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晴風万里

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福田和也著「現代人は救われ得るか」を読んで



照る日曇る日 第374回

著者は私のように粗放な脳味噌の持ち主と違って、おそらく非常に頭が切れる人なのでしょう。華麗なレトリックを凝らした超絶的美文?と該博な知識と教養を、これでもか、これでもか、とみせびらかすように駆使して、ただでさえ分かりにくい論旨をもっともっと難解にして、さあどうだ。これでも食らえ、とばかりに投げてよこされるのには、はなはだ迷惑です。

―江藤淳と江國香織を対置した時、江國の方がはるかに森鴎外に近い。それは、意識された「ごっこ」が、欺瞞が、「現実」を作り出す、社会を、国家を、家族を仮構する事を知っているからに他ならない。(396p)

これだけではどなたも何のことやら分からないでしょうが、その前後を繰り返し読んでも理解できないのは、きっと私が極度のアホ馬鹿人間だからでしょう。しかし才子才に溺れるの諺ではないけれど、著者の筆が、自分でもよく分かっていない内容についてどんどん滑っているように直観されます。文中で普通に「決して」と書けばいいのに、変に恰好をつけて「けして」「けして」と連発するのも、あまり良い趣味とは言えないでしょうね。

ところでこの本の最後は、村上春樹の「1Q84」を巡る考察になっています。

いとけない娘をレイプしている教団の大幹部を葬るために青豆を駆使する謎の老婦人は、はたして正義の味方か、それとも悪事が生んだ新たな悪事の張本人なのか? 

「眼には眼を、歯には歯を」。国家権力による法と秩序を無視して、あるいは自覚的に逸脱して、私憤を疑似的な公憤に擦り変えた彼女は、共同体からの処罰と自裁を覚悟の上で個人テロルの「暴挙」に訴えます。

しかしテロルはテロルを生み、復讐は復讐、殺戮は殺戮の果てしない連鎖を生みだすことでしょう。「眼には眼を、歯には歯を」の論理をうべなう限り、この連鎖のひと組には
「主観的な合法性」があるので、それらの鎖を任意の1点で切断することはおそらく当事者同士には不可能です。

それでもこの連関を断ち切るためには、双方がそれぞれの正義をテーブルの上に並べて、それぞれの正義の正しさの内容を、第3者の公正で客観的な視点でこまかく吟味しなければならないでしょう。しかし一口に正義というても、大義もあれば小義もあるし、中には正義という名の虚義もあるであろう。そしてもし天から見下ろせば、世に絶対的な正義なぞついにないのかもしれぬ。

血眼になっている正義の復讐者を争闘の現場から、広大無辺の裁判所に拉致して次元の異なる認識に目覚めてもらわなければなりませんが、さてそうするためにはどうしたらいいのか。

ああ、またしてもひとつの悪がひとつの復讐を生み、その復讐がまた別の悪を呼んでいる。己が信じる正義を貫徹しようとしたはずなのに、その貫徹の最後の瞬間に、正義が不正に、善が悪に転化する。
おそらく人はこの究極のパラドクスに突き当たった時に、はじめて自己滅却を願い、己を一挙に無化して、かの人知を超えた大いなる悟りを得ようとするのではないでしょうか。



太郎病んで尖閣諸島に月が出る 茫洋



by amadeusjapan | 2010-09-23 17:06 | 読書

レーモンド・カーヴァー著「ビギナーズ」を読んで



照る日曇る日 第350回

アメリカの作家レーモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」という短編集を読んだ時、それが当時の「ニューヨーカー」の辣腕編集者ゴードン・リッシュによって原文のおよそ半分がカットされ、残された部分も徹底的に切り張りされた代物であり、その奇妙なタイトルさえも、くだんの編集者によって命名されていたことを、私はこの本の翻訳者村上春樹のあとがきによってはじめて知りました。

当時アル中で小説を書くどころか、死に瀕していた無名の作家にとって、自作を改変されることは屈辱的ではありましたが、その改変が原作よりも優れた成果を収めていたり、改変されたその協調性に欠けた共著が著名出版社から世に出たり、ましてや江湖の文学ファンから歓迎されてベストセラーになるに及んでは、それこそ功罪相半ばということになって、長くお互いの「企業秘密」になったことは、門外漢の私にもわかるような気がします。

さて文学者である妻テス・ギャラガーの協力を得て限りなく当初のオリジナル原稿に忠実に復刻された「愛について語るときに我々の語ること」改め「ビギナーズ」の読後感はどうかと聞かれたら、収録作品ごとに優劣はあるにせよ、原作も良ければ改訂版も悪くないことあたかもブルックナーの交響曲のごとし、と答えるしかありません。

たとえば表題作の「ビギナーズ」は改訂版である「愛について語るときに我々の語ること」の倍の分量に復活したために、交通事故から奇蹟的に生還した老夫婦の再会のシーンで大きな感動を与えられたり、作者の思いがけないゆったりとした語り口に小さな驚きを味わったりすることができるわけですが、その反面、あちこちの冗長な描写が気になるだけでなく、カーヴァーの最大の特徴である生の真髄に冷酷無比に切り込む鋭い筆鋒が失われている不満を感じないわけにはいられません。まるで泡のないサイダーを飲まされているような味気なさといえばいいのでしょうか。

やがて腐れ縁で結ばれたこの2人は、切れろ切れないのすったもんだを繰り返したあげくようやく決別し、晴れて独立して自由の身になったこの20世紀アメリカ文学の旗手は、短すぎた生涯の最晩年を彩る「大聖堂」などの心に重く沁み込む傑作を遺して1988年に亡くなったわけですが、その文壇デビュー以来の前半生を創造したのは作家以上に作家を知る編集者との二人三脚であったことを思うと、複雑な感慨に誘われます。

おそらく私たちはこの作家の内部にキメラやミノタウロスの残骸を見出し、その作品の内部に棲息するジキルとハイド氏の対話を読まされているのではないでしょうか。


かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち 茫洋



by amadeusjapan | 2010-06-22 21:20 | 読書

小川国夫遺著「弱い神」を読んで



照る日曇る日 第349回


藤枝の大井川周辺の河口と原っぱと集落と海と空を舞台にし、明治、大正、昭和の大戦期を貫き、祖父母、父母、息子夫婦三代にわたって連綿と繰り広げられる紅林家の物語は、確かにその題材を作者の一族とその周辺からとられているものの、読み進むうちに祖父である家長があるときは清水の次郎長のように、ある時は旧約聖書の苦難に悩めるヨブのように、またあるときはガルシア・マルケスの小説に出てくる孤独な英雄のようにも思えてきます。

しかも驚いたことには、この膨大な大河小説は、全編にわたって静岡県の一地方の方言の会話文だけによって延々と描き続けられています。作者はかつて袖をすり合わせたすべての親族や友人、知己を自分の枕元にさながら「いたこ」のように呼び出し、この世にあらぬ親しき人々が語り出すまでひたすら待っています。

そして生者はもちろん死者たちも、作者のうながしに応えて、在りし日のかけがえのない記憶を、とつとつと語り始める。したがってこれは死者が語った言葉を傾聴する「聖書」や「古事記」のような物語なのです。

―たとえ正当防衛でも人は殺さないっていうことですね。
―そうなんだよ。                 (「危険思想」より)

―この調子だと、国は喰い荒らされてしまうと言うんですか。大井川に落ちる渡り鳥のように、残骸になってしまうと言うんですか。
―残骸……、ね。国というものがあればの話ですが……。
―国などというものはないと言うんですか。
―ありませんよ。あるのは国という言葉だけです。あるように見せかけているだけだ。利用したい者には便利な言葉ですが。         (「幾波行き」より)

そこには俗にまみれて動物のようにうごめく男と女の貧しい赤裸々な生活があり、闘争と戦争と殺人と自殺と敵対と暴力と友情と情欲と純愛と聖なる自己犠牲があります。
いつまでも果てることない物語は、いつしか実在の作家の郷里を浮遊して壮大な神話の世界にまで星雲にように広がってゆく。すると遠い雲の彼方から光り輝くまばゆい人が姿を現し、読者のなかにはそれをイエスキリストであると囁く人も間違いなくいるでしょう。

小川国夫はすぐれてモラルに生き、モラルに殉じた人でした。
敬愛する作家の最期の小説は、私の心に大きな置き土産を残してくれたようです。それは残された私の生の歩みに少なからぬ影響を及ぼすことでしょう。楽しみでもあり、また怖いような気もする死者からの最期の贈り物です。

たしかに神はいますらし されど日ごとに神は弱くなるらし 茫洋



by amadeusjapan | 2010-06-19 11:51 | 読書

日経広告研究所編「基礎から学べる広告の総合講座」を読んで



照る日曇る日第338回バガテルop126

毎年この本でわが国の広告と広告業界のお勉強をさせてもらっています。2010年版の特色は、1に不況どん底時代の業界の嘆き節と絶望の苦悶。2にインターネットメデアとの阿鼻狂乱風のお付き合いというあたりでしょうか。

政権党が何をしようがしようまいが、経済学者がどのように世界を解釈しようが不況のあとにくるものは好況に決まっているので、景気は順調に回復するでしょう。すでにその兆し=「広告モエ」現象はあちこちにほの見えているようで、またしても軽佻浮薄なちょいと出ました広告野郎がのさばる世の中が、ほれ本町3丁目の角のてらこ履物屋までやって来ているのさ。


ネットは08年の「君中部」に続くすいすいすだらかツイッター旋風の出現で、またまた一種異様な猫じゃ招き猫じゃええじゃないかの狂騒状態に突入し、私のように多少とも品性のある低級遊民&古典守旧派の顰蹙を買っていますが、民主党の断末魔崩壊と同様もはや誰ひとりとどめることができない「時代の流れ」となるでせう。

これまでのブロガーの言説にかろうじて三段論法があったとするなら、ツイッターはあほばか感傷的一段論法いたちの最後っ屁あるのみ。正反合あれども弁証法は皆無也。

で、なにが変わるって? なあんも変わりやしないのさ。「携帯の進化?」とおんなじことで、機械は進歩すれども人間はげしく強行劣化・腐敗堕落して無限地獄に転落、カンダタ同様やたらめったら忙しくなるだけのこってす。

それじゃあ、また。(吉田秀和翁の声音を真似して……)

♪厳めしき教授の顔をよく見れば丹波の洟垂れ小僧なり 茫洋



by amadeusjapan | 2010-04-22 22:24 | 読書

前田和男著「男はなぜ化粧をしたがるのか」を読んで



照る日曇る日第337回&ふぁっちょん幻論第58回


黄昏迫る平成の御代にあっては、「男のくせに化粧なんて」、と部厚い眉をついついひそめてしまう私ですが、今を去る何十年も若かりし日には自分でヘレンカーチス第2液を美容院から買ってきて会社をずる休みしてパーマをかけたことがありました。

頭は茶髪のナチュラルウエーブで、ベルボトムのパンタロン姿で颯爽と神田鎌倉河岸の汀にあった小さな会社に入っていきましたら、受付嬢が一斉にのけぞって引いていく姿がおぼろに知覚されました。その当時私は、別にオシャレしようと思ったわけではありません。なにやら前途茫洋の憂い深く、ちょいとおのれの身体外観をギタギタにしてやりたかったのに違いないのです。

「男はなぜ化粧をしたがるのか」というタイトルを持つこの本も、私と同様化粧せざるを得なくなった孤独な生の実存の根っこを鋭くえぐってくれるのかと予想していましたら、案に相違してああ堂々の「男性化粧&時代相関説」の開陳でした。
日本史にはわが国に統一国家が誕生した上古、初めて国風文化が成立した平安、武士の時代に転換した中世、戦国を経て幕藩体制が確立した江戸時代、近代国家が成立した明治大正、敗戦と戦後レジームの昭和、という6つのメルクマールがあると唱える著者は、それぞれのエポックにおいて男性の化粧がどのように変遷してきたのかを、1)メークアップ、2)整身(髭そり・脱毛など)、3)整髪の3つの視点から詳細に比較対照しました。
そしてついに化粧は時代のバロメーターであり、歴史は「戦時モード」と「平時モード」を繰り返してきたことを実証するに至るのです。
ここで著者がいう「戦時モード」とは神話時代、中世鎌倉、戦国・江戸初期、明治維新から昭和初期の「常在戦場」の時代であり、「平時モード」とは平安、室町、江戸後期、昭和~現在を指していますが、まあ平たくいえば平和であればマッチョな男らしさが忌避され、猫も杓子も全身化粧に憂き身をやつし、戦争になれば男はよりマッチョになりはてて化粧どころの騒ぎではないということでありましょう。
魏志倭人伝から古事記、万葉、源氏はもとよりルイス・フロイス、森銑三、石井研堂、ドナルド・キーン、杉浦日向子に至るまでまるで打出の小槌のごとく自由自在に博引傍証しながら上記の命題を執拗に証明し続ける著者の研鑚努力と異様なまでの執念に激しく打たれた一冊でした。

♪町内の怪しき者は通報せよとパトカーが喚いている恐るべき警察国家ニッポン 茫洋



by amadeusjapan | 2010-04-10 21:52 | 読書

高橋慎一郎編「史跡で読む日本の歴史6鎌倉の世界」を読んで



照る日曇る日第337回&鎌倉ちょっと不思議な物語第214回

最近の歴史学の世界では、考古学の最新情報を取り入れた複合融合学際的な取り組みが増えてきて喜ばしい限りです。古文書の解読も史跡の解釈も同時代の歴史的遺物なので、同じ研究者が統一的に取り組むべきなのですが、それを妨げていたのがお馴染みの縦割り専門馬鹿的蛸壺学界でした。そういう不可解な境界を打ち破り、共時的かつ双方向で情報交換する研究方法が徐々に進行しつつある、これはそのささやかな成果の一端とでも評すべきなのでしょう。

とりわけ冒頭の「都市鎌倉」の成立と展開の項で市内の中心部の司法・行政・立法・祭祀の拠点の様相や代表的な通商道路や河川などの交通網、頼朝や御家人たちの公私それぞれの居住空間の使い分けについて具体的に触れた箇所は、800年後のその都市の住人である私にとっておおいに興味をそそられたことでした。鎌倉中心部の鶴岡八幡宮、大倉御所、頼朝法華堂、今小路西遺跡、鎌倉大仏、北条氏常盤亭跡、和賀江島などの遺跡、遺構の意義について観光ガイドが教えてくれない専門的な知見を得ることができるのはなにものにも代えがたい喜びです。

それにしても不思議なのは鎌倉大仏です。執筆者秋山哲夫氏によれば、大仏は1943年6月16日に完成しましたが、「吾妻鏡」によればその大仏は「木造の阿弥陀仏である」と記されているそうです。ところが同じ「吾妻鏡」の1252年8月17日条には、「金銅の八丈釈迦如来像を鋳造しはじめた」とあるので、この時点で鎌倉大仏は木製から金銅製、阿弥陀仏から釈迦如来に変身したはずです。

しかし私たちの前に鎮座ましましているお姿は、かの与謝野晶子が間違えて詠んだ釈迦如来ではなく阿弥陀仏。すると後世のある時点でまたしても釈迦如来から阿弥陀仏への改鋳が行われたということなのでしょうか。大仏の謎は深まるばかりです。


♪恵比寿駅午後2時40分空っぽのNEXが通過する 茫洋



by amadeusjapan | 2010-04-05 20:08 | 読書

森健著「就活って何だ」を読んで



照る日曇る日第335回

企業の公共性&社会正義感の欠如と悪徳人材派遣会社の終わりなき強欲陰謀が主因となって、そこに大学と学生の思惑が入り乱れ、史上最悪最凶の末期的症状を呈している現在の就職戦線ですが、この本はそのいっぽうの当事者である企業の人事担当責任者へのインタビューを敢行し、彼らが行っている求人活動の内幕を聞き出しています。やれやれご苦労なこった。

そして著者はこれらの企業が求めている理想の人材の基軸とは、1)グローバル2)多様性3)ストレスに対する耐性4)ビジネス感性5)自分と向き合う能力であると総括し、「これらの要件に着目しながら就活しなさい」、ともっともらしくアドバイスしているようですが、多くのあほばか学生は、「そんなごたくを並べたって、じゃあおらっちはいますぐにどうしたらいいんだ」と喚くのが関の山でしょう。

で、この本のタイトルである「就活って何だ?」という大仰な自問については、最後の最後にあっさり自答されていて「就職とは本来自分の一生を左右する一大事だ。そこでつきつけられるのは自分の人生をどう考えるかという真摯な問いだ。細かなテクニックや瑣末な情報に溺れていては、その一番重要な部分を深く考察しないまま就職活動に臨んでしまう危険性がある」と格調高い警句?を吐いて一巻の終わりなのですが、そんな当たり前田のクラッカーが、もしかしてなにか「答えのようなもの」になってでもいるのでしょうか!?

思うに、これこそは羊頭狗肉の類です。本来ならば、著者はこの結語からああ堂々の「著者独自のシュウカツ哲学ないし人世論」を一点突破全面展開すべきなのに、その本体内容なぞ影も形もなく、あるのは人事担当者の華麗な独白ととっておきの苦労話ばかり。

しかも登場するのは電通、フジテレビ、バンダイ、資生堂、サントリー、全日空、NTTドコモなどの大企業ばかり。彼らこそは就職協定を顧みず積極的に青田買いに狂奔し、前代未聞の就活地獄を招来している元凶なのに、そういう事実とそれが惹起する悲劇を直視し、それを克服しようとか、少しでも解決しようとする視点などほんのこれっぽっちもないのです。

それにそもそも日本の企業の98%以上は中小企業であり、大企業なぞは超少数派の異端児に過ぎません。こんな企業にはいずれも1万から5万人のエントリーが殺到し、それを4次、5次の面接でふるいにかけて、よりどり好みの最適人材?を採用するだけの話ですから、ここで披露されている「耳寄りな情報」なんて日本全国の学友諸君にとってはまるで縁もゆかりもない唐人の寝言でありましょう。

今回、大企業の人事部がこのインタビューに応じて「就活秘話」を特別に漏らしてくれたのは、別に著者のお手柄などではなく、これ自体が大企業の新手のパブリシティ活動であるということに、著者はどこまで気づいているのでしょうか。「森健って何だ?」と言わずにはおれません。

♪待ち兼ねた春が蝶よ花よとやってくるというのに 茫洋



by amadeusjapan | 2010-03-27 12:07 | 読書

川本三郎著「きのふの東京、けふの東京」を読んで


照る日曇る日第335回


川本三郎という人は、嫌なことは、しない、書かない。ただ好きな人とだけ付き合い、好きなことだけをして、好きなことだけを記事にして生活している、と聞いたことがあります。まことにうらやましい平成の隠者、聖賢のような存在ですね。

そんな川本氏がもっとも好むのは東京の東西あちこちの気ままな町歩き。それも高層ビルやキンキラキンの商業施設が建ち並ぶ「街」ではなく、銭湯と居酒屋と古本屋がある昔ながらの庶民的な「町」を選んで歩くのです。

だから本書で主に取り上げられているのは永井荷風が好んだ隅田川を越えた深川や洲崎、三ノ輪浄閑寺、荒川の放水路などですが、川本氏の町歩きのフィールドは東京の全域にまたがっており、両国や神保町、神田、東京、新橋、阿佐谷、新宿なども忘れられてはいません。

それにつけても、荷風の幼馴染井上唖々ゆかりの森下町「山利喜」、小名木川六間掘、大久保湯灌場に杖を引いた荷風散人、その荷風の足跡をたどった野口富士男氏、さらにそれらの先達を慕う川本氏が、今は無き江戸の風景のよすがを求めてさすらう姿を見ていると、現代の読者である私(たち)もまた彼らの驥尾に付して懐古掃苔の旅に出かけたいと願わずにはおられません。

私は「断腸亭日乗」を読んで以来、かつて荷風が通い詰めた新橋の「金兵衛」という一膳飯屋の所在を尋ねていたのですが、本書でそれが汐留交差点角にある天明時代創業の佃煮屋「玉木屋」の近所にあったと初めて知らされ、久しぶりに新橋を訪ねてみたくなりました。

近年大規模な開発が行われたにもかかわらず、あの辺にはまだ江戸時代から続く老舗が残っているようです。


♪東京の明るい廃墟をよろばいつわが胸に浮かぶ江戸の俤 茫洋



by amadeusjapan | 2010-03-21 05:55 | 読書

吉村昭著「ふぉん・しーほるとの娘」を読む



照る日曇る日第324回

「ふぉん・しーほると」となぜだか平仮名で書かれているのはドイツ人科学者フォン・シーボルトそのひとで、彼と円山遊郭の遊女お滝との間にできた娘お稲がこの長編小説のヒロインです。

シーボルトはドイツ人であるにもかかわらずオランダ人をかたって長崎の出島にやって来て、医学や諸科学、オランダ語などの高野長英などの洋学の徒に教え、蘭学の師として高い声望を獲得しますが、その見返りに伊能忠敬などが作った地図などを無断で持ち出そうとして国外追放されてしまいます。

要するにスパイですね。この男はオランダに戻ってから今度は世界一の知日派としてアメリカに自分を売り込んでペリー提督に断られたりしています。学問はできたようですが、かなり軽薄な才子だったようです。

その有名な「シーボルト事件」で国外追放された父とお稲が、思い出の長崎で再会したのは、それからおよそ30年後のことでした。

14歳の時に医師を志し、故郷の長崎を離れて宇和島に行き、シーボルトの弟子二宮敬作、次いで岡山の石井宗謙のもとでオランダ語と医学を学んだお稲は、江戸後期から明治初年をつうじてわが国の唯一の女性産科医師として活躍を続け、宇和島藩の元藩主伊達宗城から伊篤という名をいただいたお稲は、福沢諭吉の推薦もあって宮内庁御用係の栄誉も受けたのですが、私生活上では苦難の道をたどらざるをえませんでした。

父の血を受け継いだ美貌の彼女は、恩師石井宗謙によって強姦されてタダという娘を産みますが、信頼していた教育者に裏切られたお稲の男性不信は、再会した老いたる父親が次々に近くの女性と肉体関係を持つあさましい姿を目にしてますます深まり、70歳を越えて新都とうけいで没する日まで変わらなかったようです。

タダは長じて2人の医師に嫁ぎますがいずれにも若くして先立たれ、お稲はタダ改め高子と3人の孫に囲まれながら明治36年1903年8月26日午後8時過ぎに波乱に満ちた生涯の幕を閉じるのです。(この「午後8時過ぎ」と書くのが吉村昭の真骨頂!)
最晩年の彼女のよろこび、それは父シーボルトの血をひく彼女の孫周三が、慈恵医院医学校に入り、医学の道を志したことでした。

幕末から明治時代の後期までの長崎、大坂、江戸東京を舞台に、シーボルト家の人々の激動の生涯を悠々と描くこの大河小説は、同時に近代日本が遭遇した尊王攘夷運動、黒船襲来、安政の大獄、王政復古、西南の役、文明開化の有為転変を併せて辿る壮大な歴史絵巻でもあります。


♪フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていたので、一睡もできなかった。茫洋



by amadeusjapan | 2010-01-27 07:29 | 読書

「現代語訳吾妻鏡7 頼家と実朝」を読んで




照る日曇る日第320回


本巻では、私のあまり好きでもない頼朝の息子頼家とその支柱である比企能員、私の大好きな畠山重忠および私のまあ好きな和田義盛が、北条氏の毒牙にかかって一族もろとも抹殺されます。

そもそも2代目の馬鹿殿頼家が、梶原景時一族を擁護できなかった時点でこうなる他はなかったのかもしれません。まあそれが歴史の必然と言ってしまえばそうなのでしょうが、時政といい義時といい、その悪辣非道さは目に余ります。

比企能員の場合は確かにでしゃばりすぎではありましたが、身に寸鉄を帯びない御家人を自邸に呼び込んでいきなり殺してしまう伊豆のタヌキおやじを誰も制することができなかった。これが昭和史に例えれば満州事変の勃発です。

では次の中華事変はと問えば、重忠と義盛の暗殺。単純馬鹿とは言わないまでも、主君頼朝の無二の忠臣であった豪傑型のこの古武士が、老獪な北条氏のよく言えば知謀、悪く言えば陰謀にいとも簡単に引っかかって、みすみす地獄の8丁目に転落してゆく哀れな姿は無残と言うも愚かです。そうして最後に訪れる悲劇は、古豪にして最強の御家人三浦氏と3代将軍実朝の相次ぐ圧殺です。

この不可避に見える道行は、源氏政権の平和的一元支配存続の道を完全に閉ざし、時ならぬ大東亜戦争の開始によって、東条ならぬ北条政権が鉄壁の軍事独裁体制として確立されるのですが、もしも北条一族に対する三浦・畠山・和田一族の連合戦線または部分的共闘体制がいずれかの局面で成立していたら、北条家は彼らの軍事クーデターによってたった一夜でもろくも粉砕されていたでありましょう。

しかしもしも歴史がそうした選択肢を許していたならば、あの疾風怒濤の蒙古襲来を、この民主・社民・国民新党の連合政権がうまく押し返したか否か、あるいはまたくだんの神風がこの場合にも吹いたか否かは、それこそ神のみぞ知るところとなり、モンゴル帝国治下の日本および日本人がいかなるコスモポリタンとして擬鎌倉・室町・戦国時代を生き延びたかは、遠く人知の及ばぬ悠遠の範疇に属するのでしょう。


♪クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢 茫洋



by amadeusjapan | 2010-01-02 08:48 | 読書

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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