晴風万里

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鎌倉の理智光寺跡を訪ねて



茫洋物見遊山記第163回&鎌倉ちょっと不思議な物語第328回

 大塔宮の近くには、かつて谷戸全体に広がる理智光院という大きなお寺がありました。

 太平記には建武2年1335年に淵辺伊賀守義博が後醍醐天皇の皇子、護良親王の首を藪の中に捨てたのを理智光院の長老が拾って葬ったとあります。

 昔は境内の中であったと考えられる山の上には、その護良親王の墓所がありますが、昼なお暗い森を貫く急な階段を上ろうとする人は、暗殺者の刀の先端を歯で銜えて抵抗しながらも、とうとう怨みを呑んで殺された親王の霊魂から発する異様な霊気を感じて、思わず身震いするに違いありません。

 ちなみに私の次男は、小学生のころ肝試しと称して友達と一緒に夜中にこの墓所を訪れたというのですが、大人の私には到底そんな勇気はありません。我と思わう人はぜひトライして頂きたいものです。

 なおこの理智光寺跡の近くの煉瓦色の洋館には、かつて作家の高橋和巳夫妻が住んでいましたが、私は志半ばで斃れた護良親王を思うたびに、その墓地のたもとで短い生を終えたこの薄幸の作家を連想するのです。


  この道はいつか来た道百万のわが父祖たちが行き倒れし道 蝶人
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by amadeusjapan | 2014-12-25 13:27 | 鎌倉案内

逗子の名刹「岩殿寺」を訪ねて



茫洋物見遊山記第144回&鎌倉ちょっと不思議な物語第308回


ここは鎌倉ではありませんが、限りなく鎌倉に近い逗子の山の上に立つ曹洞宗の古刹、海雲山岩殿寺で、境内からはかつて泉鏡花が賛嘆した逗子湾の絶景をいまも眺めることができます。

このお寺は古くはかの後白河法皇が参拝して坂東33ヶ所第2番の霊場と定められたそうですが、法皇が東下した史実はないので、これは眉つばでしょう。しかし鎌倉幕府の将軍との縁は深く、長女大姫の病回復を祈願して頼朝と政子は、夜な夜な第1番霊場の杉本観音からの巡礼古道をたどり、お百度を踏んだと伝えられています。

されどそもそも大姫の病気は、頼朝が彼女の婚約者であった木曽義仲の長男義高との相思相愛の仲を引き裂いた精神的なショックからきており、いわば自業自得ともいえましょうが、昔も今も子を思う親の心に変わりはないと改めて思わされる逸話です。

ところが月夜の鬱蒼とした杉木立の中を頼朝夫婦が手に手をとって歩んだ巡礼古道を、ほかならぬ逗子市が道路建設のために破壊したために、この歴史的遺産は往時の姿をとどめることなく、その途次で無惨にも断ち切られてしまったのです。

お寺の裏山に立ち、その道路越しに遥か鎌倉を望めば、環境破壊の傷跡とともに、はかなく消えた中世のひとつの恋の行方を偲ぶことができるでしょう。


なにゆえにたった一日で終わってしまったのか東西十五万人が集まった関ヶ原の戦い 蝶人
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by amadeusjapan | 2014-01-09 11:43 | 鎌倉案内

鎌倉大町の「妙法寺」を訪ねて



茫洋物見遊山記第142回&鎌倉ちょっと不思議な物語第303回


日蓮はおよそ20年にわたって鎌倉に滞在したが、このお寺には彼が初めて開いた法華経の道場があり、彼はこの松葉谷妙法寺の裏山の奥にある小さな庵で富士山を眺めながら修業に励んだ。

私は鎌倉に30年以上住んでいるのに、恥ずかしながらこのお寺を訪ねたのは今回がはじめてだったのだが、安国論寺に比べると地味でこぶりなのにどこか惹かれるものがあった。

とりわけ本堂の裏手にある釈迦堂とその左手にある鐘楼は見事なもので、文化年間に水戸家が建立したそうだが、江戸の建築のエッセンスが崩壊寸前の姿で現存している。

またここから本堂を見下ろす苔石段もちょっと京都の苔寺を思わせる雅を湛えていて、虚子の娘が

美しき苔石段に春惜しむ 立子

と詠み、尾崎喜八が「その土地への愛の序曲」で手放しで感嘆した気持ちが分かるような気がした。

観光客はもちろん市民からも見放されているような鄙びた趣が、私好みである。


なにゆえに君は友達の飲み残しのジュースを勝手に呑んでしまうのか情けないぞ悲しいぞ 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-12-13 14:23 | 鎌倉案内

鎌倉大町の「安国論寺」を訪ねて



茫洋物見遊山記第141回&鎌倉ちょっと不思議な物語第302回

建長5年(1253年)に鎌倉に入った日蓮が初めて庵を結んだのがこのお寺で、本堂の向かいにある「日蓮岩屋」と呼ばれる岩窟で彼の有名な「立正安国論」が書かれたそうだ。

しかし私は日蓮も日蓮宗も創価学会もそれほど好きではないので、このお寺ではサザンカやカイドウの巨木くらいしか興味が無い。なぜか右翼政党の自民党の忠犬ないし体制のコバンザメとなりさがった公明党の現在の哀れな姿を知ったら、鎌倉時代における永久革命家の日蓮上人はなんとおっしゃることだろう。

最近は選挙運動にばかり熱中している彼らは、ろくに法華経や日蓮の教典すら読んでいないのではなかろうか。それとも彼らはそもそもが日蓮の宗徒ではないのかもしれない。

と、大いなる疑問を懐きながら寺の入り口で佇んでいると、そこには正岡子規の日蓮を詠んだ異様に大きな句碑が立っていて、

鎌倉の松葉が谷の道の邊に法を説きたる日蓮大菩薩

という俳句が大書されていた。おそらく子規が明治の学生時代に鎌倉、江の島を旅行したおりの作品だろうが、まことにくだらない腰折れで、もし子規が生き還ってこれをみたら赤面するのではないだろうか。日蓮を大菩薩とする見解にも妙な違和を覚える。

安国論寺のすぐ隣には額田病院があって、昭和13年のはじめに堀辰雄がここにしばらく入院していたという。


なにゆえに朝4時半に電話してくるのか障がい者ホームでもっとネンネグーしてなよ耕君 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-12-12 12:08 | 鎌倉案内

鎌倉大町の「安養院」を訪ねて



「茫洋物見遊山記第140回&鎌倉ちょっと不思議な物語第301回

安養院は躑躅の名所で初夏になると道路に向かって大きく張り出しながら咲き誇って壮観であるが、いまは遅い秋であるから静まり返っている。

この浄土宗のお寺は今から30年以上前に誰かが仏像を盗み出して大騒ぎになったことを覚えているが、その後無事に元に戻って来たのかしら。

誰かに訊ねようと思ったのだが、すっかり忘れてしまったのは、本堂裏手にある鎌倉に現存する最古の宝筐印塔の後ろの樹木の上ににわかにミドリシジミが飛来したこと、および参拝客の中に若くてとびきり美しい娘さんがいたためである。

蝶も娘もすぐに何処かへ飛び去ってしまったが、むかしこのお寺には作家の広津和郎が住んでいたことがあるそうだ。

また歌人の佐々木信綱も、この近所の別荘「溯川草堂」に住んでいた頃に、「家人みな海にとゆきてしづかなり東鑑のつづきひもとく」という歌を詠んだそうだが、ここから海はそれほど遠くないのである。

私と同じ姓を持つこの歌人は短歌というよりは古式豊かな和歌を詠むが、どれも悠揚迫らぬゆったりとした歌いぶりで、まったく当節ふうではないところが好ましい。


なにゆえにひとの食器を下げてしまうのか耕君もその人も食事は終わっていないのに 蝶人
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by amadeusjapan | 2013-12-11 11:25 | 鎌倉案内

杉本寺を訪ねて



茫洋物見遊山記第29回&鎌倉ちょっと不思議な物語第220回

このお寺の歴史は鎌倉幕府の開府よりも古く天平3年(731年)にさかのぼります。まず当時関東地方を行脚していた行基がこの地に観音像を安置し、ついでその3年後に光明皇后が本堂を建立したのが杉本寺の開基のいわれとされています。

「吾妻鏡」には文治5年(1189年)に近所の家からの火災で本堂が焼失した、とありますが、その折になんと3体の観音像が自力で庭の大杉の元に避難したので、それ以来「杉本観音」と呼ぶようになったそうですが、杉本寺の周辺にはいまなお大小の杉の木が見られます。

さらにこのお寺を乗馬したまま通りかかった武士は必ず落馬するというので「下馬観音」という異名もつけられています。似たような地名に「下馬四つ角」という場所が鎌倉駅を右折して由比ヶ浜に向かう途中にありますが、昔はここで武将が下馬する定めでした。

私が小林秀雄とすれ違ったのはこの「下馬四つ角」の近くでしたが、彼が下駄ばきで海の方へ急いでいた姿がいまも忘れられません。「下馬四つ角」は大雨の後にはいつも冠水していましたが、最近はそういうこともなくなったようです。


六月や奇麗な風の吹くことよ 子規

鎌倉のプラットホームに降り立てば潮のかおりが胸元にくる 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-06-01 14:32 | 鎌倉案内

良長院というお寺 横須賀ところどころ第9回



茫洋物見遊山記第13回


どぶ板通りを少し離れて坂道を上っていくと龍谷山良長院という曹洞宗のお寺がありました。曹洞宗は道元が開祖で、のちに禅宗の一派と称されるようになりますが、道元自身はそのような狭いセクショナリズムを排してこれが仏教の正道だと考えていたようです。

あるネット情報によれば、この良長院は、元は米軍基地内の泊浦(現在の泊町)にあったそうです。本尊は開山堂に安置してある釈迦三尊像で、これは横須賀市内唯一の鉄製の鉄仏だとか。なんでも泊町の長峯城城主の瀬尾重兵衛良長という人が創建したので、良長院と名付けられといいます。
 
良長院には聖観世音菩薩もあります。また別の情報によれば、この観音像は関東大震災の横死者追善供養のため大正十四年九月一日(三回忌)に第二町内会有志によって建立され、観音像の胎内には関東大震災で亡くなった人の名が刻まれた銅版が納められたので、それ以来、震災記念観音と呼ばれていましたが、昭和25年に境内入り口広場から現在の場所に移し、良長院の縁起にちなんで祇園観音と改称。続いて、昭和28年には梵鐘の再建、燈籠の再建などによって、祇園の浄地としての伽藍が整備されたことを記念してこの観音像の由来が記されることになったそうです。

別にそういう由来などはどうでもよいのですが、何度訪れても人影がなく、そのかわりに人懐こい猫が近寄ってくる感じのよいお寺です。


♪犬よりも猫に好かれる男かな 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-02-18 22:49 | エッセイ

本覚寺を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第195回

鎌倉駅からほど近いこのお寺は、もとは源頼朝が幕府の守り神として建立し、天台宗系の夷堂があったのですが、永亭8年1436年に日出が日蓮宗のお寺として再建しました。2代目住持の日朝はのちに身延山久遠寺の住持になったとき、そこにあった日蓮の遺骨をこのお寺に分骨したので、本覚寺はそれから「東身延」とも呼ばれるようになった、と「鎌倉の寺小事典」には記してあります。

 またその日朝が魔の病気を患った時、法華経とみずからの治癒力で治ったという言い伝えがあるこのお寺は、「日朝さん」と親しまれ、眼病、縁結び、商売繁盛に霊験あらたかとされて人気があるそうです。
さらには、松平定信の直筆による「東身延」の額も残っているそうですが、いったいどこにあるのやら。今度行った時によく調べてみましょう。

私が個人的にいちばん興味をひかれるのは、このお寺の墓地に刀工正宗が葬られていること。正宗は、鎌倉時代に当地にあって「相州伝」という特徴を備えた数々の芸術的な名刀を鍛えただけではなく、幾多の弟子として育て上げたことであまねく知られていますが、その名人がこんなお寺に眠っているとは。

ちなみに鎌倉には正宗の子孫と称する日本刀の刀匠が現在も小町の街中で活動中(太刀を打つ現場を観察することもできる)ですし、置石や長谷の商店街には数多くの刀商が営業しています。

    ♪ミラノスカラ座より帰国せしや平成正宗後継者 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-06-24 09:44 | 鎌倉案内

浄光明寺と「地蔵やぐら」



鎌倉ちょっと不思議な物語第171回

またこの浄光明寺には、これら数多くの史跡とともに、これからご紹介する「地蔵やぐら」通称「網引きやぐら」があります。

「地蔵やぐら」の天井には天蓋をつりさげた円形とそれを支えた梁の跡の溝がみられ貴重な遺跡となっています。また安置されている地蔵像は制作年代が正和2年1313年と銘記されていることが評価されており、冷泉為相が寄進したという伝承があるそうです。母の阿仏尼の尽力に深く感謝してこのお地蔵さまを造営したのではないでしょうか。鎌倉時代から南北朝にかけては訴訟の時代であり、男性はもちろんのこと阿仏尼のような女性たちも幕府に対してどんどん異議申し立てを試みています。

さらにこの浄光明寺には徳川家ゆかりの尼寺英勝寺に仕えた水戸徳川家の家臣の墓地やぐらや、鶴岡八幡宮の神職大伴氏とその家族の純神道式の笏型墓碑が3基あり異彩を放っています。

けれども私がもっとも心を傷めたのは、つい最近亡くなられたこの浄光明寺住職にして偉大な考古学者兼中世史研究家であった方のお墓でありました。思えば今を去る20数年前、私がはじめてこのお寺を訪ねたおりに、懇切丁寧に寺院や仏様の由来について説明してくださったのは、ほかならぬ大三輪龍彦氏でありました。

私は鎌倉の歴史について多くの示唆を与えてくれたこの先学に深々と頭を垂れてから、うぐいす鳴く浄光明寺を辞したのでした。

懐かしき人死して鶯しきりに鳴く  茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-30 09:18 | 鎌倉案内

春の浄光明寺を訪ねて



鎌倉ちょっと不思議な物語第170回

浄光明寺は皇室の菩提寺である京都の泉涌寺を本山とする「準別格本山」であり、慶長3年1251年に6代目執権の北条長時が真阿上人を開山として創建したお寺ですが、それ以前に源頼朝が頼んで文覚上人が建てたお堂がそもそものはじまりだそうです。

元弘3年1333年には後醍醐天皇の勅願所となるいっぽう、真言、天台、禅、浄土の4つの勧学院を建て、学問の道場としての基礎を築きました。また足利尊氏は建武2年1335年にこの寺にこもり、後醍醐天皇に反逆することを決意したといわれており、尊氏、直義兄弟の帰依と奇進と受けたのです。兄弟が足利家執事の高師直の軍勢に十重二十重に取り囲まれたのもこの寺でした。

本堂横の収蔵庫には本尊の阿弥陀三尊像と地蔵菩薩が安置されています。地蔵菩薩立像は矢拾地蔵とも呼ばれ、足利直義の守り本尊でした。篤信家の直義でしたが兄尊氏との私闘に敗れ、最後は同じ鎌倉の浄妙寺で無念にも殺されてしまいます。しかしその同じ直義が後醍醐天皇の皇子護良親王を暗殺しているのですから因果は巡る風車といったところでしょうか。

浄光明寺の裏山には、一四世紀の歌人、冷泉為相の墓(宝塔印塔)があります。為相はあの有名な歌人藤原定家の孫で、父の死後遺領の相続をめぐって異母兄と争い、その訴訟のために鎌倉へ下向した「十六夜日記」で知られる母の阿仏尼のあとを慕って当地に入ったのです。

♪北海のとどろに寄せる荒波の彼方に聳える白亜の孤峰 茫洋
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by amadeusjapan | 2009-03-29 12:54 | 鎌倉案内

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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