晴風万里

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佐助稲荷神社と銭洗弁財天を訪ねて



茫洋物見遊山記第176回&鎌倉ちょっと不思議な物語第338回


 源頼朝が伊豆に配流されていた折に翁の姿を借りた「隠れ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、平氏への挙兵を勧めたという故事があります。

 その託宣に従った頼朝が見事に念願を果たしたあとで、「隠れ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけたので畠山重忠に命じて建立させたのがこの神社だそうです。

 頼朝は佐殿と呼ばれていましたが、「隠れ里の稲荷」はその佐殿を助けたので「佐助稲荷」の名前がつけられたというのは出来過ぎのような気もしますが、この近所に住んでいた井上ひさしが「ムサシ」で私の祖先の佐々木小次郎と宮本武蔵をこの神社の境内で再戦させたのはむべなるかなという気が致します。

 その佐助稲荷神社のすぐ近くにあるのが「銭洗弁財天宇賀福神社」です。文治元年1185年、壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち、「西北の仙境に湧き出している霊水で神仏を祀れば人心は治まる」というお告げがありました。

 そのお告げ通りに泉があったので、頼朝は岩窟を掘らせて宇賀福神を祀ったのがこの神社の起源と伝えられています。

 その後執権北条時頼の時代になって幸運や財力の神とされる弁財天の信者たちがこの聖水で金銭を洗うようになったのがいまの奇妙な風習のはじまりというわけです。

 以上、吉田茂穂「鎌倉の神社」などから引用しました。


ある作家の奥さんは銭洗弁天で夫の原稿用紙を洗ったと永井龍男いうさてその後いかがなりしや 蝶人
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by amadeusjapan | 2015-04-16 11:25 | 鎌倉案内

鎌倉十二所を歩く その7 朝夷奈切通の巻



茫洋物見遊山記第174回&鎌倉ちょっと不思議な物語第336回


 毎度おなじみの散策路なり。

 鎌倉には7つの切通があるが、これは武蔵国久良岐郡と相模国鎌倉郡の境にあって、鎌倉と東京湾の六浦(むつら)を結ぶ鎌倉以前からある重要な峠道であり、六浦港は関東一円の生産物が集積される幕府の貴重な外港であった。

 鎌倉町青年団が建てた石碑には「土俗に朝夷奈三郎義秀一夜のうちに切抜けたるを以てその名ありと伝えられている」とあるが、まあこれは英雄伝説で、「仁治元年11月に議定があり、翌年4月に執権北条泰時がここを訪れて諸人群衆し土石を運んだ」とあるのが正しいのだろう。

 朝夷奈切通は産業道路のほかに軍事戦略の要衝として活用され、それは北条泰時の甥、金沢実時が六浦に別荘を持ったことで一層その重要度を強めていった。

 いずれにせよ将軍や執権、武将、日蓮上人などの宗教家をはじめ、無数の商人、百姓たちがさまざまな、しかし現代にも通じる思いを懐きながら、およそ700年にわたってこの切通を往来していたのであろう。

 朝夷奈峠を登ったところにある湿地では現在2か所でオタマジャクシが泳いでいる。

   月の沙漠で喉が乾けば君が鎖骨の甘露を汲まん 蝶人
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by amadeusjapan | 2015-04-03 12:57 | 鎌倉案内

鎌倉十二所を歩く その6 七曲ケ谷の巻



茫洋物見遊山記第173回&鎌倉ちょっと不思議な物語第335回


 前々回に取り上げた「三郎の滝」のうえに七曲ケ谷(ななまがりやつ)という谷戸が広がっている。

「三郎の滝」となって流れ落ちる渓流を七曲川と称するが、その名の通りくねくねと蛇行する小川に沿ってやはり七曲の獣道が走っているが、ここはマムシの名所なので私たちは「蝮ケ谷」と呼んでいた。

 むかし「空の名前」というベストセラーを出したカメラマンが近所に住んでいたが、彼が止せというのにこの小道に入りこんだが、しばらくするとマムシの大群に襲撃され、三脚を置き去りにしたままほうほうの態で逃げ出したことがある。
 私も少年時代に丹波富士と称される弥仙山で蝶を採集していたときにマムシに襲われたことがあるが、有毒の蛇が物凄い勢いで空中を飛びながら噛みついてくるので、もう二度と経験したくないほど怖い思いをした。

 この恐ろしいマムシの路の先へどんどん進んでいくと、いまは誰も通らない峠道につながって、そこをなおも直進すると小高い丘の上に廃屋があり、その近くに江戸時代の墓標が立っている。

 私たちはこの廃屋を「不思議なおうち」と名付けて、よく子供たちと遊んだものだが、マムシが冬眠から覚めない間に一度再訪したいものである。


  なにゆえに崎野隆一郎さんを敬うかマムシを剥いで焼いて食べてしまう 蝶人
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by amadeusjapan | 2015-03-20 10:11 | 鎌倉案内

鎌倉十二所を歩く その4 「三郎の滝」の巻



茫洋物見遊山記第171回&鎌倉ちょっと不思議な物語第333回


 朝夷奈切通の麓には高さ5メートルほどの三郎の滝が落ちている。ふだんはあまり水量がないが、嵐の折には轟々と音をたてて大量の水が滝つぼめがけて落下し、朝夷奈峠の脇を流れる渓流と合体し、十二所の邑めがけて流れ下る。

 太刀洗川である。

 太刀洗川はさらに下りながら途中で二階堂川と合流して滑川となり、由比ヶ浜で相模湾にそそいでいる。

 ところでこの「三郎の滝」の三郎というのは誰かというと、和田義盛の三男、朝比奈三郎義秀その人である。彼はつとに豪勇で知られ、朝夷奈切通は彼が一夜にして切り開いたという伝説がこの麓に建つ鎌倉青年団の石碑に記されている。

 建暦三(1193)年、たび重なる北条義時の挑発に乗って打倒北条の戦を起こした和田義盛は盟友三浦義村の裏切りで苦戦をしいられ、一族はおいつめられた由比ヶ浜で斃されるが、この「和田合戦」でもっとも果敢な戦いを繰り広げた勇猛な武将が三郎であった。

 現在でも由比ヶ浜の砂を深く掘り進むと、まれに当時の大臼歯などを掘り当てることがあるが、おそらくこれは和田一族の若武者の無念の証であろう。

 しかし朝比奈三郎は死ななかった。伝説では彼は6隻の船に600人の武将を乗せて故郷安房の国朝夷郡にのがれ、その後みちのくを経て遥か高麗の地へ至ったという。

 義経を想起させるそんな勇壮な伝説を思いつつ、この三郎の滝の水を全身に浴びてみるのも一興ではないだろうか。


   由比ヶ浜の砂の下に昏々と眠り続ける若武者の歯よ 蝶人
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by amadeusjapan | 2015-03-17 14:50 | 鎌倉案内

鎌倉十二所を歩く その2 十二所神社の巻



茫洋物見遊山記第169回&鎌倉ちょっと不思議な物語第331回


 祭神は天神七柱、地神五柱の十二柱。境内には山の神、疱瘡神、宇佐八幡、地主神がありここ十二所の鎮守である。

 かつては熊野十二所権現社といわれ、弘安元(1278)年の創建とされる。もとは光触寺境内にあったが、天保9(1838)年に現在地に移され、明治維新によって十二所神社と改称され、明治6(1873)年に十二所の鎮守として「村社」に格上げされた。

 鳥居の脇に重さ112kgの「百貫石」があり、昔の村祭りではこれを持ち上げる豪の者もいたそうだ。

 神社の前の県道の脇には石地蔵が建っている。

 これは江戸末期の頃に、鼠木綿の着物、手甲、脚絆に身を固めて厨子を背負い、鉦を叩いて家ごとに銭をこいながら諸国を遍歴する六部が通りがかりの馬に蹴られて死んだ人の実家が回向のために立てたそうだ。(「誰も知らない鎌倉路」)

 以上、郷土史研究家岡田厚氏作成の資料によって記述しました。


   録画せしテレビの教養番組を三倍速早送りで見る私の晩年 蝶人
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by amadeusjapan | 2015-03-12 09:43 | 鎌倉案内

鎌倉文学散歩―長谷方面―に参加して




茫洋物見遊山記第151回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第317回


恒例の春の文学散歩に参加して長谷方面を歩きました。今回は高徳院の大仏様、川端康成邸のすぐ近所の甘縄神明宮、稲瀬川周辺を経て鎌倉海浜ホテル跡までの短い半日コースです。

鎌倉大仏の後ろには例の与謝野晶子の

かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

という歌の碑が立っています。実際は阿弥陀如来なのでのちに改めたそうですが、本歌のキモはその後の七七にあるので別に釈迦でもむにゃむにゃでも宜いのではないでせうか。

その近所をよく探すと、星野立子さんの

大佛の冬日は山に移りけり

という句碑もありましたが、いかにも虚子の娘らしい花鳥諷詠の一句で、お父さんの

遠山に日の当たりたる枯野かな

という有名な句に、どこか相通じる世界だと思いました。

それより興味深かったのは江の電の長谷駅から坂の下の海岸に向かう途中のボートハウスです。

ここは詩人萩原朔太郎が病気療養のために大正五年から六年にかけて滞在した海月楼の跡地で、彼の第一詩集「月に吼える」の刊行準備がなされた場所だそうです。

また同じ詩人の日夏耿之介もやはり同じ時期に病気療養のためにこの近所に住んでいたそうで、私の好きな二人の詩人が同病相哀れみつつ、この海辺で親交をむすんだのかと思うと、なかなかに感慨深いものがありました。


なにゆえに飛車を打つ手がぶるぶる震える羽生棋士が勝利の軌跡を確信したから 蝶人
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by amadeusjapan | 2014-06-29 11:21 | 鎌倉案内

神宮、熊野、高野山を巡る



茫洋物見遊山記第93回

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-10-21 09:05 | エッセイ

鎌倉地獄谷成就院付近を歩く



茫洋物見遊山記第79回&鎌倉ちょっと不思議な物語第258回

 春は名のみ。梅はようやくにして咲いたが桜はまだ河津桜だけというこの時期、東京に出かける元気はないので、地元で長く地獄谷と呼ばれた辺をちょっと散歩しようということになりました。

早朝江の電の極楽寺駅を折りたる時ならぬ人だかり。今週の木曜日に終了するフジテレビのドラマのロケを行っていました。鎌倉の市役所に勤務する中井貴一がきょんきょんと熟年の恋をするというお話で、そのタイトルはP.K.ディックの有名なSF小説「最後から二番目の真実」からの無断のパクリです。

長男が「風のガーデン」にも出演したガブさん役の中井貴一の熱烈なファンなので、わたしが早速写真を撮ろうとしたら、無意味に肥ったプロダクション・マネージャーがすっと飛んで来て「駄目駄目」というので、諦めて極楽寺に向かいました。

極楽寺を出てもまだ本番のカメラは回らず、プロマネが声をからして車や通行人を停めたりしています。その間およそ五〇人の俳優やスタッフや警官や駅員は辛抱強く待機したまま。映画でもテレビでも九割は待機時間が続くのです。

観光客目当ての鎌倉市と視聴率目当ての民放が結託した大政翼賛番組を冷ややかな視線で突き放しながら、極楽寺の近所にある成就院に向かいました。毎年梅雨時になると商魂たくましい住職が石段のまわりに植えたアジサイを見物するために各地から観光客が押しかける成就院ですが、この時期には人影もまばらです。

この坂の上のお寺は、承久元年1219年に3代執権北条泰時が都から高僧を招いて創建されましたが、新田義貞が鎌倉に攻め込んで稲村ケ崎のアサリを踏みつぶした元弘3年の戦火で焼亡し、再建されたのは江戸時代です。境内には弘法大師像や八角堂等がありますが、そんなことより境内を過ぎて見下ろす由比ヶ浜の眺望が素晴らしい。

麓の星月井の傍には同院が管理する虚空蔵堂があり、奈良時代に行基が奉ったと称される秘佛虚空蔵菩薩が安置されているので創建はこちらの方が古いのでしょう。

    鎌倉は井あり梅あり星月夜 子規

人寄せにアジサイ植えるあさましさ 蝶人

明鏡山星井寺に詣で星月井に映る名月を愛で名物力餅を食す 蝶人
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by amadeusjapan | 2012-03-20 10:18 | 鎌倉案内

鎌倉「銭洗弁天宇賀福神社」を訪ねて



茫洋物見遊山記第58 回&鎌倉ちょっと不思議な物語第241回


この神社は文治元年1185年に源頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち、鎌倉の西北に湧き出している霊水で神仏を祀れば人民は信仰にめざめ、国内も平和になるであろうよと託宣があったことにはじまるという。

頼朝が早速この地を捜索したところ、この聖なる泉を発見。ただちに岩窟を掘らせてこの神社を創建したのだそうだ。

ところが13世紀の半ばになって執権北条時頼の時代になると幸福や知恵、財力などの神とされる弁財天を信仰する者どもが大挙して金銭を洗うようになった。

このあほらしい迷信はいまなお続いているのだが、鎌倉五名水のうちもっとも美味にして霊験あらたかなる太刀洗水は、今日も誰ひとり訪れる人もなく八〇〇年前の悠久の昔から滾々と二種混合の湧水を垂れ流している。



「幸せになろうよ」最終回を見た長男が「僕も幸せになります」と叫んだ幸せになっておくれ 蝶人
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by amadeusjapan | 2011-06-28 11:45 | 鎌倉案内

長谷の「甘縄神明宮」を訪ねて


鎌倉ちょっと不思議な物語第238回&茫洋物見遊山記第51回

甘は海女、縄は漁の縄という説があるそうですが、さあどうでしょうか。この甘縄神明神社、別名甘縄神明宮は天照大御神を祀っていますが、和銅年間(708-715年)にこのあたりの豪族染谷太郎時忠が建てた鎌倉で一番古い神社といわれています。頼朝の祖父頼義、父の義家の代から源氏にゆかりのある神社です。

神社のたもとには頼朝の最有力の御家人の一人であった安達藤九郎盛長屋敷跡という鎌倉青年団が建てた立派な石碑があり、往時は神社の前が彼の広大な武家屋敷であったと推定されていましたが、最近の研究では安達一族の本拠はここ甘縄ではなく、いまの鎌倉市役所の南方にある佐助近辺の無量寺谷にあったと考えられています。

頼朝が毎日のように訪問したり、宝治合戦の折に安達景盛の軍勢が鶴岡八幡宮を突き切って三浦泰村邸に突撃するためには、安達の本拠がはるか遠方の甘縄では吾妻鏡の記述と平仄が合わないからです。ここ無量寺谷の中心に所在した無量寿院が安達家の菩提寺でありました。

 しかし北条家と密接な姻戚関係を取り結んだ安達家の歴史を物語るかのように、この甘縄神明宮の石段の下には小さな井戸があり、「「北条時宗公産湯の井」という札が立っています。「北条経時や時宗の母である松下禅尼は安達氏出身ですから、そういう伝説が生まれたのでしょう」と鎌倉市教育員会発行の「かまくら子ども風土記」には書かれています。甘縄神明宮のすぐ傍には川端康成邸がありますが、近所の人の話では、この辺りではいまでも時折「山の音」が聴こえるそうです。


山の音はわが心韻にして神韻なり山の音す 茫洋
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by amadeusjapan | 2010-12-24 17:21 | 鎌倉案内

あまでうすが綴る音楽と本と映画と詩とエッセイ
by amadeusjapan
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