体感できるだろう。

1943年12月にNYのNBCスタジオで収録されたヴェルディの「諸国民の賛歌」のライヴ演奏を視聴していると、彼の命を賭けた反ファシズムの戦いと、彼が理想とする音楽への激しい希求とが混然一体となってまっすぐ押し寄せてきて、それが見るものの胸をいくたびでも熱くするのである。

「こんにちは」坂道行き交う人々が必ず挨拶するという尾道へ行きたし 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-08 08:10 | 音楽

アラン・パーカー監督の「ミシシッピー・バーニング」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.500

60年代アメリカ南部の黒人差別の根深さを鋭くえぐったアラン・パーカーの力作です。

黒人というだけで白人が異人類視し、抑圧し、殺戮する視座はいったいどのようにして歴史的に生得の資質となっていったのか。それはもしかして皮膚の色がもたらす原初的な恐怖と異物感によるものなのかしらん、

と私は、最近よく出くわす蛇に対する自分の恐怖とその直後に湧きおこってくる一種の憎悪、さらのその後から押し寄せる殺意のようなおぞましい複合的感情を呼び覚ましながら、この白と黒、北と南、先進と後進、中心と周縁、知識と情念、信と不信などの対立軸がぐるぐる回転しながら大捜索の末に殺人犯が挙げられて有罪となるまで、の顛末を眺めておりました。

しかしこれが黒と白ではなく同種同文同貌の間柄においてどうして敵意と反感と憎悪が巻き起こってしまうんだろう。

それはともかくやっぱり正義の味方のウイレム・デフォーより南部出身のやさぐれ捜査官ジーン・ハックマンの役どころに惹かれるなあ。

天皇を元首にしたい政党に投票するとはあんたも莫迦ねえ 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-07 09:46 | 映画

辺見庸著「青い花」を読んで



照る日曇る日 第605回

地口と詩を自在に操りながら震災と戦争の時代を彷徨する寄る辺なき魂の孤独と悲しみを、あるときは悲劇的に、またある時は喜劇的に歌いあげる変幻自在なレトリックをてって的に駆使した超詩小説である。エイトコラサーノヤットコセ。

この主人公が生きているのは現代にほど近い近未来で、またしても自立して全世界と向き合うことに失敗したニッポンチャチャチャは、どうやら中国と同盟を結んで米帝と戦争状態に入っているようだ。ガチョーン。

しかし頼みの中国は内乱分裂状態に陥っているようで、いずれにしても勝てるあてのない戦争に突入したこの国と民草を覆っているのは、限りない絶望と虚無である。アラエッサッサア、アンタ、マタヤッチャッタノネエ。いやさか、いやさか。

3.11規模の大震災にふたたび遭遇して故郷を追われた、著者を思わせる主人公には、もはや生きる根っこもなく、なんの夢も希望も欲望もなく、中国製のヒロポンを口にすることだけを願いながら夜の食国をさすらうのだが、その脳内にはかつての大日本帝国戦争の悪夢やうしなわれた妻子の幻影が走馬灯のようによぎるのであった。アジャパア。

おいらはドラマー やくざなドラマー おいらが怒れば虎馬呼ぶぜ 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-06 11:15 | 読書

小川洋子著「ことり」を読んで



照る日曇る日第604回

明晰な仏蘭西語をしのばせる現代日本語による叙述。小川洋子の眼は恐ろしく透明でどんな被写体をも驚異的な精度で射ぬき、それを水晶のような日本語に定着する。徹底的に推敲された用語はそれ以外に絶対にあり得ないという高い水準に定位されている。

さて今回の作品は、まるで我が家の長男と次男のような仲の良い兄弟が登場して、心が洗われ、思わず泣きたくなるようなまじわりを示すあえかな出来栄えでした。

小鳥を愛し、小鳥との会話をするために新しい言語を開発したお兄さんは、周囲から奇人変人扱いされるのですが、その弟の「小鳥のおじさん」だけにはその新言語が通じるのです。

以前「日本の犬はアメリカの犬と話せるか」という宝島社の企業広告を見た時、彼らには万国共通のワンワン語があるのだから、そんなことは当たり前じゃないかと思ったが、猫にはニャンニャン語が、小鳥には小鳥語というものがあるのである。

さなきだに生き難い生き馬の目を抜くようなあざとい世の中を、ハンディを抱えたこんなよわよわしい、ちょっと奇妙な2人が、どのように細々と生き抜き、どのような行く末を迎えるのだろうと、私たちはハラハラしながら頁を繰るのだが、そこにはいかにも「小鳥のおじさん」にふさわしい最期が待っているのでした。

南西諸島特産のオオゴマダラがなんで鎌倉の空を飛んでるんだ うれしいようなヤバイような妙な気持ち 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-05 11:07 | 読書

中上健次著「千年の愉楽」を読んで



照る日曇る日第603回

中上の小説の故郷は路地である。古くて新しい伝説が生まれる場所、路地では、それがどこであっても古くて新しい人間が生まれ、そして死に、いまもなお陸続と生まれて死んでいる。

路地の不滅の女主オリュウノオバは、地球上の緯度や経度に束縛されることなく、熊野から南米ブラジルはもとよりマルケスが死にかかっているコロンビアに飛んで、「百年の孤独」のウルスラ・イグアランのごとく悪い血のために不条理に夭折する呪われた一族のために次のような永遠の歎きの歌をうたうのである。

山の彼方の空遠く 空の向こうに海がある
海の向こうから人が来て 人はどんどん人を産む
親の因果は子に報い、子供の因果は孫に来て、
孫の良き血も悪き血も 曾孫と玄孫に流れます 
それでも切れぬ因縁は
巴里にロンドン、ニュウヨオク、
ボストン、東京、リオデジャネイロ、
コマンド、柳河、ローデンバック、
丹波の国の里山の、世界のどこに生まれても、
来孫、崑孫、仍孫、雲孫と 家族大樹は果てもなく
どこどこまでも伸びるのじゃ 
東西南北変わりなく 成さぬ仲でも親は親、豚の尻尾でも子供は子供、
子供を産むのは両親で、二人の親には祖父母あり、
その祖父母には親がいて、親の因果は子に酬い、
奇人変人みな死んで 死んだとおもうたはこりゃ目の錯覚
あれそこに飛ぶ黄色い蝶 真っ赤な雪が降るぞえな 
大きな栗の樹の下で 身の丈十丈の大男 
死んでも見切れぬ夢を見て 色即是空 輪廻転生
一目瞑れば百年で 二目瞑れば千年で 三つ瞑ればスフインクス
因果は巡る風車 西郷隆盛娘です 
さあさ皆さんお手を拝借 五十六十洟垂れ小僧 
八十九十糞喰らえ 百歳なんてあっと言う間 
万人善人 霊魂不滅 一族再会 倶会一処 
さてもさても
なんのおめえが孤独哉


           千年の愉楽閲してリラの花 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-04 11:44 | 読書

高橋源一郎選手の講演会「太宰治vs津島修治」を聞いて



茫洋物見遊山記第129回&鎌倉ちょっと不思議な物語第290回

6月最後の日曜日の昼下がり、市の商工会議所ホールではじめて源ちゃんの講演会を聞きました。ことし62歳になる彼だが、モスグリンの細身の野球帽をかぶり、リュックの中から太宰の文庫本を9冊も取り出し、去年の暮れから3たび鎌倉で暮らし始めたというマクラを振ってから、ユーモアをまじえた面白くて為になる文学談義がはじまりました。

当日はお話よりも朗読したかったそうで、太宰が奥さんの前でこたつに入りながら即興口述(しかも修正なし!)した「駆込み訴え」、そして「女生徒」の1節を「太宰本人になり変わって」朗読してくれました。
源ちゃんの話では、現在我が国でいちばん読まれているのは太宰の「人間失格」(2番目は漱石の「坊っちゃん)で、その他もろもろの作家の作品はいずれは消えてゆくだろう。太宰の作品の魅力は、その「固有の音楽性」にあり、しかも作品ごとに話者に憑依してその「声」(ヴォイス)が七色に変化する。こんな魅力的な文学は、太宰のほかには宮沢賢治と中原中也にしかない、ということでした。

これは源ちゃんが胎教で彼の5番目の奥さんのおなかに向かってラッパでいろいろな詩を朗読したときの反応で実証された、と語っていましたから、たぶんそうなのでしょう。

そしていまは小説も詩も人気がなくてどんどん寂れている。時代のいちばん尖鋭な才能の持ち主はラップ(ヒップホップ)に向かっているとして、ふたたび「駆込み訴え」を今度はみずから机を叩きながらラップで歌ってのけたのが本日のハイライトでありまして、これは満場の拍手喝采を浴びたのでした。

いくら作家が大思想をしゃかりきになって絶叫しようが、その文体に固有の魅力的で強烈な音楽的ひびきがなければ、遅かれ早かれ時代から取り残されてしまう。例えば太宰から学んだ山田詠美の小説の「文尾」の無限のバリアントと、塩野七生のどこまでいっても「だ」で終わる論理的ではあっても非知性的で単細胞な文尾を比べてみれば、それは歴然としています。そういう思いがけない切り口が深く心に刻まれた初夏の1時間半でした。

なお鎌倉芸術館では7月7日まで源ちゃんの企画による「太宰治vs津島修治」展が好評開催中です。

ザアメンの匂いとどこが異なるか言葉には出来ず栗の木過ぎる 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-03 08:49 | 鎌倉案内

小谷野敦著「川端康成伝」を読んで



照る日曇る日第602回

いくつかの作品はともかく、小林秀雄が「がらんどうのようだ」と評したこの人物についてはあまり興味もないが、たまたま手にとってつらつら目を晒してみたらなかなか面白かった。岐阜提灯のようにがらんどうと見えた内部には、天才的作家という立派な顔の陰にもうひとつの意外な顔貌が隠されていたのである。

著者が「双面の人」と名付けた川端家の谷戸の奥には、お馴染みのうらわかい乙女大好きに加えて少年時代の同性愛、異常なまでの国内外旅行好き、犬好き、鳥好き、社交好き、やたらめたらの女優好き、小説以上の冴えを示した商売人&経営者としての才覚、名誉職好き、ちやほやされ好き、政治好き、そして「代作」好きなどが鎌倉石のようにごろごろ転がっていて、いかなる権威にも遠慮会釈しないど根性を装備した好奇心旺盛の著者は、それらの伝説付きの逸話をシャーロック・ホームズさながらの探偵眼でひっくり返していく。

この天下のノーベル賞作家が、「美しい日本の私」と自負するほどには日本の古典や歌舞伎・能・文楽、歴史に親しまず、芥川をしのぐ長編小説下手で、プロットをまともに立てられない文学的欠陥を中期まで保持していたことは私もうすうす気づいてはいた。

しかし特に私が驚いたのは、内田憲太郎が書いた「空の片仮名」をはじめ、伊藤整の「小説の研究」、中里恒子の「乙女の港」、野上彰、菊岡久利、北条誠、木村徳三、中山知子、塩田良平など、彼が昔から他人の作品に自分の名義を貸していながらそれを認めることなく平然と居直っていたことで、それらの一部が彼の全集にまで入っているとは開いた口がふさがらない。

こうした作家的良心のかけらもない営業売文行為は、いくら代作者にお金を払っていたにしてもけっして許されることではないだろう。作品の価値は作者の人格や行蔵となんの関係もないとはいえ、著者がいうように、川端康成という「偉大なる暗闇」の如き謎の人物が、わが愛する谷崎潤一郎のように「堂々たる人生」を歩んだとはとうてい思えないのである。

ホーホケキョだんだんうまくなってゆく鶯いったい誰が教えているのか 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-07-02 11:15 | 読書

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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