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晴風万里

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五味文彦著シリーズ日本中世史①「中世社会のはじまり」を読んで



照る日曇る日第844回

 現代日本の核を作った中世の歴史を3分冊で見直そうとする試みの第1回です。

 中世史を100年ごとにぶった切り、1)1068年の御三条天皇即位(院政時代)、2)1167年の平清盛太政大臣就任(武家政権)、3)1268年の蒙古国書到来(東アジア世界の流動)、4)1368年の応安の半済レ令(公武一統)の4期に分けて、それぞれに「家」、「身体」「職能」「型」という「思潮」を見出して特徴づけるという手法はきわめて斬新で、なんだか初めて中世という時代に向き合ったような気がしました。

 第3章では荘園の免除特権を否定して国の支配を強めようとする受領・国衙と、朝廷・院からの免除徒権を獲得して荘園支配を強めようとする荘園側の衝突が生々しく描かれていますが、その後勃興した武士階級は、その間隙を守護・地頭として介入することによって、独自の政治的経済的権益を確保していったのです。

 本書には「徒然草」の著者、吉田兼好も登場します。

 彼は14世紀の初頭に鎌倉に下って金沢(今の金沢八景、六浦付近)に滞在していたようですが、朝夷奈峠を上り下りして鎌倉に入り、119段の「鎌倉の海に鰹という魚は」というトピックスなどを観察したあの兼好法師が、私の自宅の近所にある朝夷奈峠を何度も行き来していたと聞くと、にわかに「徒然草」の世界が身近に思えてきたことでした。


「正論だね」と上司が称えしわが提言その後いったいどうなったのか 蝶人



by amadeusjapan | 2016-02-14 10:31 | 読書

ドナルド・キーン著作集第13巻「明治天皇〔中〕」を読んで



照る日曇る日第840回

明治8年の「江華島事件と東奥巡幸」から明治28年の日清戦争の勝利までを、「明治天皇紀」をベースにしながら、内外の様々な文献を自在に引用しつつ、明治という時代の政治経済社会文明人間模様について極力冷静客観的な音吐によるキーン史観で物語っている。

特筆すべきは、そんな時代史でありながら筆致は無味乾燥に陥ることなく、天皇自身や皇后、宮中の側近、伊藤博文をはじめとする木戸、岩倉、三条、大久保、西郷、大隈、板垣、黒田、井上、陸奥、山県などの元維新活動家の活動が活写されていることで、天皇が時々政務に倦んだ折に最新の洋装で陸海軍の演習に嬉々として臨んだ昭憲皇太后のイメージは、さながら女帝推古のごとく鮮烈である。

当時の日本がどのようにして台湾を手に入れ、朝鮮を保護すると称して植民地化していったか、またその延長線上の「腰撓めの状態」でずるずると日清戦争に突入していったかは、この本を読めば手に取るように分かるが、思えば清国があれほど不用意に連戦連敗したことが、その後の日本の帝国主義的侵略の道を切り開いてしまったともいえよう。

けれども日清戦争における我が軍の旅順虐殺事件の暴虐ぶりは、その後の南京虐殺の先蹤ともいいうる戦慄すべきもので、個々には忠良な民草が、組織された暴力組織の指揮下では、野獣のごとき集団殺戮行為の先兵となるDNAに裏打ちされていることを雄弁に物語っている。

興味深いのは、あれほど屈辱的な治外法権の条約を改正を巡って国論が分裂したことで、陸奥は国是に反すると知りつつも外国人恐怖症におびえる衆議院の現行条約励行派と長年にわたって戦い続けなければならなかった。

真の国益とは何か、を断じることは、昔も今も難しいものである。


 選ばれた62人の金持ちが36億人の貧乏人の資産と同じお金を持っている 蝶人



by amadeusjapan | 2016-01-30 10:54 | 読書

林望の「謹訳平家物語二」を読んで



照る日曇る日第839回

 それにしても「平家にあらずんば人にあらず」とまで称された清盛専制独裁政治が、なぜあれほどガタガタと崩壊してしまったのだろうか? 

 直接の要因としては、継母池禅尼の命乞いに応じて清盛が、頼朝を生かしてしまったことだろうが、14歳から北条の保護観察下にあったその頼朝自身は、以来20年が過ぎても平家に反逆しようという野望は微塵も懐いてはいなかった。

 それを無理やり尻を叩いて決起させたのはかの有名な文覚上人で、このちょっと気狂いじみた素っ頓狂な活動家のオルグなかりせば、ついに源氏による鎌倉幕府の開府は永劫なかっただろう。

 そしてその遠因をなした後白河院の皇子、高倉宮の謀反の直接の契機も、もう一人の気狂い荒武者、源三位頼政によるアブノーマルなアジテイションであり、この悪坊主の強烈オルグなかりせば、平家打倒のいささか早すぎたのろしも印璽も、かくも速やかに全国に出回ることはなかっただろう。

 昔流のマルクス主義者はなんと理屈づけるか知らないが、今も昔も革命はすぐれて人間的行為の突然変異的所産であり、その全運動を最初期において駆動するのは、無謀とも狂気とも思われる特定の運動家の突発的暴発と自己投企に他ならない。

 短兵急に極論を吐けば、源氏革命は源三位頼政と文覚上人によって連続的に一点突破され、それ以降の全面展開をもたらしたのである。


 物を売ることにまつわるさまざまな手立てはつねにいささか物悲しきかな 蝶人



by amadeusjapan | 2016-01-21 14:33 | 読書

現代語訳「吾妻鏡 将軍追放」を読んで



照る日曇る日第836回

 吉川弘文館から延々と刊行され続けてきた「吾妻鏡」の現代語訳であるが、これが最終巻かと思うといささかの感慨なしとしない。

 結局は源家から権力を簒奪し、ライバルたちを皆殺しにしてその頂上にのし上がった北条一族の統治に都合のよい部分を切り張りした、いわばでっち上げの偽歴史書ではあるのだが、それでも彼らの狡猾な浅知恵をくぐって散見される真史の隠されたスケルトンを脳内で推理してみるのは面白くないこともなかった。

 北条の陰険さはこの16巻においてもいやらしく発揮されていて、文永3年(1266年)7月、彼らに盾突き始めた将軍宗尊を、実際は鎌倉から京に追放したにもかかわらず、そのような武ばった記述はどこを探しても見当たらず、あたかも彼が毎年恒例の二所詣を行ったかのように淡々と叙述している。

 多くの御家人を冷酷に殺戮したのみならず同族のライバルを周到に始末した北条時頼の恐るべきマキャベリズムを一切描くことなく、さながら聖人君子のように理想化する手口も堂に入っていて、読めば読むほど嫌になる。

 その時頼が没し時宗が後を継いだところで「吾妻鏡」が擱筆されているのは、その後の2度にわたる元寇とそれに伴う混乱が、悠長な歴史書編纂の余裕を永久に奪ってしまったからではないかと愚考するのだが、さていかがなものだろうか。

 されど些事ながら、弘長3年(1263年)9月大10日の項にある「損傷した金、切銭の使用禁止通達」や文永2年(1265年)3月5日の「大町、小町、魚町、穀町、武蔵大路下、筋替橋、大倉辻の7か所に限って商店の営業を許可する(現在の鎌倉市内のそれとほぼ共通する)通達」はじつに興味深いものがある。

 恐らく「吾妻鏡」の本当の価値は偽りに満ち満ちた政治的記述などにはなく、鎌倉時代の経済的社会的データバンクとして貴重な意義を持ち続けていくのであろう。


  ほんたうの愛を求めてプルーストジェンダーの魔境を軽々と超ゆ 蝶人



by amadeusjapan | 2016-01-06 12:59 | 読書

ドナルド・キーン著「ドナルド・キーン著作集第十二巻明治天皇上」を読んで



照る日曇る日第814回

 定評あるキーン選手の評伝です。

 それが渡辺崋山であろうが、足利義政だろうが、今回のように偉大なる明治天皇であろうがまったく変わりがなく、膨大な資料や史実の富士山を徹底的に掘り下げ、その人物と彼が生きた時代の具体的な姿形を、水際立った手つきで山麓の青木ケ原に鮮やかに博引旁証するさまは、さながら歴史の魔法使いのようでもあります。

 「封建制は親のかたき」と云うた福沢諭吉の顰にならうなら、基督者であった私の祖父にとって「天皇制は不倶戴天のかたき」ということだったでしょう。
 そして、その御両人とは関係なく、天皇と天皇制あるかぎりこの国の民草の本当の独立と自由はないと考えている私ですが、そんな時代遅れのひねくれ者にも、本書はとても面白くクイクイと読めたのでした。

 それは恐らく著者が日本人離れした国際感覚と知性の持ち主であり、この国特有のキナクサイ天皇制イデオロギーとはいっさい無縁の衆生であることからきているのでしょう。

 幕末から明治維新という我が国にとってもっとも複雑怪奇で困難な時代と、その真っ只中に偶々生を享けてしまった一人の孤独な貴顕貴種の生を、これほどいきいきと描いた評伝は、世界中どこを探してもないに違いありません。


   憲法と民草の声を圧殺し戦争への道を爆走する人 蝶人



by amadeusjapan | 2015-09-19 12:46 | 読書

鎌倉文学館で「源氏物語展」をみる



茫洋物見遊山記第183回&鎌倉ちょっと不思議な物語第345回


 初夏のバラの見ごろは終わってしまいましたが、長谷の鎌倉文学館では来る7月5日まで「スーパーストーリ源氏物語特別展」が開催されています。

 鎌倉と源氏物語なんてあんまり関係がないのではないかと勝手に考えていたのですが、とんでもない。源氏物語の原本のひとつである「河内本」はここ鎌倉で編まれたそうです。

 源氏物語の代表的な写本には、いずれも平安時代末期から鎌倉時代のはじめにかけて編まれた藤原定家の「青表紙本」と源光行・親行親子(2人とも河内守だった)の「河内本」の2種類が存在していて、どちらもそれぞれの特色を備えているそうですが、鎌倉時代までは「河内本」が圧倒的に優勢だったそうです。

 会場には与謝野晶子の原稿などが並べられていましたが、鎌倉在住の川端康成がどうして彼の翻訳を遺してくれなかったのかと惜しまれてなりません。

 幸い2017年からは若手の角田光代選手の渾身の新訳が登場するそうですから、いまから楽しみなことです。


 賛成はしないが反対もしなかった人々が巻き込まれてゆく戦争 蝶人



by amadeusjapan | 2015-06-21 11:10 | 鎌倉案内

鎌倉時代のテロルの現場を歩く その4 三浦泰村とその一族の「宝治合戦」



茫洋物見遊山記第182回&鎌倉ちょっと不思議な物語第344回


 その合戦は、1247年宝治元年に起こったので、「宝治合戦」と呼ばれている。三浦氏は代々源氏に仕え、頼朝の挙兵時にも大きな役割を果たした御家人中の最大最強勢力であった。

 その後鎌倉から追却された前将軍九条頼経を中心とする反執権勢力に接近した三浦泰村は、時の執権北条時頼から危険視され、さまざまな政治的策動を仕掛けられていた。

 宝治元年6月5日、時頼の外祖父で三浦氏の排除を狙う安達景盛らが突如三浦泰村邸を襲撃し、これに時頼も加担したため鎌倉幕府の中心部で大合戦の火蓋が切って落とされた。

 両軍は現在の大学前バス停付近の筋替橋辺りで激戦を繰り広げたが、戦況は徐々に不意を打たれた三浦勢に不利となり、泰村らは頼朝が祀られている法華堂(現在の頼朝の墓付近)に籠って防戦に努めたが武運つたなく、一族の500名余りが自刃して果てたという。

 大倉幕府を一望する法華堂跡のやぐらには、恨みを呑んで自刃した三浦一族を祀る五輪塔が遺されているが、その小ささと粗末さがいかにも哀れである。

 この戦いは安達景盛が主導して時頼を巻き込んだ形になったが、宿敵三浦氏を滅亡させて後顧の憂いを絶ったはずの安達家は、景盛の孫の泰盛の時代になって弘安8年1285年の霜月騒動で全滅してしまい、いたずらに北条家に名をなさしめる結果となった。

 「宝治合戦」によって三浦氏を滅亡させた北条氏は、将軍側近勢力を一掃し、ここに合議制の執権政治が終焉して北条得宗家による「安倍」専制体制が確立するのである。
 
 以上はNPO法人鎌倉ガイド協会の資料をもとに一部小生が改変しつつ記述いたしました。

  戦争が近付いているんじゃない我われがどんどん戦争に近付いている 蝶人



by amadeusjapan | 2015-06-20 10:09 | 鎌倉案内

鎌倉時代のテロルの現場を歩く その3 和田義盛とその一族の反乱



茫洋物見遊山記第181回&鎌倉ちょっと不思議な物語第343回


 前述の「畠山重忠の乱」の8年後に起こったのが、「和田合戦」である。

 和田義盛は頼朝の挙兵の時から従い、鎌倉幕府の成立に大きく貢献し、幕府の侍所初代別当(長官)になるが、北条氏と対立。建暦3年1213年2月、一族の中から三人が陰謀の疑いで検挙されてしまう。

 この事件で面目をつぶされた義盛は、ずるがしこい北条義時の再三の挑発をこらえきれず、5月2日軍勢を率いて決起し、幕府軍を襲った。

 鎌倉市内を巻き込んだ合戦は和田勢に有利に展開したが、あろうことか和田の本家にあたる三浦義村が、血判状まで交わしていたにもかかわらず北条方に裏切り、武運つたなく義盛は敗死し、その一族も滅亡した。

 この合戦では、鎌倉十橋のひとつ琵琶橋付近で激しい市街戦が展開されたが、明治二十五年、江ノ電和田塚駅の傍らにこの合戦のときのものと思われる大量の人骨が出て来たので、この地に「和田一族戦没地」の碑が建てられた。

 義盛という人はお人好しで、大男総身に知恵が廻りかねるところがあったので、その性格の単純さ、愚直さを老獪な義時に利用され、陰険な謀略に嵌ってしまったといえよう。

 和田氏滅亡後、北条義時は念願の侍所別当を手に入れ、政所別当と併せて専制政治を恣にするようになった。

 以上はNPO法人鎌倉ガイド協会の資料をもとに一部小生が改変しつつ記述いたしました。また前回の「畠山重忠の乱」の中で一部「和田合戦」の記述が混入していたことをお詫びいたします。


  ウラナミアカシジミを今年初めて見ました2015年5月24日午前9時 蝶人



by amadeusjapan | 2015-06-16 13:12 | 鎌倉案内

鎌倉時代のテロルの現場を歩く その2 畠山重忠・重保追討事件




茫洋物見遊山記第180 回&鎌倉ちょっと不思議な物語第342回

 畠山重忠は、源頼朝の挙兵に際してはじめは敵対するが、のちに臣従して武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄は「東国武士の鑑」と称された。

 政略結婚させられた木曽義仲の息子を暗殺されたときに大病を患った頼朝と政子の長女大姫を、自宅に引き取って療養させたのも畠山重忠で、そのことは大倉幕府の南御門、現在鶴岡八幡宮の東側の守衛口の前に建つ石碑にも記されている。

 重忠はかねてから北条時政の後妻牧の方の女婿平賀朝雅と軍事支配権をめぐって対立していたが、元久元年1204年、重忠の嫡男重保は、たまたま酒席で朝雅と口論になり、これを根に持った朝雅と牧の方が時政に「畠山親子に謀反の疑いあり」と讒言した。

 年下の後妻を溺愛する時政がこれを真に受けて、北条義時を総大将とする討伐軍が重忠を武蔵国二俣川、重保を鎌倉で謀殺した。畠山親子にすれば文字通り寝耳に水で、北条一族は安倍内閣と同様こういう卑劣な暴挙を行ったのである。

 この合戦では、鎌倉十橋のひとつ琵琶橋付近で激しい市街戦が展開されたが、明治二十五年、江ノ電和田塚駅の傍らにこの合戦のときのものと思われる大量の人骨が出て来たので、この地に「和田一族戦没地」の碑が建てられた。

 また現在鎌倉第一小学校の前には立派な宝篋印塔が立っているが、これはアホバカ北条のいいなりになっておっとり刀で馳せ参じた三浦義村によって武運つたなく討ち取られた畠山重保の墓と伝えられる。

 畠山一族の若武者たちは北条・三浦軍と戦いながら由比ヶ浜辺までじりじりと南下し、その多くがこの海岸で恨みを呑んで戦死したが、わが敬愛する歴史学者故小丸俊雄氏の名著「鎌倉物語」を紐解くと、氏が砂浜を散策中に、彼らの大臼歯と思われる美しい歯が陽光にキラリと輝く挿話が紹介されていて涙と感動を誘う。

 若く妖艶な後妻の色香に溺れて、何の罪科もない立派な御家人を文字通りだまし討ちにした時政は、これによって年来の野望であった武蔵国と侍所司の最高権力者である別当の地位を略奪したのであったが、その後政子と義時から三大将軍実朝に謀反を企てたとして謀られ失脚するのである。

 以上はNPO法人鎌倉ガイド協会の資料をもとに一部小生が改変しつつ記述いたしました。


   由比ヶ浜の砂の下に昏々と眠り続ける若武者の歯よ 蝶人



by amadeusjapan | 2015-06-13 09:58 | 鎌倉案内

鎌倉時代のテロルの現場を歩く その1 比企能員謀殺事件




茫洋物見遊山記第179 回&鎌倉ちょっと不思議な物語第341回

 比企能員(よしかず)は源頼朝の乳母比企尼の養子で、その縁で頼朝の信任が厚かった。
頼朝の嫡男頼家が生まれると、彼の妻がその乳母、能員も乳母父となり、あまつさえ能員の娘若狭局は、頼家の側室となって嫡男一幡を産んだので、大きな権力をもつようになった。

 これに大きな危機感を懐いたのは頼家の母北条政子とその父時政である。時政は、建仁3年1203年9月2日、能員を彼の名越の邸宅に仏事にことよせて招き、いきなり謀殺してしまった。

 時政と示し合わせた尼将軍政子は、これは謀反であると称して比企氏討伐の命を下し、北条義時、泰時以下多くの軍勢が比企氏の館を取り囲んで日火を放ったので、頼家の妻若狭局はとその子一幡も死んでしまった。

 その後頼家は時政を討とうとしたのだが、和田義盛の裏切りによって成功せず、母政子によって出家させられて伊豆の修善寺に送られ、時政の刺客によって暗殺されてしまった。

 比企氏を滅ぼした北条氏は頼朝の次男実朝を3代将軍に就け、時政がその執権となったが、これら一連のクーデターほど北条一族の悪辣非道を雄弁に物語るものはないだろう。

 比企一族の屋敷跡には能員の末子比企能本によってここ比企が谷に日蓮宗長興山妙本寺が建てられ、祖師堂の右手にある四基の五輪塔は一族の供養塔であり、手水舎の脇の五輪塔は6歳で死んだ一幡の袖を祀る「一幡の袖塚」である。

 乱の最中、若狭局は家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられるが、比企が谷の一角には、その57年後の文応元年1260年、恨みを遺して死んだ若狭局の霊が執権北条政村の娘にとり憑き、娘が蛇のような狂態をみせるようになったので、若狭局を蛇苦止明神として祀る政村が建てた蛇苦止堂がある。

 若狭局はこの御堂の近くにある井戸に飛び込んだのではないだろうか?

 以上はNPO法人鎌倉ガイド協会の資料をもとに一部小生が改変しつつ記述いたしました。

   鎌倉の御成通りに太鼓屋できたドデスカデンドデスカデンデン 蝶人



by amadeusjapan | 2015-06-12 11:35 | 鎌倉案内

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
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