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晴風万里

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山形国際映画祭グランプリ、王兵監督の「鉄西区第一部工場」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.376

中華人民共和国遼寧省の瀋陽の銅や鉛の精錬工場の浮沈を描き尽くした4時間を越える長編ドキュメンタリー映画で、03年の山形国際映画祭グランプリに輝いたそうだがそれも宜なるかなの秀作だ。

この工場はもともと中国を侵略した日本帝国が資源確保のために作ったのだが、この老朽施設が多くの労働者の手で稼働し続けていた。しかし工場群は2000年代に入って経営に失敗して次々に労働者は解雇され、ついに施設自体が閉鎖されるにいたるのだが、その間の労働者の悲惨な生活や工場の劣悪な環境をキャメラは冷静に見詰め、とにもかくにも生き続けることの過酷さと切なさをしみじみと訴えかける。

そして王兵以下のスタッフも、息を殺してその画面を流れる時間を生きているように感じられるのである。

職は無く金無く友無く望み無き若者たちに冬は来にけり 蝶人



by amadeusjapan | 2013-01-07 09:31 | 映画

東博の「北京故宮博物館200選」を見て



茫洋物見遊山記第76回

寒い寒い木曜日の午前11時に到着して長い列の最後に並びました。会場の入り口に到着するまでに1時間、次いで場内で立ちん棒となって時たまゆるゆると歩むこと3時間、2冊の小説を読了しつつ都合4時間かかって目視することができたのはこの博物館の至宝と称する「清明上河図巻」でした。

10メートルくらいの長さのこの墨絵の絵巻物は、精妙な筆致と巧みな造形で当時の北宋の商都の大川端のにぎわいを描いていましたが、人物も船も橋も街の甍も小さすぎていくらガラス越しに両目を近づけてもろくろく見えやしない。道理でその周囲には大きな拡大図が張り巡らしてありましたが、それとこの本物は色も違うしバランスも異なる。結局見たのやら見なかったのやら分からないままその特別室を出てしまいました。

張拓端筆と称されるこのどこかレオナルドを思わせる写実的な筆致には魅せられましたが、これが中国一の名品かどうかはうかつに語れない。同時代の本邦は平安時代の後期ですが「信貴山縁起」「伴大納言絵巻」「源氏物語絵巻」のようにもっと芸術的に価値の高い優れた絵巻物を輩出していました。

後代の南宋や元の図巻も並んでいましたが最近の琳派の絵画になじんだこちとらの心眼にはどうもしっくりこない。出品の3分の2くらいは清朝の絵や衣装や装飾品やインテリアなどでしたが、わたくし的にはこんなものは豚にでもくれろと言う代物でまったくつまらない。期待していた陶磁器もろくなものがない。多少とも評価できるのは北宋南宋から元にかけての行書のコレクションでした。

中国の国宝的逸物を200も選りすぐったという触れ込みですが、これではまるで羊頭狗肉。新年早々のワーストコレクション。もっともっと凄い作品がこの博物館には秘蔵されているはずです。もしそうでなければ……。

もしそうでなければ、唐天竺の影響を脱して見事に生まれ変わった本邦の諸芸術の価値は、わたくしが考えている以上に、天下無双のレベルに到達しているのでしょう。



相変わらずお前はアメリカの属国だなイランの石油が要らんとは 蝶人



by amadeusjapan | 2012-01-14 11:35 | 芸術

今井和也著「中学生の満州敗戦日記」(岩波ジュニア新書)を読んで



照る日曇る日第232回

異様な妄想に駆られたわが国の軍人たちが、赤の他人の国にでっちあげた奇妙な植民地、満州。1931年生まれの著者は、国民中学生として家族とともに敗戦1年後までの9年間をこの奇妙な植民地第3の都市ハルビンで過ごした。

総面積およそ130万平方キロで現在の日本の3.4倍、仏独伊を合わせた面積よりも広いこの王道楽土の大帝国は、関東軍の陰謀によってわずか半年間で誕生し、たった13年で崩壊した。

人口3000万の満州を、たった20数万人の日本人が支配できたのは、ひとえに関東軍の武力があったからだ。満州事変(宣戦布告すると中立国からの軍需資材の輸入がのぞめなくなるから、戦争ではなく事変と命名した)における死傷者は1199人だったから、日露戦争のわずか100分の1の犠牲者で、日本は満州全土を手に入れたことになる。

敗戦2か月前、学徒勤労令によって満洲の奥地にある王栄開拓団に派遣されていた中学3年生の著者は、1945年8月9日、ソ連侵攻の急報を受けて命からがらハルビンに帰還する。そこで見たものは中国人の白昼堂々の略奪と、われらが精鋭関東軍の鮮やかな遁走という悪夢だった。

ソ連の満州侵攻は寝耳に水だったが、じつは関東軍は、開拓団や一般市民を「棄民」して満州防衛から朝鮮防衛に作戦を切り替えることは敗戦の3か月も前から決めていたのだった。

やがてソ連軍がハルビンに進駐してくると、著者の周囲では暴行、襲撃、略奪、集団自決が相次ぎ、父は「いざという時のために」家族全員に青酸カリを渡す。そして次々に襲いかかる生命の危機と苦難に満ちた屈辱の日々がはじまる……

病気で寝ていた父は中国人の警官に連行され、ハルビンから約200キロ東南にある牡丹江の収容所に入れられ、九死に一生を得たものの、この時の無理がたたって舞鶴に引き揚げて三年後に五〇歳で世を去る。

また髪の毛を切って少年を装っていた姉は、突然侵入してきたソ連兵にマンドリン銃を突きつけられる。
「その時だった。母が飛び出して銃口の前に立ちふさがり、『まだ子供だから何もしないで!』とロシア語で叫んだ。小柄な母が仁王になった」……

我々の優秀な先輩たち、私やあなたの賢明にして愚かな祖父や父親たちが引き起こした未曾有の国家的災厄が、植民地に生きる平凡な一家族の身の上に突如嵐のように襲いかかり、日々の平安が根底から根こぎにされていくありさまが、一人の少年の汚れなき瞳にくっきりと映じる。

その描写はあくまでも冷静に抑制され、歴史的な事実が淡々と述べられていることが、かえって私たちの胸を打つのだが、同時に、「それらの惨劇がそもそもなぜ、どのようにして引き起こされたのか?」という鋭い問いかけも忘れられてはいない。「これだけは後世に語り遺しておきたい」という著者の熱い想いがひたひたと伝わってくるのである。

「一度目のあやまち」を故意に忘却しようとし、「二度目のあやまち」を犯そうとする日が急速に近づきつつある今日この頃、平成の大瓦壊期に棲息するすべての国民にとっての必読の書であろう。

これだけは次の世代に伝えたい 恩師が綴りし入魂の一冊 茫洋



by amadeusjapan | 2009-03-01 13:40 | 読書

映画『こころの湯』を観る




降っても照っても第50回

いっけん平凡で退屈そのものの日常生活の中にも、ある日突然ひとつの「映像」がやって来る。そして、ああ、人生はいいなあ、まだまだ世の中も捨てたものではないなあ。と私たちに切実な印象を残して、その「映像」はいずこかへ飛び立ってゆく。消え去ったのではない。折に触れてそれらの「映像」は、わたしたちの心に、鳥のようにふんわりと降り立ち、再会の歌を静かに歌い、疲労と失意のどん底にある者を励ましてくれるのである。

私にとってその「映像」とは、例えば、天安門広場で両手を広げて戦車の前に立ちふさがったひとりの中国人の若者の姿であり、あるいはマルコス大統領を追放してマラカニアン宮殿にアキノ新大統領を迎えたフィリピンの大衆の歓喜の姿である。

『こころの湯』は、北京の下町の古風な銭湯「清水池」の滅亡の物語だ。チャン・ヤン(Zhang Yang)監督の話では、現在北京には40~50軒の銭湯があるが、昔ながらの銭湯はわずか4,5軒。どんどん姿を消して、日本と同様の健康ランド、総合レジャー的なものに変身しているという。超ハイテク工業化が進行する中国で、前近代的な建築物やコミュニティや人関関係が、古き良き時代の思い出と共にゆっくりと壊れていく姿を、チャン監督は、淡々と描いていく。

夜な夜なコオロギを戦わせたり、鍼灸、囲碁将棋を楽しんだり、幸福な時間を過ごした「清水池」の常連たちは、最後に行き場を失う。ローマや江戸の庶民が、心ゆくまで享受したこの至福の裸体文化も、いつかは終焉の日を迎えるのだろうか。

銭湯の経営者には、かつて日中合作のNHKドラマ『大地の子』で養父役を好演した名優チュウ・シュイ(Zhu Xu)が扮している。そして、老いた父といっしょに暮らしている障害者の次男役は、ジャン・ウー(Jiang Wu)。この姜武さんの風体と演技が、どうも誰かによく似ている。と思ったら、知恵遅れの障害者である僕の息子にそっくりなのであった。従って、これぞ迫真の名演技と断言できる。そうチャン監督に伝えたら、なんと朱旭さんの息子さんも障害者らしい。そんな因縁がある分、朱旭さんの演技にも力が入ったのかも知れない。

この映画の原題は、英語で『SHOWER』となっている。姜武さんが、イエスを洗礼したヨハネのように、ある若者の頭にシャワーを注ぐシーンを見ながら、突然、僕は知的障害者施設の先駆けである近江学園の設立者糸賀一雄氏の逸話を思い出した。

ある知恵遅れの少年が、来る日も来る日も花壇の花に水を遣っていた。そしてある日、糸賀さんは、雨がザンザン降るのに、傘も差さずに如雨露で花に水を注ぐ少年の姿を目にして、なにか大きく深いものを感じ、彼らのために一生を捧げようと決意されたそうだ。
雨の日に花に水を遣る少年―-理由は分からないのだが、いつも涙が出てくるその「映像」を何年ぶりかで脳裏に思い浮かべ、僕は息子のことをちょっぴり考えた。



by amadeusjapan | 2007-09-18 13:33 | エッセイ

ある丹波の老人の話(48)



第8話 思い出話3

それから昭和15年に上海に行ったときのことです。

私はホテルから外出しての帰り道、街の見物をしようと思い、地図を買い、それを頼りに電車が走っている大通りから外れてとある横道に入っていきました。

ちょうど夕刻で中国人たちはみんな軒下に集まってにぎやかに食事しているのをものめずらしく眺めながら歩いているうちに、どんどん日が暮れかけました。

そのうちに雨が降りはじめたものですから、元の電車道に引き返そうとしたんでしたが、どこをどう迷ったものか見たこともない河にぶつかってしまいました。

地図を見ても皆目見当がつかず、雨はますます激しくなります。中国人が食事をしている軒下は通れないし、ずぶぬれで街をあちこち歩きまわりました。

しゃあけんどどこをどう歩いても大通りにはでまへん。どの道を行っても川に行き当たるばかりです。道を尋ねようにも言葉の通じない中国人ばかりでどうにもなりまへん。私はますますいちらだち、ますますあわてました。

ふと通り合わせた人力車夫に指を輪にして「お金はいくらでも出すから乗せてくれ」というつもりを身振り手まねで示して乗せてもらいました。幌があるから濡れないだけでも助かります。



by amadeusjapan | 2007-08-31 19:48

五木寛之著「21世紀仏教への旅・中国編」を読む



降っても照っても第38回

紀元前5世紀ごろバラモンに対するアンチテーゼとしてインドで生まれたジャイナ教と仏教は栄えるが、次第に仏教それ自身が体制化するようになる。その一方で民衆の奥底に潜入したバラモンがふたたび活力を取り戻してヒンズー教となって体制仏教を弾圧する。

やがて仏教は衰え、再武装して立ち上がり彼らに闘争を挑む。それが大乗仏教である。

その大乗仏教は海陸2つの道を辿って中国に入り、朝鮮半島を経由してわが国に入った。
海を経由して広州に入ったインド仏教は、道教と習合しながら次第に地域性を強め、達磨大師が創設した中国禅として独自の仏教を確立するに至る。

「面壁9年」を敢行した達磨の教えが「以心伝心」と「不立文字」であることはよく知られている。インド仏教が我執を去り、自己滅却による悟りを獲得することを願ったのに対して、中国禅はおのれを凝視する座禅瞑想だけではなく、日常生活の中で自己の真の本性を見きわめる「見性」を重要視した。

達磨から数えて6代目の衣鉢を継いだのが慧能である。目に一丁字なき慧能は本能丸出しの庶民の心性の奥底から「本来無一物」こそが人間存在の、そして禅の本質であると喝破した。

しかし大陸性志向の北部中国に拠点を据えた「北宗漸悟派」の儒教的な青白きインテリ派と、慧能が海洋性志向の南部中国に拠点を据えた直覚現実本能把握を得意技にする「南宗派頓悟禅」との対立は、現在も北京・上海文化対広州文化の対立としていまなお継続されている。

その後栄西が移植した臨済宗も、道元の曹洞宗も、南宗派頓悟禅の流れを汲む中国禅であり、これが「只管打座」によるわが国の禅宗を生み出すきっかけになる。

しかし鎌倉幕府などの権力者によって腐敗堕落したわが国の禅宗に対し、江戸時代になって「渇を入れた」のはかの白隠禅師であった。白隠によって考案された「公案」は日本人による日本独自の禅修業として中国禅とはひとあじ違う三昧を開拓したのであった。

このように進化を遂げた日本禅は、明治に入って今北洪川、釈宗演、鈴木大拙、弟子丸泰仙などの努力によって海外、とくにフランスに新境地を開拓し、カトリックの限界を知った知識人や1968年の5月革命で挫折した学生たちによって新たな教線を拡大している。
以上、本書から私が学んだことども、でした。



by amadeusjapan | 2007-07-26 08:59 | 読書

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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