晴風万里

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ある丹波の老人の話(37)



「第6話弟の更正 第5回」

弟はそれから大阪へ戻り、親戚を頼って今度はお家芸の下駄屋の夜店を出し、少し儲かったんで手馴れたメリヤス雑貨に変わりました。

ここで嫁をもらったんで、ようやく今度はかたぎになるかと思ったら、またまた性懲りもなく道楽をはじめ、商売もめちゃくちゃになり、手形の不渡りなどでだいぶ良くないこともやったとみえて、警察から私のうちへ弟のことを尋ねてくるようになり、ずいぶん心配させられたもんでした。

ちょうどその時、父の病が篤く、電報で知らせたけれどなかなか帰ってこない。ようやく帰ってきて臨終には間にあったけれど、これがまた隠岐から帰ってきたときの父同様、着の身着のままのみすぼらしい姿でした。

あとで聞くと帰ろうにも旅費の工面がつかず、河内のほうまで行って友達に帯を借り、これを質に入れて旅費を作って帰ってきたということでした。

葬式のときは幸い私が夏と冬のモーニングをつくっていたので、夏の分を弟に着せ、ちょうど4月の花見時分やったのでどうにかカッコウがついたんでした。
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by amadeusjapan | 2007-07-18 14:21

ある丹波の老人の話(36)



「第6話弟の更正 第4回」

明治44年の退営後、私の弟は福知山の長町に家を買い嫁ももらって、なかなか盛大にメリヤス雑貨の卸売問屋をやっておりました。しかし、その資金をどうしたもんかは私にもようわかりまへん。

その頃の私の家は相変わらず貧乏だったはずなのに、父はトコトンまで貧乏するかと思うと、不意にまたもうけて盛り返し、七転び八起きしたもんですから、あるいは調子のよいときに弟に相当の資金を与えたのかもしれまへん。

ところが弟は女房運が悪く、はじめの嫁は離縁し、二度目のの嫁には病死され、それに腐ってひどい道楽者になり、芸者の総揚げなどという分不相応のお大尽遊びなどをやってとうとう福知山で食いつぶしてしまいました。

それから京都へ出て、西陣の松尾という大きなメリヤス雑貨問屋の番頭に住み込み、そこで成績を上げて主家に信頼され、間もなく自立しておなじ商売の店を持ち、なかなかいいところまでやっておったんですが、またもや酒色に身を持ち崩し、手形の不渡りなどでたびたび窮地に陥り、再三私のところへ無心にきよりました。

この弟には私には内緒で妻がだいぶ貢いだもんどした。結局京都の店は持ちきれずに東京へ逃げた弟は、ここでもひところはいちおう成功しておったようですが、あの大正十二年の大震災で焼け出され、一時は人力車夫までやったそうです。
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by amadeusjapan | 2007-07-17 07:59

ある丹波の老人の話(35)



「第6話弟の更正 第3回」

昼ごろになると朝のお粥腹がペコペコに減ってきたので、いろいろ考えた挙句寂しい村のある百姓家に入り、「昼飯を食べ損なって困っているからなにか食べさせてください」と頼むと、米粒の見えないような大麦飯にタクワン漬けを添えて出してくれました。

私はそれを食べ、最後の二銭をお礼において一文無しになって晩方に川合の大原に着きました。大原には貧しからぬ父の生家がありました。

そこで出してもらったお節句の菱餅を囲炉裏で焼く間ももどかしくまるで狐憑きのように貪り食らいそのまま炉辺で寝込んでしまいました。

弟はこの縮緬問屋へ三、四年くらいいたと思います。「アメリカへ行きたい」というて英語の独習などをやっていたがついに主家に暇をもらい神戸に行って奉公し、渡米の機会を狙っていたらしいのです。

それから朝鮮の仁川へ行ったのは神戸から密航を企てて発見され、仁川に降ろされたとかいうことでした。仁川では日本人の店につとめてなかなか重用されておったようです。

弟はそれから徴兵検査で内地に帰り、福知山の20連隊に入営しました。
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by amadeusjapan | 2007-06-26 07:38

ある丹波の老人の話(34)



弟はメジロ捕りが上手でメジロを売って儲けた十幾銭かの金を、後生大事にこのとき京都に持っていったもんでした。

でもこの大切なお金を含めても私は家を出るとき少しばかりの旅費しかもらわなんだので一文の無駄遣いをしたわけでもないのに、このとき財布には十二銭しかありまへんでした。

これでは昼飯をくうたら今夜の泊まり銭がなくなるので、昼抜きのままとうとう園部に辿り着いて来る時にも泊まったかいち屋という宿屋に泊まりました。

しゃあけんど十二銭ではまともな泊まり方はできまへん。

「私は胃病やから晩御飯は食べへん」というてすぐに床に入って寝ました。

しかし裏を流れている川の瀬音が昼飯も晩飯も食べないすきっ腹にひびいて、なかなか寝付かれませんでした。私はその夜の情けなさはいまも忘れることができません。

朝は宿屋がおかゆをつくって梅干を添えて出してくれました。

私はそれを残らず食べて宿銭一〇銭を払うとあとは二銭しかありません。旅館が新しいわらじを出してくれたのを、「そこまで出ると下駄を預けてあるから」と断ってはだしで出て、みちみち落ちわらじを拾ってそれをはいては歩き続けたんでした。

「第6話弟の更正 第2回」
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by amadeusjapan | 2007-06-25 07:50 | エッセイ

ある丹波の老人の話(33)



「第6話 弟の更正 第1回」

私には金三郎というたった一人の弟がありました。

この弟が十三、私が十七のとき、忘れられん思い出があります。

そのとき私は蚕業講習所を卒業したばかり、弟はまだ小学校在学中でしたが、家は貧乏市までして貧窮のどん底まで落ちてしまっていたので、弟は学校をやめさせて京都に奉公にだすことにし、私が京に連れて行きました。

京都に着くと丹波宿の十二屋に落ち着き、程遠からぬ東洞院佛光寺の下村という縮緬屋に弟を連れて行き、私はその夜十二屋へ泊まり、朝発って帰ろうとすると弟が帰って来ていて、

「もう奉公には行かん。兄さんと一緒に綾部に帰る」

というのです。私はそれをいろいろとなだめすかして主家である下村に連れて行き、家の人にもよう頼んで逃げるようにしていったん十二屋へ戻り、なんだか弟がまたあとを追ってくるような気がするんでそれをかわすつもりで知りもしない違った道を北へ向かって走っていくと、たいへんな人ごみの中へまぎれこんでしまいました。

それは北野の天神さんの千年祭の万燈会のにぎわいやったんです。私はそこいらで少しブラブラして道を尋ねてから桂に出、丹波街道を園部へ向かって歩いたんでした。
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by amadeusjapan | 2007-06-24 13:34

父帰る



ある丹波の老人の話(29)

大正五年の師走も近い冬の夜、丹波の小さな街には人声も絶え通りを吹きぬける寒い木枯らしがときおりガタガタと障子を震わせておりました。

真夜中近い頃、入り口の戸をホトホトと叩く音がしました。静かに、あたりを憚るように…。

「どなた?」と尋ねても返事はありません。

うっかり戸を開けて泥棒だと困ると思いましたが、そういう感じでもない。そこで思い切って妻と一緒に開けると、そこに立っていたのはなんと父でした。

父帰る! 

この寒夜に上に羽織るものもなく、四年みぬまに六十の坂を過ぎ、汚れた筒袖姿のみすぼらしい父が、しょんぼりと戸の外に立っておりました。

父はおずおずと敷居をまたいで中に入るなり、土間に身を投げ、くどくどと前非を悔いて詫び入るのですが、私の目には涙も浮かばず、私の口からはやさしいいたわりの言葉ひとつもれ出てこないのでした。                   
(第五話父帰る第2回)
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by amadeusjapan | 2007-06-21 08:38

ある丹波の老人の話(29)




前にも述べたとおり、私の父は酒好き、遊び好きで、飲む打つ買うの三拍子をいずれ劣らず達者にやった人でした。ところがそれがいつまで経っても目が覚めず、四十過ぎても、五十子越してもまだやまず、かえってひどくなるというだらしなさです。

父はもともと商売上手と人にも言われ、世間の評判もよく、金も相当もうけてきたんでしたが、なにぶんお人よしで勝負事をしても人に取られるばかりでした。

勝負事といってもおもに花札などで本バクチには手を出してはいませんでしたが、そのくせ大きなことが好きで、米や株の相場に手を出して、またしても大穴をあけ、金のかかる女出入りも絶え間がありまへんでした。

こんな始末ですからよい目の出ようはずもなく、母が真面目に守っている履物屋商売もだんだんさびれ、借金は増える一方で家計は一日一日窮地に追い込まれていったんでした。そうして明治四十三年その火の車の中で、私の母は四十九才で病気で死んでしもうたんでした。

気の毒な母! まるで父に殺されたような母! 母をいとおしく思えば思うほど、私は父への憎しみが深くなるのをそうすることもできませんでした。

「母のかたき!」と私の父を見る目は日増しに険しくなっていきました。

母の死後ますますやけになった父は、もはや我が家にも郷里の町にもいたたまれなくなって、前にも述べたように大正元年に五十八のよい歳をして世間には内緒で若い芸者を連れて隠岐の島へ逃げて行きました。

私は父を舞鶴まで送って行きはしたものの、父に対する感情はとげとげしく、別れを惜しむ気持ちなどさらさらありまへんでしたし、それは父も同様でした。

前に触れたように、父を送って帰ってきた夜から、早くも債鬼は我が家に迫り、私を借金地獄に追い込んで私は貧乏暮らしのどん底で這いずり回ることになったんでした。

しかし幸いにも私はこの危機を辛うじて潜り抜けて借金もすべて返済することができました。私は家業に忠実な妻と共に下駄屋の商売も従来以上に回復させ、生活も安定させ、郡是株の強行買いが当たってだんだん好い目が見えてきたんでした。

その間私は自分のことにかまけ、父のことなぞすっかり忘れておりました。もとより父からは一度も便りはなく、人の噂にも聞かず、その消息もいっさい分からず、思い出す隙もなかったんでした。

ところがその父がひよっこり帰って来ようとは! 夢にも思わぬことでした。
(第五話父帰る第1回)
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by amadeusjapan | 2007-06-18 19:52

ある丹波の老人の話(28)



しかし思わぬ副産物もありました。

このとき大勢の芸者を呼んだもんですから、私は急に芸者にもてるようになり、つきまとわれるようになりました。

当時私は三十三ですからまだ若かったし、うかうかするとこの誘惑に負けて父の二の舞になるんではないかと我ながら心配になりました。

次々に宴会に出たり、人を呼んだり呼ばれたり、押しかけ客もあったりして酒に接する機会が非常に多くなったもんですから、私は急に時間と金銭の浪費が恐ろしくなりました。

かねてから何事も波多野翁を目標とし、翁に倣っていけば間違いなしと信じていた私は、翁の信仰するキリスト教に心惹かれておりました。思えば翁が受洗されたのは今の私と同じ三十三の年でした。私もここで入信してしっかり身を固めようと思ってそれから教会通いを始めました。

私は波多野翁から洗礼を受けたいと無理をいうておったんですが、翁は突然大正七年二月二十三日に脳溢血で急逝されたんで、私はその直後の三月十日に丹陽教会の内田正牧師から洗礼を受けました。

ですから私はいわば悪魔よけにキリスト教に入ったといえばいえなくもありません。世間からもそのように見られていたようです。

思えば私は、十二歳のときに母の眼病を観音様に祈ったときから、苦しいときの神頼みさながら、稲荷様、金比羅様、座摩神社、北向きの恵比寿様と、種々雑多な神様、仏様を祈ったもんでした。

そしていずれもそれぞれ奇跡的な感応を受け、「祈らば容れられる」という私の幼稚なおすがり信仰が波多野翁崇拝と結びついて私をキリスト教に行かせたんでした。結局は行くべき時に、行くべきところに行き着いたんです!

これこそは神の摂理でした。

私は、信じることによっていかなる苦痛困難も必ずみなよろこびと感謝に代えてくださる神様のお恵みを思いました。そうして、ますます信仰から信仰へと勉め励み、取るに足らないこの身ながら、いささかでも神のご栄光を顕すことに精進し、神と人への奉仕に努力しようと決意しました。          (第四話 株が当たった話 終)
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by amadeusjapan | 2007-06-16 10:55

ある丹波の老人の話(27)



振り返れば、私の貧乏は父が隠岐へ逃げた大正元年と翌二年がもっとも酷かったんですが、三年を境目に下駄屋の商売がだんだん順調に行きだして、だいぶん楽になってきよりました。

ほんでもって大正四年、五年とお話したように株で大いにもうけて「株成金」といわれるまでになったんでした。

父についてはあとでお話しするつもりですが、大正元年に隠岐に逃げたんですが、そこでも失敗して大正五年には家に帰ってきました。

この父に対して、私はまだ十分に打ち解けることはできませんでしたが、父の代に積み重ねた莫大な借金はもはや全額きれいに返してしまいました。

最初差し押さえの封印を解いてもらうときには、ずいぶん無理を言うてまけてもろうた借金もあるので、そういう向きにはあとから改めて挨拶をしたんで、いまではどっちを向いても頭のあがらんようなことはありませんでした。

私は帰ってきた父が肩身の狭い思いをせずに済むように、世話になった人には十二分の感謝をし、親戚、知友、隣近所の人たちにも私たちのよろこびをともに喜んでもらおうと、思い切った大祝いをすることにしました。

まず一石の餅を一週間かけて搗き、その頃の銘酒であった清正宗と福娘の樽を二挺買い込み、親族故旧、隣保朋友をこもごも招き、毎日芸者三四人をあげて一週間の盛宴を開きました。そうして株券や銀行の預金通帳を三宝に乗せ、「これだけが私の財産です」とみんなに公然と披露したんでした。

私はこんなことを見栄や自慢でやったんではありまへん。ましてやこれまでさんざん痛めつけられてきた債権者や困ったときになんの助けもしてくれなかった親類縁者にあてつけをしたんでもありまへん。

あのときみんなからすげなくされたのは私にとって薬やった。父の道楽が私を貧窮のどん底に陥れたことも同じく私への良薬やった。神の試練を満喫させられたからこそ、私も発奮し神も助け給うたのである。

こう思ったとき、いまではなにもかもが感謝であり、そのことへのほんの感謝の気持ちを表したいと思ったからでした。
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by amadeusjapan | 2007-06-15 12:07

ある丹波の老人の話(26)




数奇な運命にもてあそばれ、しばしば逆境にさいなまれておった私ですが、いつもすくんでおったわけでもなく、たまには青年らしく私なりに熱い血を燃やして立ち上がったこともありました。

私は案外早く貧乏暮らしから足を洗うことができるようになると、だんだん世間が明るくなり、私自身にも元気が出、青年仲間からも立てられるようになりました。

その頃選挙の取締りが過酷で、町の高倉平兵衛氏などが選挙違反で検挙されたとき、私は義憤に燃えて急先鋒となり、年長者で声望のある医師の吉川五六氏を会長とし、町内青年の幹部を糾合して大いに官憲の横暴を鳴らしたもんでした。

間もなく今度は郡是応援の町民大会を開き、これには大島実太郎氏のような名士も同調し、波多野翁も演壇に立って声涙共に下る感謝の演説をされたもんでした。

そのことが優先株の引き受けを容易にして郡是の危機を救うことになったのは思いがけない副産物でした。これが二日会の発端となり、この集まりはいまも続いて市民の健全かつ有力なる世論の基礎を作っておるわけです。
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by amadeusjapan | 2007-06-08 14:41

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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